2019-09-15

【週俳8月の俳句を読む】爽快さ 田邉大学

【週俳8月の俳句を読む】
爽快さ

田邉大学


俳句は俳句として完成されてるのに鑑賞それを別言語で言い換えるからな…

この文章を書く数日前、友達とそんな話をしていた。確かに俳句のなかには、言語化するのが難しい魅力を持つ句や、言語化すると陳腐になってしまう壊れやすい詩性を持つ句もある。それでもその句にしっくりあった鑑賞を発見すると、句のそれまでどう言えば良いかわからなかった魅力的な部分がするりと紐解けて見えてくることがあり、その句をもっと好きになることができる。数学の問題を解くような爽快さが鑑賞という行為にはある。その爽快さを味わうためにこれからもどんどん鑑賞して、じっくり言語化していきたいと思った。


しなやかに猫の重心なつやすみ  菅原はなめ

ネコ科のしなやかさは動物の中でも有数のものだろう。あえてネコの「重心」にまで注目することによって、さらにしなやかさに補正が入る。縁側で丸まって休む猫の身体つきのしなやかさ、ブロック塀や屋根などを渡り歩く様子のしなやかさ、様々な「しなやか」を想像させてくれる。不思議なのは、なぜ「なつやすみ」がこの句に合うのかだろう。単に漢字の「夏休み」ではいけない。開かれてひらがなの「なつやすみ」でないと休暇の自由な感じ、のびのびとした感じを演出できない、そして何よりしなやかさが演出できないのだ。そう思うと、「なつやすみ」の文字が何だかたくさんのしなやかな猫のようにも思えてきた。

地球また宇宙の一部飛び込みす  同

上五中七の大胆なフレーズに大胆な飛び込みがよく響きあう。飛び込みの一瞬、宇宙から地球を俯瞰しているようなそんな印象すら受け、地球や宇宙、プールなどに共通する青さまでも鮮明に感じさせる。「地球また」の「また」に思うのは、飛び込んでいる作者自身も宇宙の一部であるということ。どこにいても変わらないだろうその事実に少し安心感を覚えた。

海獣の皮膚の手ざわり水着脱ぐ  同

海プールから上がった後の水着のざらざらとした感触がおしゃれに描写されている。「手ざわり」「水着脱ぐ」の間に何も言葉を挟まないことによって、句全体にむしろリアリティが出ているように思う。水中では身体を包み込み一体感のあった水着も、水から一度上がってしまえば海獣の手ざわりの別のものになってしまう、そのような中に、儚さにも似た穏やかなエロシチズムを感じた。


ひぐらしの声しあはせに耳小骨  倉田有希

耳小骨は中耳内に存在する、鼓膜に音を伝えるための小さな骨。そんな小さな骨が「しあはせ」になるまでひぐらしの鳴き声が届いている。夏の日中、煩く聞こえるセミの鳴き声も秋の夕方の涼やかな時間ともなれば心地良く聞こえる。一方で、作者の耳小骨の心地良さとは対照的にひぐらしの鳴き声特有の哀愁、ひぐらしという蝉自体の生命はかなさにも想像が及ぶ。そんなふうに思うのも旧かなの「しあはせ」の効果か。

百舌鳴いて鳴いて単焦点レンズ  同

今回、特に鑑賞の難しかった句。「鳴いて」の繰り返しを単に二回鳴いたと取るだけでは面白くない。ここはあえて鳴いたのは一回で、ひとつ目の「鳴いて」、とふたつ目の「鳴いて」は同じものと取ってみたい。始めの「百舌鳥鳴いて」と次の「鳴いて」の間に一呼吸置くことになる。そうすると、この一句の中で「鳴いて」の繰り返しが切字の「や」のような効果をもたらしてくれることに気付く。「単焦点レンズ」まで読み下したあとにまた「鳴いて鳴いて」に戻ってきたくなるような、そんな面白さがある、不思議な句だと思った。

写真機は嘘をつきます秋桜  同

カメラは見たものをそのまま写すことができる。一方で、カメラによって切り取られたその瞬間は必ずしも真実であるとは限らない。悲しい気分のときでもカメラを向けられれば笑わないといけなかったり、またその逆もありうる。そのような写真機の残酷さを「嘘をつきます」の口語表現で和らげ、嘘をつくということすら愛せるような気持ちにさせてくれる。そのような印象を受けるのは秋桜という、明るく、それでも秋特有のふわりとした淋しさを持つ季語ならではだろう。


真白き豪雨宵山の四条  玉貫らら

宵山のときの四条の賑わいは凄まじい。山鉾を始め、露店などが立ち並び、周囲は観光客でごった返している。そんなときに豪雨に遭った。観光客が一斉に地下や周囲の建物に避難する。筆者は人混みがあまり得意ではないので実際に遭遇したいか、と問われれば微妙だが、浴衣の人々の早く雨がやむことを期待する会話や、露店のテントに当たって弾ける雨粒の音などまでが想像される。宵山の京都ならではの光景だと思った。

弾痕は維新の名残青蔦葉  同

京都に暮らしていれば、明治維新に限らず、様々な歴史を感じることがある。教科書に載っている史実がそのまま私達の生きる時代にまで繋がっていることを思い知る。ここでいう「維新の名残」は禁門の変の際の蛤御門の弾痕や、鳥羽伏見の戦いの際の魚三楼の弾痕などであろう。「青蔦葉」はそのまま、歴史的建造物自体の様子でもあり、これまでもそしてこれからも途切れることなく続いていく私たちの歴史のメタファーとまで受け取って良いかもしれない。

保護犬と籠いつぱいの玉ねぎと  同

玉ねぎには独特の哀しさと力強さがあると思う。玉ねぎにしかないフォルムと、生のときは辛味があり加熱すると甘くなるという変化、さつまいもやかぼちゃとは異なる温もりと安心感があるように感じる。そんな野菜が籠いつぱいにあることと、「保護犬」が取り合わされることによって、保護犬が持つ孤独と、保護されたという安心、ふたつの部分が響き合ってくる。似たような部分を持つふたつの名詞だからこそ「と」で結ばれて、次に繋がる余韻が残るのだと思う。。


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642 2019811
倉田有希 単焦点レンズ 10句 ≫読む
玉貴らら 断層 10句 ≫読む

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