2019-09-08

句集を読む プレテキストと複雑 生駒大祐『水界園丁』の方法について(前編)

句集を読む

プレテキストと複雑
生駒大祐『水界園丁』の方法について(前編)

上田信治

生駒大祐『水界園丁』には、先行句の存在を、思わせる句がある。

いちど気がつくと、どんどん見つかってしまう。

それは模倣でもパロディでもなく、作者は、明確な方法意識とアドリブ的な変奏によって、俳句の新しい「書き方」を作りつつあるのだ ── ということを書きます。


1. 先行句の存在(信じようと、信じまいと)

ある句について、他の句との類似性を指摘することは、いろいろと「はばかり」のあることだ。

「二番煎じ」の指摘であれば、句の価値の引き下げになる。

また、先行句との関係を強調する読みは、それをシンプルに享受していた読者を、疎外し「傷つける」。

あるいは、その先行句を、作者がまったく意識していない、あるいは納得しない、ということもありうる。その場合、自分は「何かヘンな電波でも、受信していたのか」との誹りをまぬがれえない。

しかし、この人の句は、たまたまそうなっているのではなく、明らかに「そう」書かれている。だから、その方法について「分かってもらう」ことは、作品がより本質に近く受容されるために、必要だと思う。



句集には、先人の句に、後句をつけ、句兄弟を作っているような句が多くある。

 みちのくの星入り氷柱われに呉れよ 鷹羽狩行『誕生』(1965)
 吾に呉るるなら冬草に綴ぢし書を 生駒大祐

 アスファルト輝き鯖の旬が来る 岸本尚毅『舜』(1992)
 道ばたや鰆の旬のゆきとどき 生駒大祐

 真白なる箱をおもへり法師蟬 田中裕明『夜の客人』(2005)
 真白き箱折紙の蟬を入れる箱 生駒大祐

(まだ、たくさんあるので、探してみてください)

このような、内容レベルで「踏んでいる」句は、『水界園丁』では、軽いほうの句に属する。作者は、先人の句にあとからハモるように、唱和することを楽しんでいるのだと思う。



自分が、先行句の存在という言い方で言おうとしているのは、たとえば、次のような二句のことだ。

 もう一度言ふ蕪提げ逢ひに来よ 生駒大祐
 蓮池の一面枯や訪ね来よ 藤田哲史『新撰21』(2009)

読者は「『来よ』しか合ってないw」と思われるだろうか。

しかし、この二人は高校・大学を通じての友人同士で、藤田が先に俳人として注目されて、といった経緯があり、そして、生駒の句集の何ページか後には、このような句がある。

 枯蓮を手に誰か来る水世界 生駒大祐

遠くから、親しい人に「逢いに来ればいいのに」と心で呼びかけている二つの句と、非現実の世界に誰かがやってくる、という句。「」と「枯蓮」の句だけならそうは見えないけれど、藤田の「蓮池」の句をはさんで、三つの句はつながっていて、照らし合っている。

 太陽へ鳥のいざなひ鳥世界 高屋窓秋『ひかりの地』(1976)
 月星の燃えゐし一夜鳥世界 〃

「枯蓮」の句の「水世界」は、高屋窓秋の「鳥世界」の言い換えだろう。

窓秋の連作は絶対的な孤独を思わせる内容だけれど、生駒の「水世界」は(「鳥世界」の非人間性と不気味さを重ね焼きにしつつ)なお、人の訪れを待っている。

見渡すかぎりの「水世界」のむこうから、枯蓮を手に、ぴたぴたと歩いてくる人がいて、それは懐かしい人なのだ。

のっけから濃厚な「ストーリー読み」になってしまって、俳句は「プレーンテキスト」(「オルガン」8号)と標榜する作者には申し訳ない。しかし、彼の句のいくつかは、こうして読み解かれることを、待っていると思う。彼は、それらの句を、ポエジーと同時に遊戯精神を働かせ、パズルを組み立てるようにして書いているはずだからだ。


2.「写し書き」(トレーシング)の方法

『水界園丁』は、非常にいい句集だ。同時代の作品から抜き出た異質性があり、私たちの時代の「名句」となることを予感させるいくつもの句がある。

とはいえ、一見、さほどでもない句もある。

 平日は偶々太き冬木の枝 生駒大祐

一句の重心は「平日」の一語にかかっているけれど、無内容をねらって平坦になりすぎたか、「偶々」の一語に意外性はあるがそこまで成功していないようだ ── くらいに思っていたのだけれど、句集を繰り返し読むうち、この句が、

 初夢のいきなり太き蝶の腹 宇佐美魚目『草心』(1989)

を下敷きに書かれている可能性に気がついた。

初夢(新年) → 平日」「いきなり偶々」「太き」「蝶の腹冬木の枝」と、音数も品詞も意味も、上から下まできれいに対応している。

とすれば、この句は「いきなり」と「偶々」が対比されていると読める。初夢は「いきなり」だったけれど、今日は、もっとゆったりとした視線で「偶々」その枝を眺めた、太い枝だった、そういう「平日」だったのだ、と。

いったん先行句の存在を知って読むと、ぱっとしないように思えた「偶々」が、もう動かない。

 水の世は凍鶴もまたにぎやかし 生駒大祐 

ふしぎと記憶してしまう句だ。彼の句には、内容はさておき、ともかく口の端に上らせると気持ちがよく、憶えやすいところがある。しかし「にぎやかし」という名詞が「水の世は〜また」を受けるためには「にぎやかし(のひとつであるような場所だ)」と言葉を足す必要があって、構文的にはむしろ、がちゃがちゃしている──と思っていたら、

 君が居にねこじやらしまた似つかはし 田中裕明『櫻姫譚』(1992)

という句を、思い出した。見ての通り、これも、単語単位できれいに「踏まれている」。

このように、先行句の全体(または一部)の語順や品詞の配列を引用するような書き方を、仮に「写し書き」(トレーシング)と呼びたい。それは、森澄雄が、芭蕉の〈初秋や海も青田のひとみどり〉の中七下五から〈田を植ゑて空も近江の水ぐもり〉を創作したような方法だ(*1)。

「にぎやか」から派生した「にぎやかす」という動詞から派生した「にぎやかし」というややこしい名詞は、裕明の「似つかはし」という形容詞に引っぱられて出てきたと考えると分かりやすい(「水の世」は、下五を「似つかはし」に置き換えても意味が通じる)。

生駒は、ここで先行句の音や型だけを抜き出して、自句の下敷きにする、ということをしていると考えられる(無意識の引用として行われた可能性もある)。

もっとも、裕明の「ねこじゃらし」の句は、若き小澤實が、耕衣にあやかって、自室に雑草を飾っていたことへの挨拶句なのだそうで(*2)、そのことは、友情のモチーフを大切にする生駒にとてもふさわしい。もし、そこに無意識の通底があるとすれば、〈水の世〉は、〈水世界〉とも共通する、孤独や淋しさの表徴なのかもしれない。



先行句を「写し書き」した句が、プレテキストと同質かつ(価値として)同等以下であれば、それは、なぞりであり模倣だということになるだろう。

しかし、生駒は、先行句のリズムや展開(合わせて「気息」と呼んでもいい)を、サンプリングのように抜き出して、その上に、新たな質と価値を持つテキストを構成することに、確信をもっているようだ。

 松の葉が氷に降るよ夢ふたつ 生駒大祐 
 さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子『朱田』(1976)

晴子の句は「さるすべりしろばなちらす」という無内容に近い言葉の連なりからこぼれ出たような「夢違ひ」へと飛躍する。生駒は、同じく上五中七を(植物の説明)→(動詞)と展開し「夢違ひ」の位置には、

 ゆめ二つ全く違う蕗のたう 赤尾兜子『玄玄』(1982)

から引いたと思われる「夢ふたつ」という語を当てた。(*3

雪を割ってあらわれる「蕗のたう」のイメージから「」と「松の葉」が生まれたのかもしれないし、むしろ、兜子の句のパラフレーズを試みて晴子句のリズムと展開が召喚されたとも考えられる。

生駒句の重心は「降るよ」の「よ」にかかっているけれど、それは、彼が、晴子と兜子の句に表れる「夢/ゆめ」という言葉の持つ哀しみに移入して、こぼした言葉ではないかと思う。

 霜の野を立つくろがねの梯子かな 生駒大祐
 死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 藤田湘子『てんてん』(2006)

湘子の句の、朝焼けの赤のイメージと、ア音の反復の、調子の高さに対し、生駒の句はモノクロームに沈潜している。そして、両方の句に〈くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 蛇笏〉が響いている。

湘子と同じく「野に」とせず「野を」としたのは、言葉がイメージと1対1に対応し、描写に一元化することを、回避したのだろう。先に挙げた「平日」と「凍鶴」の句も、先行句と同じ「平日の」「水の世に」であれば、通常の助詞の受け方になるのだけれど、あえて「平日は」「水の世は」としている。そうやって、彼は、一句の複雑性を増やしている。

 空すでに夕立の態度文を書く 生駒大祐
 雲すでに秋の意匠に腐心せる 中原道夫

こんな組み合わせもある。

「すでに」は〈春すでに高嶺未婚のつばくらめ 飯田龍太〉のように「四季+すでに」というふうに使われることの多い語だけれど、中原はそれを「雲すでに」と一回ひねり、そしてその雲は「秋の意匠」に(つまり「秋すでに」の状態を作ろうと)腐心しているのだと、もう一回ひねった。

生駒句は、中原句の「秋の意匠」を「夕立の態度」にパラフレーズしているのだけれど、しかし「夕立の態度」とは何ごとであろうか。自分はこの「態度」という語の選択に、たまたまそこにあったから、パッと掴んだというような、アドリブ性を感じる。前に挙げた「偶々」も「にぎやかし」もそうだ。

彼の語選択には、しばしば偶然の感触がある。それは、まず、型を優先させる書法からくるものかもしれない。

[態度:物事に対したときに感じたり考えたりしたことが、言葉・表情・動作などに現れたもの](デジタル大辞泉)

つまり、空は空で何かを感じているらしいけれど、自分は、手紙を書くのだ、と。夕立になれば、その手紙は出せないかもしれないという、コミュニケーションの齟齬が暗示されてもいる。

さらに細かく見れば、龍太句も中原句も「すでに」と調子高く切り出したあと一呼吸入れて、あとはその勢いで歌いきっているけれど、生駒句は、中七でさらに切って構成を重層化している(そのために、呼吸としては、三段切れに近い印象になっている)。

生駒の書法は、一見、端正という印象を与えるが、彼は、選択肢があれば、常に複雑になるほうを選択するため、しばしば、がちゃがちゃしていたり、つんのめるように展開したりする。

そのアドリブ的でアクシデンタルな書法と、それが生む異化効果は、彼の句の特徴のひとつだ。


3.季語・キーワードを介しての照応

短歌ムック「眠らない樹 vol.2」(2019.2)所収の座談会「俳句と短歌と」(出席:生駒大祐・大塚凱・服部真里子・堂園昌彦)は、短歌と俳句の書き手がそれぞれの方法について比較しつつ論じ合ったもので、生駒は、自身の俳句について、このように発言している。

引用1(〈里芋が滅法好きで手を叩く〉について)あれは副詞の「滅法」がスタート地点になっています。句の核に「滅法」をおもしろがる感覚があって句にしました。こうしたときに型が非常に重要で、この作り方をすればあるレベルの句になるというものがある。良い型は積極的に取り入れます」

引用2「ある句や歌が成功しているとすれば言葉を適切に選んでそこに構成したという操作の過程そのものに手柄がある。主張したい意味はその俳句のゴールポストに過ぎない」

引用3「そこにはリアリティを作品上でどう担保するかという問題がある。完全な虚構ではなくて現実がどこかにあるのだと担保するのが、短歌においては私性で、俳句においては季語なんです。季語は非常にうまいシステムで、言語空間・時空間双方において句を拡張してくれる。季語を通して自然と通じることに加え、過去の名句が重層的に背負われるからです。参照性があり、過去への読みの窓が開いている。現在と過去が二重写しになっていて、リアリティーや物語を担保している」

引用4(〈わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり脱けて翡翠 服部真里子〉について)肉体を持った人間がいるというよりも、意識だけがそこにある虚な感じがする(…)「翡翠」と「復讐」という強い言葉を合わせて操作は、具体的な意味でくっついたというよりは、抽象的な言語空間上の距離が近かったからだと思うんです。抽象度の高いレイヤーに作者の主観がある。そのあたりの感覚が(自分に)似ていると思いますね」

ここでは、彼の手の内が、きわめて率直に語られている。



引用1の「型」についての発言は、まさに「写し書き」(トレーシング)の方法の説明になっている。

前節で挙げた作例を見れば、過去の秀句において、その一句の一回性の表出であると考えられていたような、音と展開のパターンが、彼には再現可能な「型」として意識されていることが分かる。

引用3の「季語」を通して「過去の名句が重層的に背負われる」という発言は、季語についての一般的な内容ともとれるけれど、彼の句が、季語を通じて特定の先行句を想起させることによって、より深い内容と構造を獲得していることを示唆している。

今節では、そのような、季語(およびキーワード)を通じての、先行句との関係を見ていきたい。

前節の例にも増して、思い込みが暴走してしまうリスクは高いのだけれど、裏がとれている句もある。



 綿虫の間遠き光ばかり来ぬ 生駒大祐

美しい句だ。遠くから弱い光が来て、浮遊する白という、綿虫の本質的なありようを見せる。「間遠き」は、距離と時間が離れている、という形容だけれど「間遠き光ばかり」と言った場合、逆から言えば、間近き光、つまり手もとや自室を照らす灯りはない、という意味だろうか。光は遍在するものだから、遠くからばかりで近くのそれがない、ということは(「綿虫」といえば昼だけれど)逆に、まわりはほぼ闇、と読んだ方が、いいのかもしれない。

ところで、この「ばかり」は、どう読めるか。「背の高い人ばかり来る」と言った場合、それは「そこを何人かの人が通ることになっているが、それは背の高い人ばかりだった」
という意味になる。そういう光……?だとすれば「間遠き」は、遠くから、そして、間隔を置いてという二重の意味で書かれているのだろうか。

(自分がプレテキストがあるのだろうかと、考え始めるのは、だいたい、このような読み切れなさのある句だ)

 綿虫やそこは屍が出でゆく門 石田波郷『惜命』(1950)

生駒が、季語→過去の名句の連想を重視していると知り、綿虫といえば……と、この句を思い出した。

つまり生駒句の「間遠き光」とは、ひょっとすると、波郷の句の「屍が出でゆく門」が開くたびに、見える光なのではないか。

死後の世界は常夜というけれど、逆に自分のいるこの世が薄闇で、遠くにあるその門が開くときだけ、あちらの世界の光がかすかに届く。そのとき見えるふわふわした綿虫だけが、自分が、こちら側にいることの証しのようだ、と。

ここまで踏み込んだら、ふつうは「読み過ぎ」と言われても仕方ないだろう。しかし『水界園丁』の句には、一見、書かれていないことが、先行句を借りて書き込まれている、というのが、自分の解釈なのだ。

こんな句もある。

 死を思ひ寒晴半歩下がりけり 生駒大祐

時間を表す四音の言葉が、助詞抜きで中七に挿入される型は〈時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎〉からか。しかし、死を思って/寒晴に/半歩下がった、というこの句の三つの要素は、統一的な心像をつくることに失敗しているように思える。

 寒晴やあはれ舞妓の背の高き 飯島晴子『寒晴』(1990)

しかし、生駒句には、晴子のこの名高い句の「寒晴」が響いているのだと思った(*4)。

だとすれば「半歩」下がることについての読みは、こうなる。「寒晴」のなか、死についての想念がよぎったとき、自分は晴子の句の、背の高い舞妓を見た。逆光のなか、半ばシルエットのそれは、恐ろしいものだった。自分は、舞妓とその長く引く影をおそれて(三歩下がって師の影を踏まず)あとずさった、と。(*5

驚くべきことに、生駒は、季語を介して過去の名句を想起させるのみならず、その句と自分の句の時空をつなげてしまう。

綿虫」の句も「寒晴」の句もそうだし、次の句もそうだ。

 覚えつつ渚の秋を遠くゆく 生駒大祐

この「覚えつつ」(=自然と思い起こしつつ)は何を対象とするのか。句末まで読めば、「いま(そこを)遠く(はなれた場所を)ゆきつつある「渚の秋」のこと」と取ることが可能になるのだけれど、その心許ない迂回路を見つけるまで、「覚えつつ」は目的語を探してさまよう。上五のあとの、やや深い間を利用して、それが「書き忘れられたかのような」印象を与えることが、この句の不思議さの中心にある。

 渚にて金沢のこと菊のこと 田中裕明『花間一壺』(1985)

」で秋ということしか合っていないけれど、生駒のような書き手が「」と書くとき、この句を全く意識しないことはありえない。だから、「覚えつつ」の対象は、どうしても、この句の裕明のことだと思われる。

裕明は、渚に座って、懐かしい秋のことを話している。生駒の句の中の人は、裕明のいる「」のことを思いつつ、自分の今を、過ぎてゆく。

「渚」と「秋」というキーワードを通して、裕明の句の時空と、生駒の句の時空はつながっていて、この句の場合は、そのつながっているということ自体が、句の内容になっている。



ここまで『水界園丁』の、先行句をプレテキストとする方法について、見てきた。

以下の節(次週掲載予定)では、まず、その方法の持つ意義を確認したい。

多いとはいえ、『水界園丁』の先行句を持つ句の占める割合は、20%以下だと思うので、続いては、その他の(先行句が見当たらない)句にも共通する、生駒の方法意識について考えたい。

さらに、自分が、この句集の達成であると考える、いくつかの句を紹介したい。

(つづく)


*1 森澄雄の「写し書き」については、こちらを。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2017/05/blog-post_74.html

*2 「「ねこじやらしまた」の「また」がうれしい。この細やかな呼吸が裕明のものだ。「似つかはし」きものは「ねこじやらし」だけではない、としてくれているのだ。」(小澤實/『田中裕明全句集』「栞」より)

*3 兜子の「夢ふたつ」は遺稿から、死後、刊行された全句集に収録された。兜子の「夢ふたつ」の句じたいが、晴子の句への応答だったのかもしれない。

*4 作者自身から「死を思ひ」の句の「寒晴」は、晴子の句の「寒晴」だと聞いた。ただし、ここに挙げたほとんどの「読み」の妥当性は確認していない。

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