句集を読む
死と友情
生駒大祐『水界園丁』の方法について(後編)
上田信治
>>(前編)プレテキストと複雑
4.『水界園丁』の方法の新しさ
金子(兜太) 僕は俳句、短歌っていう短定型詩は、もじり、本歌取りの集積を基本に置いてできてると思う。
宗(左近) だから本歌取り、やめてほしいんです。
金子 いや、駄目です。これは日本短詩形の興味尽きない伝統なんです(…)本歌取りを、どううまく定型に使って、今後やっていくかというところに、一つの宿題があると思ってるわけです。
宗 引用の織物になってくると、何が失われてくるかというと、本歌を作った人の、僕の言葉を使うと、宇宙とか神様との付き合いの瑞々しい厳しさが、薄れちゃうわけですよ(…)
金子 ええ。よくわかります。わかりますがね、違う言い方をすると、本歌取りをすることによって、いまの魂のカケラみたいなものを受け継ぎながら、カケラですよ、自分の魂が生かせる場合があるんですよ。金子兜太は、折に触れ「もじり」「本歌取り」が、俳句にとっても重要であることを語り、自作としては〈よく眠る夢の枯野が青むまで〉のような、芭蕉のもじりがあるけれど、本人も「宿題」と言っているように、多分に理念先行的な発言だったようだ。
(鼎談「21世紀の俳句を考える」(出席|金子兜太・三橋敏雄・宗左近 単行本『21世紀の俳句』1996)
現代俳句において、本歌取り、引用という文脈で語られる作家というと、まずは、阿部青鞋。
かたつむり踏まれしのちは天の如し 阿部青鞋
我むかし踏みつぶしたる蝸牛かな 鬼貫
あとは、加藤郁乎、高山れおなくらいだろうか(*1)。
○
しかし引用は、文芸・詩歌の伝統の一部だ。
古今東西のあらゆる文學作品に廣義の本歌取りの範疇に入らぬ作はない。
事、日本の詩歌に限っても、後世數知れぬ歌人の本歌取り作品の本歌となつて神格化され、あるいは完膚なきまでに食ひ荒された萬葉集の、その代表歌人の一人、柿本人麿の作品にしたところで、
六朝後期から初唐にかけての絢爛たる支那の詞華を本歌にしてゐるし、六朝詩は前 漢・後漢文學といふ傑出した本歌を有ち、漢は周の、周は殷のと本歌の源を探つて行くなら、
つひに、行きつくところは「言は神なりき」のその神以外考へられまい。日本の詩歌の歴史には、その本歌取りの手法を開花させた「新古今和歌集」があり、さらに、俳諧は、貞門、談林はいうに及ばず、蕉風が本格化した後もなお、安東次男がその評釈において、
塚本邦雄「本歌取りについて」(『花月五百年』所収)
こういう句は、独合点な解釈をきめるよりも、まず作者の謎掛の趣向をよく見定めることが大切だ(『連句入門』所収、元禄六年「夷講の巻」評釈より)と書くように(謎掛け!)、まず古典の教養を媒介にした付け合いをベースに展開された。
○
しかし、俳句は正岡子規の改革によって、シリアスな近代文学として生まれ直し、現代に到るまで、引用、あるいは本歌取りという方法を、ほぼ忘却してきた。
つまり、生駒大祐が、引用という方法を集中的に展開することは(歴史的な根拠はあるけれど)現代俳人としては「変わり種」に属する。
しかも、彼は、それを言語遊戯としてではなく、近現代のシリアスな俳句のトーンで、美や自己表出の価値を信じている人の書き方で、書いている。さらに、彼がプレテキストとするのは、主に現代俳句の秀句である。
高山れおなや加藤郁乎が、アンチ近代かつ超モダンな精神性をもって江戸俳諧に遊ぶのとは異なり、生駒は(まじめに)現代俳句を継承し、その少し先へ進もうとしている。巨人の肩に乗る、という喩えがあるけれど、生駒は、俳句の先人が斃れた地点から歩き始めようとしているのだ。
そして、連歌や俳諧が、古典の知識を共有するサークルにおいて生産されたように、生駒は、無意識的にかもしれないが、現代俳句への憧憬を共有する読み手を「仮想」して書いている。そのサークルには、生駒自身と私たちの多くが含まれている。
それは、気がついてみれば、誰もやっていなかった新しい方法だ。
○
直接のプレテキストを持たない句も、おそらくは、俳句の言葉から言葉を得て書かれているし、ものの言い方、フレージングは、複数の俳人の声調を参照して作られている。語彙は、彼によって生きられた時間からではなく、抽象的な言語空間から選ばれている。
先行句がありそうな気がするけれど、ない、という句が多い。要するに、彼の句の言葉には、引用された言葉の徴がある(これは、れおな、郁乎にも言えることだ)。
それらのことを、ここでは「引用的」と呼ぶことにする。
5.「引用的」であることからくる特性
彼の俳句の言葉が「引用的」であることから発する特性を、列挙してみる。
①実体性の希薄さ
僕はあまりものを見ないで作るんですよ。言葉から俳句を生みだす試みをやっている。
例えば、あるおもしろいと感じた言葉があるとして、言語空間上の抽象度を上げることで自分が感じた面白さを抽象的に獲得する。その抽象度を再び下げて別の言葉に着地させる。
こういう作り方も僕は一種の写生だと勝手に思っています。言葉から言葉を、俳句から俳句を作っているのだから、この世界と言葉の結びつきは弱くなる。言葉が、人間の自然性からいったん剥がされて、俳句内部のニュアンスと関係性からなる、人工的な俳句言語に移植されるのだ。
(前掲「ねむらない樹」座談会)
昼眠るため文ひらく鳥の恋 生駒大祐
この句は、おそらく次のような句との関係において、書かれている。
ねそべりて手紙を開く子規忌かな 田中裕明『夜の客人』2005
雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし 飯田龍太『春の道』1971
生駒句の「文」と、裕明句の「手紙」。生駒句の「昼」と、龍太句の「日暮れ」。先行句と比べて、生駒句の言葉の実体性の希薄さはどうだろう。
裕明の「手紙」は、たしかに何かが書いてある。龍太の「雪の日暮れ」には空気感がある。生駒の句の言葉は、全てが、俳句のなかで見られている夢のようだ。
もっとも、この句は「鳥の恋」の付きかたによって抽象的になっているので、作者は、これまで見てきた他の句と同様に、また、複雑になるほうを選択しているだけだとも言える。
②複雑さ
作者は、書くことの細部を「操作」と「レイヤー」という言葉をつかって説明する。
「「翡翠」と「復讐」という強い言葉を合わせた操作は、具体的な意味でくっついたというよりは、抽象的な言語空間上の距離が近かったからだと思うんです。抽象度の高いレイヤーに作者の主観がある。そのあたりの感覚が(服部さんは自分に)似ていると思いますね」「レイヤー」というのは、複雑なことを問題のレベルごとに区分けして処理するという意味だ。「操作」というのは、彼が、書くことのプロセスを、そのように分化し意識化しつつ、行っているということだろう。
(前掲「ねむらない樹」座談会より〈わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり脱けて翡翠 服部真里子〉について)
「翡翠」と「復讐」が近いという話から想像するなら、彼の思考には、「滅法」という言葉と「里芋」という言葉が似ている、という言語に対する抽象的選好のレイヤーがあり、「滅法好き」という言葉から〈酢昆布が好きで椿が満開で 波多野爽波〉〈コンビニのおでんが好きで星きれい 神野紗希〉といった句が想起され「型」として置かれるレイヤーがある。それらの階層は、読者からは見えないけれど、見えるところには「里芋」が好きな作中のキャラクターが設定される、ヒューマンな想像力が仕事をするレイヤーがある。
里芋が滅法好きで手を叩く 生駒大祐
じつは、誰にとっても、複数の判断の総体から、読者に手渡される「何ものか」を先取りし、遡行して、諸要素を17音に布置していくのが「書く」という行為なのかもしれない。
しかし、生駒の判断は通常以上に多くの階層にわたり、さらに、そのような空中戦のどこかで、彼は「操作」を加え一句の複雑さを増す工程の必要を感じるらしい。
〈昼眠るため文ひらく鳥の恋〉の句の〈鳥の恋〉には、直感的に分かる不自然さがある。
たとえば「遠蛙」とでもしてくれれば、その人のいる場所が空間として成立し、すんなり眠れそうなのだけれど、それでは、句の時空が一元的になってしまい、作者は不満なのだろう。
おそらくこの「鳥の恋」の選択には、先行する二句の作者による〈暗幕の向う明るし鳥の恋 田中裕明〉と〈百千鳥雄蘂雌蕊を囃すなり 飯田龍太〉が影響している。
しかし、裕明と龍太の句の重心は「鳥の恋」と「百千鳥」にあって、全体がそれと釣り合うように構成されているけれど、生駒の「鳥の恋」は「昼」に内容を充填することなく、コラージュのような人工的手ざわりと複雑性を生じさせている(*2)。
彼の方法は、レイヤーを増やし操作的に扱うことによって、一句をどこまでも、複雑にしてしまう。
③現代性
彼の句の複雑さは、現代性あるいは同時代性の要請によるものではないかと思う。
「引用的」な方法は、しばしば擬古典性に向かう。
たとえば歴史上の全盛期の作品を最上のものとして、その再現を企図する作者は、現代にも多く存在する。その「新しさ」の拒絶と過去の理想への立てこもりを、正統的かつ反時代的で過激な創作姿勢として、評価することもできる。
しかし、そのような表現を、さらに未来の人が読んだら、どうだろう。無駄なことをしていると思う場合も、あるのではないか。
生駒は「引用的」に書きながら、つるんとしたレプリカ(複製品)を作ってしまわないために、わざと完成度を脱臼させる必要があった。そう考えてみたい。
鳴るごとく冬来たりなば水少し 生駒大祐
曜変天目茶碗枯れた日の差すかな 〃
暇すでに園丁の域百日紅 〃
「水少し」の、舌っ足らずさ加減。「枯れた日の差すかな」の字余り、ろれつが回っていないかのような語法のあやしさ。「暇」の一語にあらわれる、現代口語のニュアンス。
それらは、複雑に構成された、予定調和からのはみ出しであり、作者の手の跡であり、意図された傷である。
俳句らしさのトーンとマナーのコントロール下にある、一見端正な言葉の連なりに、そうやって、彼は、かすかなノイズのような(しかし、気づいてしまえば紛れもない)私性と、ユーモアを忍ばせる。
そのような工程をへて、彼の書くものは、俳句の現在に属する作品となり、時代精神を共有する読者に向けて書かれることの意味を見出す(*3)。
6. まじめに考える彼 ──「継承性」と「普遍性」
しかし、これら(*4)を俳句であるという前提で読んだ時、僕は奇妙な歪さを感じるのを禁じ得ない。この感覚は一体なんなのだろうか。「継承性」は、彼のオリジナルの概念だろう。
その問いに答えるために、あえて僕は別の問いを立ててみる。すなわち、「俳句の必要条件は何か」。この場合あるいは、「一行詩と俳句を分けるものはなんなのだろうか」と限定してもよい。
僕にとっての「その言葉が俳句であるかどうか」の必要条件は「継承性があること」である。継承性とは、その作品が過去の俳句作品から何かを引き継いで一句を成立させているということだ。
生駒大祐「受賞作を読む/俳句が俳句であったために」(『2017年版俳誌要覧』東京四季出版より)
それが俳句であるか否かを分けるのが「継承性」であるという論理には、直感的に納得できるものがある。
しかし、彼は、そう考える理由として「暗黙の約束事を使うと上手くいくことの説明になる」「そう判断することが、納得を得やすく容易だ」という2点をあげて、自分のアイディアをそれ以上説明することを放棄してしまう。
彼は、いつも、俳句の書き手として、それを、内部からまじめに考えている。
だから「継承性」についても、外形的定義(例:五七五で季語がある)でも、制度的定義(例:俳句という制度の内部で書かれる)でもなく(そんなことは誰でも言える)、「俳句とは、過去の俳句から何かを引き継いでいる感じを与えるものである」という、本質論的定義の形で、直感していたはずなのだ。
では、そのとき、継承される「何か」とは、何か。
○
俳句が内包するなにか一つの要素(季語とか、抒情とか、切れとか)を、俳句の「必要条件」と定めてしまえば、それに当てはまらない俳句を説明できなくなる。だからその「何か」は、明言しようとすれば(本質論がすべてそうであるように)「俳句性」とか「俳句らしさ」とか、そういうトートロジーに帰着せざるを得ない。
先人は、その継承される「何か」を知っていた。
私たちも、何となく知ってはいるので、俳句が「書けて」いるけれど、その「何か」を、もっと深く掴むことができれば、より俳句の本質に近づくことができる。
ある書き手は、その「何か」を、あらかじめ深く知っていたかのように、いきなりそれを書き始める。
対して、時間をかけて自己形成を遂げた書き手である生駒は、その「何か」を、作品の「引用性」を高めていく過程で、掴んでいったのではないか。
○
ヴァルター・ベンヤミンは『翻訳家の課題』(*5) の中で、言語間の翻訳を行うときに為されるべき課題について論じている。
ベンヤミンによれば、翻訳とは、原作によってすでに明らかにされたことをただ別の言語に表し直す行為ではない。
むしろ、翻訳とは、原作の意図を異なる言語によって志向する行為であり、翻訳が可能であること(翻訳可能性)を示すことによって、それぞれの言語に隠されている「真の言語」を指し示す行為である。ちょうど、読みはじめた本にこんな一節があって、ああ、これが、彼がやっていることだ、と思った。
『二つの「この世界の片隅に」 マンガ、アニメーションの声と動作』細馬宏通(2017青土社刊)
彼は、過去の俳句の響きあう場に耳をすませ、キャッチした声を、自分の言葉に「翻訳」するようにして書く。
一句が丸ごとメロディとして飛び込んでくることもあるし、何十という句の残響が、彼にそれを書かせることもあるだろう。
そのとき、先人の句と彼の句は、ベンヤミンの言う「真の言語」を、共有する。
そうやって共有されていく「何か」こそ、彼が「継承性」という言葉で表現したものに違いない。
彼は、先人の型に合わせて歌いながら、その俳句的な肉体とでもいうべき「何か」を、継承したのだ。
○
もう一つ、彼の発言を引用する。
今回合評鼎談に参加させていただくにあたり、僕が個人的に抱いていたテーマは「現代の俳句において普遍性をどう捉えるか」であった。
僕の信条では、俳句が歴史の風雪に耐えて後世まで生き残るためには普遍性が不可欠である。今年初めまでの僕にとって、普遍性は一般性あるいは被共感性とほぼ同義であり、普遍性を追い求めることは月並や過去の類想との闘いであった。
このテーマを巡っての 鼎談でのやり取りの中では、片山由美子氏の「若い人は『普通』を恐れるでしょう。普通ではないことをやらないとダメなんだと。じゃあ俳句にとって普通とは何か、これは大事なことだと思うのです」という発言もあった。
私の考えでは、これは若い作家のみならず現代の多くの作家にとって考える価値のあるテーマであり、これを考えることは現代の俳句のあり方の一側面を照らし出すことになるのではないだろうか。「今年初め」というのは、先に挙げた『俳誌要覧』の執筆時期のおよそ一年後にあたる。
生駒大祐「合評鼎談総集編 今年の秀句を振り返る/俳句における普遍性について」(『2018年版角川俳句年鑑』より)
片山由美子の言う「普通」は、生駒に例の「継承性」の核にある「何か」を純化したものとして、受け取られただろう(片山は「普通でないこと」の追求を無意味化する強度をもった「普通」のことを言っているのだから、そういう話になる)。
いっぽう「普遍性」は、その追求によって「歴史の風雪に耐えて後世まで生き残」り、同時に「月並や過去の類想との闘い」(レプリカ性の拒否!)を可能にするものとされている。
つまり彼の言う「普遍性」は、「継承性」と対になるかたちで、延長線上に構想されている、と考えることが可能だ。
── 俳句には、ジャンル全体を通じて継承される本質があるけれど、個々の作品でそれを追求し純化することは、一般性や被共感性を失うことにもつながる。
しかし、もっとも偉大な俳句(継承されるべき本質にもっとも近いと考えうる俳句)が、普遍性を獲得し歴史の風雪に耐えたのだとすれば、俳句性の純化と普遍性の獲得、そして月並や類想との闘いは、ひとつの課題として解決しうるはずだ ──と、彼の思考を想像してみた。
なぜ、そんな想像が可能か(やっていいか)といえば、俳句作りの専門性において高度であるということと、泣いてしまうような抒情の両立こそが、『水界園丁』という句集の達成だからだ。
7.『水界園丁』の達成(その、ほんの一部)
ここから、すこし、鑑賞のようなことをするけれど、これまでのように、あまり先行句のことばかりを、書かないようにしよう。
芍薬の夢をはなれて雲平ら 生駒大祐
なにか先行句があるだろうかと、あれこれ考えたけれど、そんなことはどうでもよくなる、玉のようなカンペキ感のある句。
人のいない景(と読んだほうが、この句の美しさに適う)。芍薬の、ぼってりした姿と色彩という花自体が、夢、しかもそれは、芍薬の見ている夢なのだ。花の夢が気化して、五月の空をのぼってゆくと、そこには平らな雲がある。白い雲かもしれないけれど、うっすらと紅みを帯びた雲かもしれない。色と形がいろいろあって、面白く、美しい。
彼の句が複雑性の追求をやめるとき、その句は、甘やかな抒情に到る。たとえば、それは、
雨は野をせつなくさせて梨の花 〃
雲は雨後輝かされて冷し葛 〃
のような句だ。こうして並べてみると、この〈冷し葛〉は、花として描かれているのだ、とわかる。
ゐて見えぬにはとり鳴けば唐辛子 〃
私はその家に「にはとり」が居ることを、知っていたのか? 知らなかったのか? どちらにしても「にはとり」は、いきなり鳴いて、ここは「にはとり」が鳴いた家になった。起こったことは、すべて一つのことだった。ところで、この「唐辛子」は、本当にあったのだろうか(と、自分は、この句から、禅の公案のような感触を受け取った)。
水中に轍ありけりいなびかり 〃
水中につづく轍には、あちらの世界への入り口という隠喩が見え隠れしている(映画「千と千尋の神隠し」の、湖に続く線路の記憶もあるかもしれない)。いなびかりで水面が光れば、いっしゅん、その入り口はとじるけれど、逆に、この世に死の気配が満ちる。あるいは、視点は水中にあって、轍という車輪の立体的陰画が、アニメーションの雷のようにカッと白黒反転することをイメージすることも可能だ。
ここにあげたような句には、先行句がありそうで、たぶんない。
○
疼痛のたとへば花の水面かな 〃
型は〈橙のいはゆる贋の記憶かな 田中裕明〉『櫻姫譚』を「写し書き」しているけれど、心はむしろ、水に触れることと痛みを通して、
詩の神のやはらかな指秋の水 田中裕明『夜の客人』
と共鳴している。
なぜ「詩の神」の句に痛みがあるかいうと、この句は「発病」と前書のある〈爽やかに俳句の神に愛されて 裕明〉『夜の客人』とつながっていて、神に愛され過ぎたものは夭折するという物語のうちにあるからだ。
裕明の(そして生駒の)頭には、樋口一葉の「日記」の最後に書かれていたという言葉「我れは人の世に痛苦と失望とをなくさめんためにうまれ来つる詩のかみの子なり」があったとも考えられる(裕明の二句を収める『夜の客人』のエピグラフには、一葉の「嬉しきは月の夜の客人」にはじまる一文が引かれている)。
(その人の)痛みを思うとき、落ちた花びらが水にふれることを思う。花びらが水面をうめるとき、その生はどのようなものとしてあるのか、と。
先行句と交響する関係、思いの深さ、引き出されたイメージの美しさ、いずれも申し分なく、俳句の本歌取りの典型となるような一句。
○
秋淋し日月ともにひとつゆゑ 生駒大祐
この句は、芝不器男俳句新人賞の選考会で、選考委員の中村和弘に、激賞された。
これにも、元句がある。
日月や走鳥類の淋しさに 三橋敏雄 『真神』1973
が、それだ。
この敏雄の句も、非常にふしぎな句だ。「日月」の運行する天地の中心にあって、駝鳥とかエミューの類の鳥が淋しい生きものであることに、思いをはせた──というのだけれど。
じっと見ているうちに、この句は、芭蕉の絶唱、
此秋は何で年よる雲に鳥 芭蕉
の句の上に、重ね書きされているのかもしれないと思った(*6)。
芭蕉の晩年の寂寥感を託された「雲に鳥」に心を寄せて、敏雄は、天空をめぐる「日月」のもと永遠に走り続ける走鳥類の淋しさを、唱和したのではなかったか。
その想像を許してもらえれば、生駒の句が「秋淋し」と切り出されるのは、芭蕉への「返り」であると見える。そして、生駒は、二人の句から、天体の運行だけを残して「鳥」を消してしまった!
「日月ともにひとつゆゑ」は、人間が月と太陽が1個ずつしかないことを恨んでいるのではない。思いの主体は天体であり、日と月が、互いにとってただ一つのものであること、見えていて会うことのできないその相手しかいないことに、つくづくと(うっとりと、と言ってもいいかもしれない)感じ入っているのだ。
敏雄や芭蕉の句と並べて、十分に「あっていい」丈高さに、驚かされる。この句は、私たちの時代の「名句」のひとつに、数えられるのではないだろうか。
○
「秋淋し」の句、そして前編で触れた〈もう一度言ふ蕪提げ逢ひに来よ〉に加え、
窓の雪料理に皿も尽くる頃
友失せぬ欅を楡を置き去りに
ぶつからず揺れて互ひを恋ふ木かな
五月来る甍づたひに靴を手に
汝まるで吾白鯉匂ふしづけさの
のような句を見ると、生駒のもっとも大切なモチーフに、友情があることがよく分かる。
くわえて「前編」に引用した、
高屋窓秋の「鳥世界」の連作
さるすべりしろばなちらす夢違ひ 飯島晴子
ゆめ二つ全く違う蕗のたう 赤尾兜子
死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 藤田湘子
綿虫やそこは屍が出でゆく門 石田波郷
渚にて金沢のこと菊のこと 田中裕明
詩の神のやはらかな指秋の水 〃
のような句に共通する傾向と、それに深く共鳴してしまう彼のことを思う。
この句集には他にも〈もの音や人のいまはの皿小鉢 敏雄〉〈父の忌にあやめの橋をわたりけり 永田耕衣〉〈大雷雨鬱王と会ふあさの夢 赤尾兜子〉〈大雷雨ぺんぺん草は立ち向ふ 藤田湘子〉〈冬木の枝しだいに細し終に無し 正木浩一〉を連想させる句がある。
彼は、これらの句に現れた、死のイメージに惹きつけられてはいないか。
死と友情か、と思った(*7)。
○
誰かが俳句を作り、別の誰かがそれを読み、何かが伝達されるというコミュニケーションの最適化問題において、考えを深めてゆきたい。
(「俳句界」2019年3月号 座談会「平成俳句とその後を語る」より)俳句が、何かを伝達するコミュニケーションなのだとしたら、彼が得た、その「最適」解とは、なにか。
彼にとって、それは、その素質のもっともナイーブなものを手渡すことであったのだろう。
もっともナイーブなものとは、友情への憧れや、死のイメージに惹かれることや、〈芍薬の夢をはなれて雲平ら〉のような抒情や、そういったものだ。
それは、彼が今日までに培った心的要素の配合から生まれる、彼だけがこの世に持ち込めるものだ。それを、純度高く伝達することが、もっとも新奇性と唯一性を高める(月並や類想から隔絶したものにする)方法であるのは、当然だろう。
彼の「実体性を希薄にすること」「引用的に書くこと」「複雑にすること」「操作的に書くこと」などの方法は、いわゆる内容が何もなくても、要素間のふくざつな照応関係を生じさせる書き方だった。
そうしてつくられた高度に構造化された意味の空白に、人のもっとも私的な「生きてきた感想」(*8)が、抽象的な何者かの声として響く。それは、俳句という方法の不思議だ、としか言いようがない。
それは『水界園丁』という句集のエッセンスであり、彼が敬愛する作家たちが、そのピークにおいて成し遂げてきたことでもある。
○
ひぐまの子梢を愛す愛しあふ 生駒大祐
異質な句。この句には、本当に驚いた。
2012年に小誌「週刊俳句」に掲載された100句のうちの一句(*9)。
ひぐまの子が二匹いて、梢を愛したり、互いに愛しあったりする、とも読めるし、ひぐまと梢が愛しあうとも読める。この句は、二重に読めて、それでいいのだと思う。自分が一頭なのか二頭なのか分からなくなるくらい、本能として愛するし、愛し合いたいんだ、ひぐまの子たる自分たちは ── と。
これもある意味、友情の句だと思うけれど、孤独だから人恋しいと言うのではなく、自分たちが、はじめから愛の子であることを、高らかに歌いあげている。
なんて、心が深いんだ、と感嘆した。
○
『水界園丁』は、ここ数年でいえば、『凧と円柱』(鴇田智哉)『君に目があり見開かれ』(佐藤文香)『天使の涎』(北大路翼)『フラワーズカンフー』(小津夜景)『自生地』(福田若之)『記憶における沼とその他の在処』(岡田一実)などに続く、一冊ごとに俳句の新しい世界を開く、コンセプチュアルなたくらみと、詩としての強度を持った句集だ。
きっと詩や短歌の読み手を楽しませるだろうけれど、自分の本音を言えば、俳句の「中」の人が、この句集に、驚いてくれればいいと思っている。
本稿に取り上げたのは、この句集の達成の、ほんの一面に過ぎない。
これ以上、自分が、言葉を費やす必要もないだろう。
ぜひ、ご一読を。そして、お会いすることがあったら、この良さを語り合いましょう。
(了)
*1
日の春をさすがいづこも野は厠 高山れおな
日の春をさすがは鶴の歩みかな 其角
牡丹ていつくに蕪村ずること二三片 加藤郁乎
牡丹散てうちかさなりぬ二三片 蕪村
正直、れおな、郁乎の二人のフレーズの由来を探ることは、自分の能力に余る。高山句について『天の川銀河発電所』の解説対談で、其角の句の存在を忘れて語ってしまったことは、まあ、一生の痛恨事。
あと(と、さりげなく話を変えるけれど)岸本尚毅には、虚子ほか「ホトトギス」の俳人の、発想やフレーズを、さりげなく利用した句が多い。
月光はとめどなけれど流れ星 岸本尚毅
大海のうしほはあれど旱かな 高浜虚子
生駒の〈刈稲の光はあれど散蓮華〉〈星空にときをりの稲光かな〉には、この句の残響がある。
また、例外として、
折るふねは白い大きな紙のふね 渡辺白泉
居る船は白い大きな黴の船 三橋敏雄
水遊びする子に手紙くることなく 波多野爽波
水遊びする子に先生から手紙 田中裕明
のような、師に向けたオマージュのような本歌取りがある。
*2 彼が、だれかから来たメールを開いて、薄い恋のムードのなか眠ろうとしているという読みは可能だ。
*3 成功する擬古典的な表現は、過去に対する強い否定のモメントをはらんでいるのではないかと思う。田中裕明の、そういう意味での先鋭性については、よく知られるようになった。裕明は、無意識とも見えるやりかたで、一筆で、それを達成してしまうわけだけれど、生駒は、その現代性を、複数の工程をへて、また別の新しさを持った形で、実現している。
*4 第十五回俳句四季大賞受賞作である『石牟礼道子全句集』を評するために、前提条件を確認しようとしている一節。けっきょく石牟礼の句について、彼は、1行詩として高く評価しつつ、これは「俳句ではない」という判断を下す。
*5 「ベンヤミン・アンソロジー」(河出書房新社)
*6 〈此秋は〉の句には、ただ今と、全人生と、永遠の、三つの時間が一つの場面に描き込まれている(…)頭上の雲と二重写しに、年が波のように「寄る」ことが見え、鳥は、下五の凝縮された語法によって現在に嵌めこまれ、永遠に静止している。(上田信治「龍太はなぜそれを言ってくれないのか」「ku+ 1号」より)
*7 健康には、気をつけてほしい。
*8 ワタシは自分の娘に「芸術ってなに?」と聞かれた時、とっさに「生きて来た感想だよ」とわかり易すぎる答えを言って呆れられたが、よくよく考えるとまったくそのとおりだとも思います。(いがらしみきお「原千代さんのこと」合同句集『水の星』2011より)
*9
http://weekly-haiku.blogspot.com/2012/07/272-201278.html
彼の作品を見るたびに驚くようになったのは、2014年くらいからという記憶があるのだけれど、「週刊俳句」にアーカイブされている、角川俳句賞応募作や、特別作品を見ると、そのずっと前から、彼の発表作品にはずいぶん「大当り」があって、自分は、彼のやっていることが、本当に理解できていなかったんだと反省している。
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