2019-10-06

【七七七五の話】第4回 愁と怨 小池純代

【七七七五の話】
4回 愁と怨

小池純代


日本の連歌連句の起源をどこに求めるか諸説あり、そのうちのひとつに中国の聯句も数えられる。聯句の起源もまた諸説あって分岐点がたくさんある。受けて返して放つという言語運動が、みなさんともかく好きなのだろう。

李賀の「独吟聯句」は百句からなる聯句。男女二人の掛け合いを両吟に仕立てたもの。登場するのは遊び人の宋玉と彼の言葉敵、嬌嬈。遊里を舞台にした口説合戦である。ごく一部を引く。

 沽酒待新豊 宋玉
 短珮愁填粟

 長絃怨削菘 嬌嬈
 曲池眠乳鴨

宋玉の「短珮愁填粟」を嬌嬈が「長絃怨削菘」と受けている。「愁」も対して「怨」を持ち出すところに感情の濃淡の差がほの見える。「珮」は帯の飾り玉のこと。「短珮:長絃」「填:削」「粟:菘」、びっしりと対をなす。対を蝶番にして延々百句五十韻が続く。

対のみならず、押韻、典拠、一字一語一韻一句から無数のニューロンが突き出していて、言葉の要素が互いに照らし合い、映し合う。そんなネットワークが密であればあるほど、風通しがよく感じられるのが不思議。李賀だからなのか、漢詩だからなのか、言葉だからなのか。

ちなみに「曲池眠乳鴨」には「小閣睡娃僮」が続く。曲がった池は小さな部屋に、眠る子鴨は睡る童子にそれぞれ変貌する。前世の面影を残しながら生まれ変わり死に変わりする。そこは日本の連句に近いだろうか。

この「独吟聯句」の舞台と人物は、俚謡のモードに合うのではないか。原詩の風通しもいいことだし、上七中七下七座五の二十六音に移しかえてみた。

酔ふか酔はぬかいろまち小笹愁ひほつほつ灯す頃
怨みつらつらつのらす端唄水に流して浮かぶ鴨
すべてを掬って三四・四三・三四・五に収めるのはもとより無理。ひとつふたつの経絡と空隙を拾ってつなげるに留まった。言うまでもなく意訳ではない。

どどいつ贔屓のポール・クローデルに「三声のカンタータ」がある。年齢も境遇もばらばらの三人の女性の不定型の短句で構成されている詩劇だ。作者の晩年の言葉「一人の人間のなかには、幾つもの心の流れがある」には聯句、連句につながる流れ、また、東洋の俗曲に及ぶ流れもあったのではなかろうか。

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