2019-10-06

再録にあたって 高山れおな

再録にあたって

高山れおな

ここに再録した田中道雄氏の論文「〝古池や〟型発句の完成 ―芭蕉の切字用法の一として―」は、昭和四四年(一九六九)二月一五日発行の佐賀大学文理学部紀要「文学論集」第一〇号が初出である。

拙著『切字と切れ』を執筆するに際し、切字とは何かを理解するための基盤を与えてくれたのは、この田中氏の論文と川本皓嗣氏「切字論」、藤原マリ子氏「切字小考―切字論の再検証」「『切字』機能考」という四つの論文であった。

川本氏の「切字論」は発表時(一九九七年)にかなり話題となり、それが収録されたムックの入手も比較的簡単であるし、また藤原氏の所説についてはこのたび刊行された川本氏の新著『俳諧の詩学』に所収の「新切字論」がそれを反映したものとなっている。

これに対して、田中論文はすぐれた内容を持っているにもかかわらず、単行本等に収録されなかったためもあり、ほとんど活用されないまま今日に至っている。拙著では、第三章第二節でかなり詳しくその内容にふれているが、広く全容にふれていただくに如くはなしと、田中氏のお許しを得て、ここに全文を再録した。

田中氏の論文はひと言で言えば、「や」の使用法の歴史について統計を踏まえつつ分析したものである。「かな」が連歌時代から今日に至るまで、句末で言い切ることを第一義として、ほぼ同じ用法と機能を保持しているのに対して、「や」は時代によって相貌を大きく変化させた切字である。田中論文は、連歌時代から近世初頭までのその変化の相を実証的に追跡して間然するところがない。ただし、「や」の機能面については断切性の深浅という基準を重視して、それ以外のこまかなニュアンスの識別にはさほど踏み込んでいない(ふれていないわけではないが)。その点については藤原氏や松岡満夫氏の諸論文を合わせて参照するとより深い理解が得られるであろう。専門論文であるから平易とまでいうつもりはないが、田中氏の文章は全体に明快であり、必ずしも切字に興味のない人でも、俳諧成立の歴史をたどるという観点から楽しめ、また裨益されるところがあると思う。

田中道雄氏は佐賀大学名誉教授。昭和七年(一九三二)生まれ。佐賀大学文理学部卒業、九州大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、専攻は近世文学である。本論文執筆時には三十代で、論文末尾にあるように北九州工業大学助教授の職にあり、その後、佐賀大学、別府大学などで教鞭を執られた。著書に『蕉風復興運動と蕪村』(二〇〇〇年 岩波書店)、『天明俳諧集』全八巻(共編 一九九一年 臨川書店)、『新日本古典文学大系73 天明俳諧集』(共著 一九九八年 岩波書店)などがある。

*再録にあたり、傍点の打たれた文字は太字で示し、古句・古文の引用で用いられた二字分の踊り字は通常の文字で記した。またF形式をF型式と記す場合があったが、F形式で統一した。また、明らかな誤植一ヶ所を正した。

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