【句集を読む】
一枚の
吉永興子『子規球場』の一句
西原天気
俳句の短さ(音数の少なさ)についての言及をよく目にする。俳句はたしかに短いけれど、短すぎることはない。
春暁や和紙一枚の明るさに 吉永興子
言われていることは、夜明けの春障子。それだけ。内容的には17音も使わなくていい。
俳句は、なにかをコンパクトに表わすものでも、膨大なものを凝縮するわけでもない。数文字(数音)で済むものを17音近辺にまで押し広げる/薄く伸ばすこともしばしば。軽く明るく風通しの良い、もうひとつ別の調べ・響きが生み出される。
なお、「に」のあとに省略されたことは、作者に属するものではない。「に」で終えた作者は、そこで仕事を終え、以降、作品には関わらない。その潔さも、俳句の良いところ。
吉永興子句集『子規球場』(2019年9月/角川文化振興財団)より、掲句のほか、気ままに。
生きてゐることの朧やパジャマ着て 同
襤褸市や猫が寝てゐる蜜柑箱 同
薄氷や蹴る寸前の吾映す 同
2019-10-20
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