青本さんたちに、二人で出てもらった理由
上田信治
青本瑞季さんと青本柚紀さんの姉妹を、自分は、ほとんどいつも、とり違える。
「えーと、ミヅキさん?」「ユズキです」(または、その逆)というやりとりを会うたびに繰り返していて、しばらく話していると、もう大丈夫、見分けがついたと思うのだけれど、彼女らは、だいたい一人づつ現れるので、また二分の一以上の確率で、失礼をしてしまう。
そんな二人をセットのように見なすことは(人権的に)よろしくないのだけれど、この人たちを含めた何人かの書き手が、それぞれの方法で新しいことをやっていて、しかも、なぜか、よく似たあたりを攻めていることが、とても面白く、そのことが広く知られるといいと常々思っていたので、今回(偶然もあって)お二人で作品欄に出ていただくことになった。
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二人のやっていることの共通点を言えば、言葉の音やはたらきを、細かく分節し再構成するというアプローチだ。5・7・5を、さらに細分化した上で17音プラスαに構成するといような。
荻の袖眼の奥を歌たちのぼる 青本瑞季
萩に衣服を歌ふ手つきでこぼれだす
銀色の荻と衣服を幻視することから、歌が「たちのぼる」という内的感覚にスライドさせるわけだけれど、そのとき「眼の奧を」がパサーのように働いていること。「萩に衣服を歌ふ手つきで」の、3/4・3/4、というリフレインによって、七七五の頭のおもさが、歌謡のリズムに流れて(こぼれて)いくこと。二句目は、一句目と同じモチーフのバリエに見えるけれど(荻と萩で切り変えてある)一句目に見えていた主体が、二句目を読んでいく途中で消えていく、この浮遊感。
満ちて野の花さいごの水の輪を鳥が 青本柚紀
浮舟よ口に棗の緋を交はし
「満ちて野の花」同じ七七五でも、3/4・4/3と入って「(水の)輪を鳥が」(3/2/3)と、譜割りが細かくスタッカートのようであること(「水の」の3音は両側につながっている)。「浮舟」にはじまるエロティックなイメージが、口・棗・緋と連鎖していき、さいごに交歓の対手を見せずに、色+動作という抽象で終わること。
ここ数年、ものすごく複雑に分節するリズムを叩くドラマーが、新しい音楽をリードしていたようだけれど、そういうことを連想させて、どうしてこんなに、細かく感じながら書けるのかと、驚かされる。
佐藤文香や生駒大祐が示してきたような、新しい「書法」を、また先へ進めていこうという人たちがいるということを、知ってほしかったわけです。
2019-10-13
青本さんたちに、二人で出てもらった理由 上田信治
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