2019-10-13

内容/形式についての覚書 青本柚紀

内容/形式についての覚書

青本柚紀


今年は九月の末になっても相変わらず暑い日が続いた。秋らしいのは日差しがやわらいだことくらいかと思っていた頃、コンビニにおでんののぼりが立つようになったのを見た。

そこで思い出すのはやはり神野紗希の〈コンビニのおでんが好きで星きれい〉なのだけれど、東京都心で一人暮らしをするようになっても、この句の読みの大枠は初読時からついぞ変わらなかったことに気づく。句から読み取られることは、主体がおでんが好きであること、ひいてはコンビニのおでんを買ってみずからの暮らしに充足するような素朴な主体であること、そしてその主体が歩いている場所は星がきれいに見える程度には明かりが少ないということ、などだろう。そう、そこで背景に読み取られるのは郊外の風景なのだ。

星きれい〉という記述と同時に、前半のフレーズによる叙景や、一句が口語で書かれていることから読み取られる主体の純朴さが、句の背景にある土地を光にあふれたきらびやかなものに見せないようにしているといえるのではないだろうか。『光まみれの蜂』において提示されている主体のあり方として、それはあまりありそうなことではない、ということだ。

それは神野紗希のほかの句についても言えることだろう。たとえば〈花菜風君洗濯をしているか〉〈ここもまた誰かの故郷氷水〉などにおいても、一句自体が口語で書かれていることや、そこにはいない具体的な他者/見知らぬ他者にてらいなく思いを馳せることや、その契機との関係性において、主体の素朴さ、純朴さを読み取りうる。また、口語で書くということが、幼さ/若さ/素朴さのようなものを読み取ることを可能にしている。

このことが読みのうえで大きく効果を発揮するのは、それらの句が作者の名前の下に並べられたとき、すなわち連作や句集として発表されたときだろう。そこで起こっているのは、ある句から読み取られる主体のあり方が、別の句の読みを規定し、はたまたある句から読み取られる主体のあり方が、別な句から読み取られる主体のあり方を規定する、ということだ。



上述のような読みを前提とした句群の提示の仕方は、遡れば山口誓子の連作論に行きつくだろう。「かつらぎ」昭和七年十月号初出の「連作俳句は如何にして作らるゝか」において、誓子はつぎのように述べている。

「連作俳句」の創作は、必らず二つの過程を踏まなければならない。
二つの過程とは何であるか。
第一の過程は、「個」の俳句の創作過程であり、第二の過程は「個」の俳句のモンタアジユ過程である。
連作俳句を作る場合に於て、何人と雖、このことを強く銘記しなければならない。

ここでいう「個」の俳句とはしばしば言われる一句独立のもとにある句を指すのだが、第一の過程から第二の過程の橋渡しとして、誓子は次のような段階が必要だと述べる。

感情が作家を誘導してくれる。作家は感情のまゝに、ひたすら「個」として完成した俳句を作り続ければいゝのである。
斯くの如くにして、作家は「個」として完成した複数の俳句を獲得することが出来るであらう。(尤も之は一概には云へない。「個」として完成した俳句のあるものは、その時、その場所に於て得られなくて――同じ感情のもとに――他の時、他の場所に於て、漸く得られる場合もある)

ここから、同一の感情のもとに連作を構成する句を作ることへの要請を読み取れるだろう。実際、つづく第二の過程について述べた箇所では、

而てこの過程(=モンタアジユ≒構成 筆者注)を経て、曾て「個」の俳句が現出した個々の「感情の世界」は、その独自の存在を完全に主張しながら、その儘の姿に於て結成され、綜合されて、更に規模の大きい「感情の流れの世界」を現出する。
だから連作俳句にあつては、「個」の世界と「全」の世界との共存共栄が、実に麗しく実現されてゐるのである。

と、連作形式の目的が「感情の流れの世界」の現出であることが明らかにされている。連作によって、単純に記述量が増えることでそれが可能になったと言えそうだ。ここでのモンタージュは連作をつなぎとめるための、それを偶々まとめられたひとかたまりの記述にしない要素としても見ることができるだろう。

ただし、連作形式はあくまでも一句の外の形式であること――一句単体では書けない内容の実現が、俳句における形式的な発明(修辞的な発明と言ってもいい)ではなく、連作形式の発明、つまり一句の外の形式の発明によって成されようとしていた、ということ――には十分に注意しておきたい。



連作的な読まれ方の前提となる連作形式の成立について触れたが、一句中の主体のありかたについて話すのであれば、金子兜太のことは避けては通れないだろう。

兜太は「造型俳句六章」の第一章「主観と描写」において、大正初期の言説を代表して、高濱虚子の『俳句管見』から「俳句上の大問題は、五七五の調子の破壊でもありません、季題趣味の破壊でもありません。まづ作者めいめいの主観の涵養であります」という箇所を引用し、「ぼくの知る範囲では、俳句史のなかで、主観という言葉が、これほど意識的に語られた時期は、それまでになかったと思います。」と述べる。そのうえで、虚子の言う主観の意味内容をさぐるために正岡子規へと遡る。

そこで兜太は『俳諧大要』の「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。」という箇所をふまえた「美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。」と述べる部分などを引用し、「これらを綜括すれば、子規は、俳句(すなわち文学)の美の基準は、固定的な超絶的なものではなく、流動的な時間的なものとみていたということです。そして、そう見ていた理由は、あくまでも『各個の感情』の表現こそ俳句の根本の目的であると考えていたからでありましょう。」と、子規が俳句を近代文学として整備した際に重視したのが個人の感情であったとする。そして、それをふまえて「虚子の『主観』という言葉は、以上のように子規の認識していた個人の内包する個我の状態――平易にいえば『各個の感情』――を意味していると思います」として、虚子のいう主観の概念の意味内容を規定する。

つづく第二章「描写と構成」、第三章「構成の進展」において、兜太は、主観を表現するための手法のありかたの変遷と、その過程で一句に書き込まれる作者の内実が変化していったことを述べる。そして、それらをふまえ、第四章「主体」において「個我の状態としての主観、という概念で規定できない内実の姿がみられます。それをぼくは、主体(サブスタンス)と呼ぶことにします」として、主体という語を登場させる。主体がどのようなものであるかについて、主観に紐づけられている個我と比較しながら、兜太はつぎのように述べる。

図式的にいえば、個我は近代の内実であり、主体は現代のそれである、といって差支えないと思います。現代とは、先述しましたように、機械の高度の発達(いわゆるマシニズム)を土台として、人間の社会的存在としての部面が決定的に人間を支配している時期、いわば、政治、経済、文化などの社会的営為が緊密に結合し、人間の行為の全面を問うている時期――と規定しましょう。

ここから、兜太が主観と主体の区別に、自己と社会的なものとの関係性への――もっと広くいえば個人を取り巻く環境との関係性への――意識を求めていることを読み取ることができるだろう。主体とは書かれているものとの距離感から読み取られるものである、とも言えるかもしれない。

この後語られるのは、兜太によるありうべき俳句の書かれ方だが、これまでのことを踏まえれば、「造型俳句六章」は主観→主体といった、俳句において追求される内容(とそれに伴う形式)の変化を追った俳句史のひとつの解釈といえるだろう。
 


ここまでしてきた連作や主体の話は、俳句を内容/形式に分けたときの内容の話題に該当する。

内容は字義通り、一句に書かれた内容を、形式は一句中の言葉や語順、言葉同士の統語的つながり、助詞や季語、切れ字などの修辞的な部分を指す。俳句史をふりかえって、あらたな形式の発明により内容が刷新された場合においても、焦点を当てられるのは内容が中心で、形式の変化――修辞をどのように操作することでその新しい形式が可能になったか――ということはあまり語られてこなかった、正確に言えば、切れ字や季語の使い方などといった限られた(そして伝統的な)点についてしか語られることがほとんどなかったように思う。

人間探究派・プロレタリア俳句・社会性俳句といったくくりがあることも、内容の方に焦点をあてて俳句史が書かれてきたことの証左とは言えはしないか。

その数少ない反例が先に挙げた兜太の「俳句の造型について」や「造型俳句六章」なのだが、そのなかで語られる「暗喩」は、現実→感覚→イメージ→暗喩による一句の組み立て、という語られ方をしており、そこにおいて形式は内容に完全に隷属している。言い換えれば、形式は新たな内容を書くための道具以上の役割を果たしていないし、それ以上の役割を期待されてもいないということだ。
 


諸賢の察しのとおり、この文章は形式の下克上を訴えるものなのだけれど、そこでは形式にどのような役割が期待されるのか、ということを書いておわりにしたいと思う。

美学者の佐々木健一は1983年の論文「発見術としてのレトリック――フィギュールと想像力」において、芥川龍之介の『芭蕉雑記』における〈鐘消えて花の香は撞く夕べかな〉という倒装法という漢詩の技法(意味を強めるために句の順序を入れ替える)を用いた句への分析を皮切りにレトリック(すなわち形式)のはたらきについて論じている。

そこでとりわけ重要なのが、ベルクソンを引き合いに出しつつ図式(修辞における形式の役割)のはたらきについて述べる以下の部分だ 。

ベルクソンは、そっくりそのまま繰り返される具体的なものをイマージュと呼び、これに模倣を配し、他方、これに対置すべき創造の可能性を図式の中に求めている。
即ち、一つの古いイマージュから別の新しいイマージュを生み出すかけ橋となるのが図式である。(中略)創造の出発点となるのは一つの図式である。
そして図式が具体的普遍であり、具体的な表現(すなわちベルクソンの言葉で言えばイマージュ)を通じてしか把握されないものであるとすれば、それを身につける最上の途は、一度その具体的表現を模倣してみることである。模倣したことのあるものは、記憶の中へよりしっかりと根をおろすことであろう。
ただし、そのままでは、図式はその具体的表現に言わば固着した状態であるだろう。この具体的表現を忘れることによって、図式は応用の可能性を、すなわち創造性をうる。図式の深度が深くなればなるほど、言いかえれば、当初の具体的表現から離れれば離れるほど、創造性は高くなると言ってよい。
ただしそのことは、図式が抽象的になるために応用される表現の外延量が広がる、という意味ではない。そうではなく、深い図式は我々の精神の個性的な反響をよびおこす、という意味で、新しい表現を生み出す可能性をもっている、ということなのである。

ここで佐々木は、具体的表現の模倣を通じて図式を深化することで、その理念的価値を汲みとることによって創造性が高まり、新たな表現につながると述べる。これは、創造の契機は図式の側にこそあると言いかえることができるだろう。

俳句であれば図式に該当するのは、五七五の定型そのものや、個々の書き手の文体などだ。俳句において定型はほぼ前提になっており、透明化されているため、おもに問題になるのは文体の部分だろう。個々の文体は語彙といった意味的な部分を含むが、語の選び方やつなぎ方、並べ方といったところにあらわれる全体のなんとなくの感じとして図式たりうる。外山一機の「Ooi Ocha」(お~いお茶のパッケージに載る俳句の文体模写)のような文体模写の試みが成立するということからもそれは言えるだろう。形式面のはたらきなくして、文体が図式として機能することは考えにくい。

俳句は言葉で書かれる。それゆえ、つねに内容の影がつきまとい、形式について語ることはいつの時代も困難を極める。それでも形式について語らねばならない。内容空疎であることも批判されるべきだが、形式なくして内容が成立することはない。創造的な変化のもたらされないジャンルは澱み、書き尽くされて終わるだろう。



〇参考文献
稲畑汀子・大岡信・鷹羽狩行(監修)『現代俳句大事典』、三省堂、2005
大塚凱、「21.2世紀の雨宿り」、「つくえの部屋」第4号、2019
金子兜太、『金子兜太集』、第四巻、筑摩書房、2002
神野紗希、『光まみれの蜂』、角川書店、2018
佐々木健一、「発見術としてのレトリック――フィギュールと想像力」、「思想」(706)、岩波書店、1983、68-99頁
佐々木健一、『美学辞典』、東京大学学芸出版、1995
高柳重信、『バベルの塔』、永田書房、1974
正岡子規、『俳諧大要』、岩波書店、1955
山口誓子、『山口誓子全集』、第七巻、明治書院、1977


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