2019-10-13

書評 川本皓嗣『俳諧の詩学』を読む  高山れおな


書評

川本皓嗣『俳諧の詩学』を読む 

高山れおな



馬鹿みたような感想から

十二篇の論文・エッセイを収める川本皓嗣の新著『俳諧の詩学』(岩波書店)は、たいへん読みやすい。読みやすい上に面白い。

こんな馬鹿みたような感想から始めるのは、名著のほまれ高い『日本詩歌の伝統』(一九九一年 岩波書店)にしろ、俳句世界の住人にとっては殊に重要な意義を持つ「切字論」(一九九七年)1にしろ、決して楽々と理解できるものではなかったからだ。

前者に収める「七と五の韻律論」は中でも難解をきわめ、私にはとうてい歯が立たなかった。これはもちろん、著者の書き方が悪いのではなく、こちらの頭が悪いのである。学生の時、何やらの音韻論という講義を取り、それは詩学というよりは言語学の授業であったと思うが、授業に数回出て音をあげて、単位を落とした記憶があるから間違いない。

その『日本詩歌の伝統』の「あとがき」は、

日本の古典詩歌、ことに和歌と俳句と七五調について言いたいことの要点は、ほぼ本書の三章に尽きる。

という一文で始まっていて、研究者として力を出しきった感慨がにじみ出ていよう。

ここに言う三章とは、それぞれ季語論、構造論、そして前述の韻律論に対応する。がっちりと据えられたこの基盤の上に、幾分かは気楽に、そして時には軽妙に、多彩なトピックスを展開してみせたのが『俳諧の詩学』ということになる。

気楽にとは言っても、比較文学者として、特にフランス詩・英米詩について分厚い知見を有する著者だから、テーマである俳諧・俳句に向けて、他の筆者にはない角度からの光がさしこまれるのは常のこと。これを言い換えれば、配合の妙ということになるだろうか。


芭蕉、ボードレール、パウンド

その例としてたとえば、芭蕉が標榜したキーワードのひとつを、ボードレールの美術批評という補助線を引くことで解析した、「『不易流行』とは何か――芭蕉とボードレール」が挙げられる。

「不易流行」をめぐる芭蕉の認識が、師の言行を書き留めた弟子たちの著述から、間接的かつ断片的にしかうかがい知ることができないのに対して、ボードレールの美術批評(具体的には『現代生活の画家』)の方は、イギリスの新聞で活躍した挿絵画家・水彩画家のコンスタン・ギースに対する称賛のうちに、彼自身のモダニズム芸術論をぞんぶんに展開したもので、芭蕉よりもはるかに論理的な説明が豊富に得られる。

もちろん、両者は属する文化と時代を大きく異にしているわけだが、川本は、〈自己の詩作について、詩的創造の方法について、どちらもはなはだ例外的に、極度に意識的〉であり、〈旧と新のあやういバランスの上にあえて立ち、断固としてそこに留まる〉という両者が共有する性格を示しながら、ボードレールを通じての芭蕉の読み解きを、周到に進めてゆく。

芭蕉とボードレールのカップリングの斬新さにくらべると、「詩語の力――俳句とイマジスムの詩」に見られる組み合わせは、一見、平凡に思える。エズラ・パウンドらイマジスムの詩人たちが俳句を自己の方法の一つのヒントにしていたこともあって、俳句論の文脈でイマジスムへの言及がなされることも、それ自体は珍しくないからだ。

が、じつは本論にはこれまでのその種の例とは大きく異なる点がある。というのも、そうした過去の論の大方がイマジスムをだしにして俳句を語ろうとするものであったのに対し、川本はむしろ俳句をだしにしてイマジスムを語る方に重点を置いているからだ。

その興味のポイントは、極端に短小で、重置法(=パウンドの用語。一種の取り合せ)を重視し、開かれている(=読者の解釈の余地が大きい)詩という共通項を持ちながら、片やイマジスムが〈その後の英米詩に深い影響を及ぼし〉ながらも〈それ自体はごく短命に終わ〉り、片や俳句が〈五百年以上も高い人気を保ってきた〉という、両者の消長のいちじるしい対照性にある。

イギリスやアメリカのイマジストたちは、短詩本来の「開かれた」性質や、イメージを「重置」するやり方の重要性を正確に見抜いていたにもかかわらず、詩語というもののもつ連想喚起力については、十分な自覚をもっていなかった。

こうした分析は結果として、「詩語というもののもつ連想喚起力」を緻密な網の目のように織り上げた季語という体系の存在を際立たせることになりもするのだが、しかし、この論文の興趣はむしろイマジストたちが直面したジレンマそのものを味わうところにあるように思う。

ジレンマとは、短詩が開かれた形式であるがゆえにナンセンスに陥りかねないことを彼らが警戒しすぎて、一方ではテーマを小さくしぼり、他方では無意識のうちに伝統的な連想の力を借りていたという事実であって、要するに理論的には「伝統的な連想」を排除しようとしながら、無意識のうちにその力を借りてものされたのがイマジストたちの詩だったというのである。

その証拠として、彼らが〈妙に月のテーマを好んでいる〉ことが指摘されているが、総じて季語愛の稀薄な、しかし月だけは“妙に”好きな俳句作者として、これには思わずにやりとさせられた。いや、指摘するだけでなく川本は、TE・ヒュームの「秋」Autumn、リチャード・オールディングトンの「暮夜」Evening、同じくヒュームの「ドッグの上で」Above the Dockといったすぐれた作品を原文と訳文でしめしながら、くだんのジレンマのありようを追跡してゆく。

川本は、イマジスムの詩と俳句をそれぞれの典型相においてとらえているため、どうしてもイマジスム側の矛盾のみが俎上にのぼることになるが、実際には俳句作者もまたしばしばジレンマに直面しながら制作しているのであって(ただしいろいろな次元でのセーフティーネットが充実しているため五百年続いているのだろう)、川本によるイマジスムの詩のみごとな分析を読めば、俳句(でなく短歌でも自由詩でもよいが)を実作する者には何やら自分自身が腑分けされているような気分をもたらすに違いない。

これらの他にも、刺激的な文章はいくつもある。中でも「俳句を読むこと」の本質論とでも言うべき「俳句の『意味』とは――序に代えて」は、必読であろう。若い学究(の卵)と大先輩の学者の小対話篇というスタイルを取るこの文章で説かれていることはあるいは常識なのかもしれない。しかし、それがここまで行き届いた巧妙な語り口をもち、深い説得力でせまってくることは、滅多にあることではないように思う。

一方、「短詩型とは何か――いひおほせて何かある」は、俳句本質論ならぬ短詩型本質論。俳句を世界の短詩型(HAIKUのことではない)のひろがりのうちに位置づけ、俳句が決して特殊な孤立した存在ではなく、他の短詩型とさまざまな側面を共有していることを教えてくれる。ここでも、コクトーや陶淵明の詩と俳句との自在な対比が見られるが、特にコクトーの「耳」の読解はすこぶる刺激的だ。

「子規の『写生』――理論的再評価の試み」は、今後、写生について考える際には大いなる手がかりを提供してくれるだろう濃密な内容を持つ。

「芭蕉の旅――『おくの細道』冒頭の隠喩」ではタイトルの通り、「おくの細道」冒頭の、それもわずか三つのセンテンスが取り上げられる。そのたった三つの文の徹底的な精読により、われわれが漫然と芭蕉に付与していた通俗的な旅人像が一新され、次元の異なる清新な旅人像に再生するさまが目撃されるだろう。

……といった具合に、『俳諧の詩学』の魅力を語り続けているときりがないようだ。このあたりで、私個人にとっては最も関心の深い一篇に向き合っておきたい。それはもちろん、「新切字論――連歌から芭蕉、現代俳句まで」のことである。


新切字論

「あとがき」によれば「新切字論」は、先述の「切字論」と、その後に書かれた「切字の詩学2という二篇の論文の論旨を〈別の視点から要約し〉た前半部と、新たに書き加えられた後半部からなり、本書の中では最大のヴォリュームを持つ。ムックや複数筆者の寄稿からなる論集ではなく、仮にも『俳諧の詩学』と銘打った自身の単著に、旧稿を踏まえつつとはいえ事実上、書きおろしのかたちで収めるのだから、川本切字説の集大成とみなしてよいはずのものだが、率直に言えば疑問符がつく点が多かった。

芭蕉は新風確立に当たって、発句を後続句から切り離すというだけの「切字」の働きなど、従来の句作りの常道を、根本から修正する工夫を凝らしただろう。そのとき、句集や俳文・紀行文に記す数々の発句相互のスタイルやリズムの変化・多様性に、彼が意を注がなかったはずはない。(中略)いわば発句のなかでの切字の実質化である。

ここで川本が言う芭蕉の「工夫」については、当方としても全く異存はないが、この「実質化」が問題である。いや、川本が言いたいことはわかる。発句を脇以下から切り離すという形式的な役割を任務としていた従来の切字に対して、芭蕉の切字が一句それ自体の表現を充実させるための修辞のツールへと変容したことを実質化と呼んでいるのである。

この点にもまた格別の異存はないが、私が問題だと思うのは、どうやら川本自身がみずからの切字像を実質化してしまったらしいことだ。

「切字論」における川本は、ある意味では皮肉な、懐疑的な調子で切字を論じていた。なればこそ、特に句中の切字が直後に句切れをもたらすという広く共有された思い込みを離れ、脇からの切断という本来の任務を説得的に論じることができた。これに対して「新切字論」における川本は、切字に対する懐疑を後退させており、その結果、「むすび」では次のような発言をするにいたる。

だが、それぞれに由来の違う「や」「かな」「けり」の三つをことさら神聖視し重用するのは、読者の退屈を招く危険がある。それらと並んで、芭蕉が愛用した「下知(動詞の命令形)」や「し(形容詞の語尾)」、「ん」「か」「ぞ」、さまざまな疑問詞など、勢いのある古い切字を復活して、それらに特有のリズム的・表現的効果を生かすべきではないだろうか。そのためには、まずそれらをりっぱな切字として、作者と読者がしっかり認識を共有すべきではないか。

ちょうど時代の流れにそって、続々と新しい季語が開発されてきたように、他にもっと現代的な響きをもつ切字を案出してもよかろう。二段切れや三段切れも、切字のうちに数えるべきかもしれない。芭蕉の主張どおり、切字のない句が多くあってもいいだろう。

満載の突っ込みどころにいちいち物申すのはやめておくが、最も引っかかる点だけ指摘しておく。それは、「現代的な響きをもつ切字を案出してもよかろう」という提言の部分で、先週号の座談会でも言ったことだが3、現代的な表現・レトリックを案出せよということなら当然だけれど、現代的な切字の案出というのはおよそ無意味ではないかと私は思う。なぜなら芭蕉によって「実質化」した切字とは、すでに本来の切字ではないからである。

それでもなお近世のうちは、脇から発句を切り離すという切字本来の役割もたてまえとして生きていたが(「実質化」と「たてまえ」の乖離と不分明化こそが、近世に奇々怪々な切字説が簇出した原動力だったのだろう)、明治以降はもはやそのたてまえさえ消滅したのである。「や」「かな」以下の助詞や助動詞が、歴史的な記憶(やそれに対する類推)から切字と呼ばれることはやむを得ないとしても、現代的な切字なる存在には原理的には意味がない。

喇嘛めく羅宇屋でしゃんぐりらのラー 加藤郁乎
裏山に沈む日輪ええ顔しとるど 夏石番矢
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一

たとえば掲句の「ラー」なり、「ど」なり、「ぽ」なりは、〈俳句の章としての終止格であり中断止格〉をなす語が切字であるとする国語学者・松下大三郎の定義に従えば、いずれも充分に切字の資格を有している。とはいえ、これらの正体不明(「ど」を除く)の語をことさら「現代的な響きをもつ切字」と呼ぶことは、彼らの表現に対する正当な待遇なのであろうか。

これらの場合ほど奇矯でない、そして現代的といえば現代的な響きをもつ、「~だ」「~ね」「~でした」「~の」「~ですよ」といった終止格の実践にも現代の俳句は事欠きはしないものの、それらにしても要するに句末の文体の選択をどうするかの話であって、それらを切字と呼ぶことに積極的な意味があるとも思えない。

そして、繰り返しになるが、芭蕉以降の「や」「かな」にしても、記憶によって切字と呼ばれるだけであって、実質は文体・修辞の選択の問題に属しており(あるいはその方向へと移行してゆき)、新興俳句の作者たちはその選択の権利を行使して、「や」「かな」の使用を抑制したのである。

さて、「新切字論」の内容の過半を占めるのは、『菟玖波集』『竹林抄』から正岡子規にいたる主要な撰集・個人における切字使用の統計的な分析である。それは良いとして、連歌時代から近世初頭にかけての統計は、藤原マリ子や田中道雄により詳細なものがあるし、数値の分析によって新しい視野がひらけるという点でも彼らの方が勝っている。宗因・芭蕉・蕪村・一茶・子規の句集の統計分析から見えてくる切字使用の様態も、総じて、ただ普通に彼らの句集を読んだ場合の印象を追認するにとどまっているが、とはいえもちろん数値化されて有難い部分もある。

拙著『切字と切れ』で、幕末の『古学截断字論(こがくきれじろん)』や『増補俳諧歳時記栞草』において、句末が体言止めであれば切字がなくとも一句は切れるという主張が見られること、また、両者の刊行をへだてる二十年ほどのうちに、その認識が俳諧師たちのあいだでより一般化したのではないかという推定を述べた。元禄以降、切字のない体言止めの句が増える傾向があり、それがこうした説の成立をうながしたのだろうと考えられたし、統計を取ればそれをはっきりさせられるだろうとも思ったが、時間不足によって果たすことができなかった。

「新切字論」によれば、切字のない句は宗因と芭蕉で各八パーセント、蕪村で十二パーセント、一茶で八パーセント、子規で十パーセントを占めるという。明治に向かって時とともに増えてゆくという感じでもないようだが、ともあれ近世を通じて常に一定数を保持していることは明確になった。ちなみに、連歌撰集の発句では切字の入らない句はほとんどなく、貞門の大撰集『犬子集』では四パーセントだという。

「発句は必ず」句末で「言ひ切るべし」という『八雲御抄』のごく単純な規定は、おそらくある時期までは、誰も疑いを容れない常識だった。だがその後、その決まりが個々の発句でどのように実現されるか、切字の字句は句中でどのような効果を生むかといった点をめぐって、徐々に疑問や不審が生まれてきた――初めは誰の目にもはっきり見えていたものが、時代を経るに従って(ことに近代に入ってから)、だんだん理屈に合わない、説明のつかない矛盾のように見え始めた。その結果、切字の働きについて種々の迷いや混乱が生じ、その状態がごく最近まで続いたのだ。

「新切字論」に対してやや批判めいたことも記したが、この一節で川本が述べていることには基本的に同意する。それができるのも、「切字論」を導きの一つとして、私自身、切字の歴史をたどりなおしたからである。そうした「種々の迷いや混乱」をかなりの程度鎮静させた点で、川本の切字論への貢献はやはり決定的だったと思う。



1 川本皓嗣・夏石番矢・復本一郎編『series俳句世界別冊1 芭蕉解体新書』(雄山閣出版)所収

2 片山由美子・谷地快一・筑紫磐井・宮脇真彦編『俳句教養講座 第二巻 俳句の詩学・美学』(二〇〇九年 角川学芸出版)所収

3 週刊俳句前号の「長大な座談会」で、豈62号掲載の川本皓嗣「切字とは何か、何だったのか」について類似の発言をしたが、これはじつは同文章が「新切字論」を要約した内容で、ほぼ同じ記述があったためである。

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