2019-10-06

【長大な座談会】「切字・切れ」をめぐる諸々 ……筑紫磐井/高山れおな/青木亮人/上田信治

【長大な座談会】
「切字・切れ」をめぐる諸々

……筑紫磐井/高山れおな/青木亮人/上田信治(司会)

●ご挨拶

上田信治:この秋は、元号の切替りだったからというわけでもないでしょうが、俳句の世界では「切字/切れ」論が、にわかに盛り上がりました。

高山れおなさん『切字と切れ』、「新切字論」を含む川本皓嗣さんの『俳諧の詩学』の刊行があり、それらを受けて「豈」62号で特集「現代俳句の古い問題『切字と切れは大問題か』」

またそれらとは別に角川「俳句」では恒例の(?)切れ特集を、「大特集 名句の『切れ』に学ぶ作句法」と題して、組んでいます。

いい機会なので、さまざまな立場から「切字/切れ」論の、論点の洗い出しと交通整理をお願いし、俳句界の「切字/切れ」論の水準を、一気に引き上げよう、なんなら、最終解決を提示しよう、と。合わせて、上掲の文献、それぞれのプロモーションにも努めましょう、と。そういう主旨で、座談会が企画されました。

まずは、ご参加のみなさん、自己紹介が必要という面子でもないんですが、挨拶がわりに、それぞれの「切字/切れ」観、「切字/切れ」と日頃、どういうスタンスで、お付き合いされているかを、お教えいただけますでしょうか。


1.それぞれの「切字/切れ」観


●「切字だって日本語なのですから」(高山)

高山れおな:私は作品に切字を使うこと自体は、最初からわりと抵抗がなかったですね。理由は簡単で、芭蕉や蕪村が好きだったから、彼らの俳句のいちばん特徴的で、いちばん真似しやすい部分を真似したのだろうと思います。

本にも書きましたが、「俳句空間」で最初に活字になった10句からして十八切字を7句まで使っています。そのうち「や」を使ったのが、

花散るや阿鼻叫喚の箸あまた
惑星や椿の家に笑ひ満ち
麦秋や江戸へ江戸へと象を曳き


の3句。23歳の若書きで、句の出来はさておき、切字の使い方には特に問題はないでしょう。

当たり前ですが、ちょっと擬古的な性格があるといっても、切字だって日本語なのですから初心者だって使うこと自体は難しくない。

虚子の最初の単著である『俳句入門』(1897年)に、〈「けり」にすべきか「かな」にすべきかは、其の時の語呂、調子の暗梅にて定まることにして、こは初学のものといへども大体に於て誤まることなし〉という例によって身も蓋もない記述がありますが、全くその通りだと思います。

上田:実作する分には、感覚で書いて、不自由を感じないものだ、と。

高山:ただ、この3句、見ての通り、句末が体言止めではなく、副詞と動詞の連用止めになっています。頑張って上五末の「や」は使ったものの、句末を体言止めにする古典形式は自分には硬すぎると当時感じていたことを、おぼろげに覚えています。


●「あ、切れの問題、解決してる」(上田)

上田:私は、俳句を書き始めてすぐの時期に『芭蕉解体新書』(1997)に載っていた川本皓嗣さんの「切字論」を、たまたま読んで、「あ、切れの問題、解決してる」と

それ以来、特に、何も考える必要を感じてきませんでした。

川本先生の「切字論」詳しくは、高山さんの『俳諧の詩学』書評に譲りますが、句の途中にある切字も(「係り結び」的にはたらいて)一句を句末で切るのだ、というのがポイントです。

これは画期的なアイディアで、先生の代表作でもある前著『日本詩歌の伝統』では、まだ提出されていなかった。

これと、大野晋の「係り結び」は倒置法なんだという論と、山田(孝雄)文法の喚体句という論を「混ぜ」ますと、〈蛸壺やはかなき夢を夏の月〉が、途中の「や」をもって句末で切れるということが、感覚として納得できます。

※参考:カレル・フィアラ「古典の係り結びと現代語の文型」
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/kls/discuss_fiala2.pdf


●「あと100年後ぐらいには注目される」(筑紫)

筑紫磐井:私の場合、時々切字について書いていますが、変な視点で書いています。

連歌は原始1行書きであった、だから原始の連歌については切字も切れもなかった、連歌が生まれたから切字が要請されるようになったのではない、2行書き表記が発見されてから、切字が生まれた、とか、連歌は575/77以外に57/577の切れ方もあるとか。

当面の皆さんの切字論の役に一向立たないことばかりです。ただ、今は役に立たないでも根本的な問いかけですので、あと100年後ぐらいには注目されるのではないかと思います。

こんな斜視的見方をしているので、高山さんや仁平(勝)さんのような体系化はしていません。その代わり変な話や落とし穴は山ほど用意しました。

今回お話する内容は、頁の都合で「豈」の特集で書き漏らした話をそのまま載せていますので、特集の記事と併せて読んで頂けるとありがたいです。


●「俳諧を主張するものがない時代の現象」(青木)

青木亮人:私は実作の問題というより古典俳諧研究として「切字・切れ」論と出会ったのが最初でした。

大学院の頃は古典俳諧研究の集いに顔を出すことが多く、自然と俳諧や連歌の論文を読んでいたのですが、特に上野洋三先生という方が凄いと思いました。

その上野先生の論を読んでいると、ある時、切字や切れを作品解釈から独立して論じていないことに気付きました。作品解釈の中でしか「切れ」云々と述べておらず、しかも「切れ続き」等の変わった表現で論じている。

上野先生は、浅野信氏の『切字の研究』の発想自体が誤謬として、浅野氏の「文が切れる、ということをも少し正確にいうならば、あらゆる語・句・文がそこで切れて独立した文になる」(『切字の研究』)に対し、次のように述べたことがあります。

切字が、そこで「独立した文」をつくり「叙述の完結」をなしとげるものならば、一章の末尾以外に置かれた切字は、それ以前の部分(甲)を完結したとして、とり残されるそれ以後の部分(乙)は、一章において何なのか。だれでも気付くことだが、乙は「切れ」を介して直ちに甲との或る関係に入るのであり、「切れ」の果たす役割は、甲を完結するのではなく、甲乙両項の関係をつくる、むしろ連続するところに見出されるのである。

したがって問題は、むしろ連続の側にある。といっていいすぎであるならば、裁断と同様の重みをもって連続にある。連続する両項の関係づけにこそ、切字ならぬ切れの役割はあるというべきである。陳述は、その関係においてあらわれるというべきである。(上野洋三「切字断章」、『鑑賞日本古典文学33巻 俳句・俳諧』角川書店、昭和52)
切字や切れ云々は、個々の一句の中で「裁断=連続」がいかになされるかを見届けるのが問題というわけです。

上野先生は、例えば貞門や談林の後に現われた芭蕉の「切れ」の本質を、和歌・漢詩の雅語や本情に対する俳諧性のありようを示す一端と論を進め、そこに芭蕉の「行きて帰る心」をつなげて論じているのですが、そのあたりは割愛するとして、少なくとも芭蕉等の「切字・切れ」云々は「裁断=連続」としての雅語・本情と俳言・俳諧性のせめぎあいの問題として論じられていました。

その後、これは凄いと感じた他の研究者の論文を読むと、俳諧の本質を明らかにしようと作品解釈から独立させて「切れ」のみを論じたり、和歌や漢詩の規範を捨象した俳諧の「切れ」を論じることがほぼなかったので、私自身、「切れ」の理論的な論をあまり熱心に追わなかったのが正直なところです。

例えば、

むら雲やさながら月の笠袋 (『犬子集』、貞門最初の選集)
荒海や佐渡に横たふ天の河 芭蕉

こういった二句を形式的に同一に近い「や」として分類して論じるタイプにあまり関心がなくなってしまった、という感じでしょうか(それがいいことかどうかは分かりませんが……)。

ただ、それとハウツー的に切字の重要性を語る入門書の存在に対する興味は別問題で、例えば私は長い間明治の俳諧宗匠の資料群を読みこんだ時期があったのですが、高山さんが著書で「中世の闇」と仰ったような支離滅裂な入門書は明治期にもかなり出板されていて、その現象自体は研究的にとても面白いと感じ、「凄いことになっているな」と目が輝いたものです(笑)。

そういう入門書は文法についても一通りの説明があったりするわけで、つまり切字を使うかどうか、文法的に正しいかどうかといった以外に俳諧を主張するものがない時代の現象なのかもしれない、と感じたものです。

その点、平成の「切字・切れ」特集は近代俳句の遺産(高山さんの『切字と切れ』最終章、325pあたり)の延命装置として総合誌の誌面を飾っているのだろうと感じていました。

後述しますが、『切字と切れ』がとても面白かったのは、「切字・切れ」が俳句の特徴として要請されること自体の意味や理由、その発生や発展、歴史性そのものを実証的に問い直そうとした点です。

高山:上野先生の「切字断章」は私も読みまして、すごいと思う部分もいろいろありました。1977年のものですから、やはり「切れ」という用語が1960年代の浅野信を先蹤として70年代に一部で広まって行った事例の一つという意味では拙論にとって好都合な面もあったのですが、どうもさばききれないところがあって、本では触れませんでした。

じつは上野先生は、「や」の位置と「切れ」の位置がずれるケースを指摘しているんですね。ところが、それらの「や」が〈一章における切れの位置にもないものとして、切字であることすらおぼつかない〉というふうにまとめてしまっていて、これはやはり川本切字論以前の切字理解ということになります。

あと、根本的な問題としては、「裁断=連続」というのは真理でしょうけど、しかし、それは言語一般の性質とも言えそうです。口頭語であろうと書記言語であろうと、「文」は無数の「裁断=連続」を含んでいます。流れてゆく言葉を裁断し、かつ連続させなければ言語行為自体がなりたたない。上野先生の論じ方は過度の一般化を含んでおり、ゆえに芭蕉の俳句という具体的な作品の読解を離れて「切字/切れ」を対象化できなかったように思えます。

もうひとつ、上野先生は本質的に芭蕉の発句の話しかしていないではないかというのがありました。それ以前の貞門・談林についての記述も、乱暴に要約すれば芭蕉のレトリックはすごいというお話に収斂してしまう。上野先生に限らず、形式の話をする時に、芭蕉句のみを事例にして俳句とはこういうものだとあれこれ言うのは危険です。芭蕉は古典であり規範である一方で、表現史上の特異点ではないかと思うからです。

青木:それはあると思います。芭蕉、蕪村あたりはかなり例外的で、一般的には今や埋もれてしまった宗匠や俳人たちの句に時代の本質といいますか、当時のごく一般的な俳句観があったと思います。その点、私は芭蕉句を謳い上げる上野先生の筆致にやられてしまって(笑)、目が眩んでしまったのかもしれません。

高山:さて、自分と「切字/切れ」との付き合いというところに戻ると、最初にそれらしい発言をしたのは、やはり本に書いたように、復本一郎氏の『俳句と川柳』が出た直後に、「図書新聞」の俳句時評で取り上げた時ですね。

それは2000年の1月29日号でしたが、じつは同年の10月21日号でまたしても書いてる。こんどは「俳句研究」に載った「切字の復権」という鼎談(大石悦子×今井聖×小川軽舟)が対象で、うーん、今読むと何言ってるのかよくわかりません(笑)。

復本本についてはストレートに論理の無理を指摘しただけですが、「切字の復権」評の方は、3人の発言の紹介・批判と自分の制作の方向性の表明が入り混じっておりまして、

最も正統的でありながら、近現代の俳句において忌避されてきた強い〝や〟。この古めかしい切字に象徴されるナニモノカをして、この反動の形式が、現在という《新しい中世》にふさわしく振る舞うための発条とすること。

とか書いてます。おまえ何言ってんだって感じでもあるし、青春だなとも思います。いちおう補っておくと、「新しい中世」という言葉は冷戦後の世界政治の、一強プラス多極化状況をさす用語として1990年代に使われていたと記憶していますが。

その後、「豈weekly」2008年9月6日号で「俳誌雑読 其の一 『切れ』の大問題とは復本・長谷川問題ならずや」という時評を書いてまして、この時、今回の本で言ったようなことを、単なる思いつきとして述べています。この時は思いつきだったものを、改めて調べなおして本にしたとも言えば言える。10年越しの宿題を、いちおう片付けたことになるでしょうか。


2.高山れおな『切字と切れ』について


上田:まずは、高山れおな『切字と切れ』から、いきましょう。それぞれ、ご感想などを、お願いできますでしょうか。


●「平成期のキレキレ論やハウツー的な世界」(青木) 

青木:帯文にもあるように、「平成とは人びとがなぜか「切れ」に過大な夢を見た時代であった」(「はじめに」)という認識に則って論じた点がとにかく面白かったです。

冷静に「切字・切れ」(以下、青木発言では「キレキレ」と略)論自体を評する過程そのものが、各時代のキレキレ論が色々と偏っていたり、破綻していたことの証左になっているという手続きがスリリングでした。

平成俳句の特徴をきちんと論じている点も興味深かったです。

平成俳句が当然と信じている価値観や発想がある時期に発生した流行や感覚だったり、また自然かつ公平と信じている判断が実は時代や環境等に強く影響された偏りのあるジャッジだったりするかもしれない。そういう風に平成期のキレキレ論や他のハウツー的な世界を捉える論点自体が面白かった。特に最終章の「平成の終わりと俳句の夢」の325-326pで語られた指摘は至言に感じられます。

高山:ありがとうございます。俳句に限らず、ある時代の価値観が、過去にさかのぼって普遍的な真理のように錯覚されることはよくあるわけで、切れにも同様のことが言えるのではないかなと思います。

正岡子規が「俳句」という言葉を発明したわけでも普及させたわけでもないことは、秋尾敏氏の論考などによって現在ではさすがに常識になっているのかなと思いますが、以前、驚いたのは、飯田蛇笏が昭和初期の文章で、「俳句」という言葉は子規が発明したとさらっと書いていたことです。蛇笏は、子規の晩年にあたる明治30年代の前半には旧制中学で俳句に関心を持ち始めていたということですから、俳句という言葉の一般化の進行をリアルタイムでは知らないまでも、それが生じた時期からのタイムラグはごくわずかなはずですよね。旧派の俳人がたくさんいる状況も肌で知っていたわけです。それでいてそんなことを述べてしまう。記憶=歴史って簡単に捏造されてしまうんだなと思いました。

青木:平成期のキレキレ論の脚光の浴び方を追っていく際、総合誌の特集が「切字」から「切れ」に論点が移っているという指摘も示唆的でした。特集が年々重なるにつれて変化を付けるためなのか、精神論になっているのか、両方かもしれませんが、平成期らしいなと感じました。

論の内容ではなく、論じ方についてですが、研究論文的な手続きでありながら、さっぱりした江戸っ子的ツッコミや啖呵が随所に織りこまれて、そのバランスが読み物として面白かったです。文体の運動神経がいい、というか。テキパキした躍動感があるんですよね。

上田:先行研究について書かれていても、むやみと面白い。文体の問題でもありますし、内容が先へ先へと停滞しないで進むから、ということでもありますよね。

青木:はい。先ほどの研究論文的な「手続き」というのは、筆者自身と他者の論や意見を峻別して論じている点で、引用元や出典の明記、つまり先行研究の積み重ねをそれなりに追いつつ、自分の新しい知見をプラスして論じようとしている点が俳句評論としては珍しいと感じました。

学術論文では当然で、というよりそれをスキップした学術論文は論文と見なされないことが多いのですが、俳句界では評者がいいと思った先行研究や元ネタ、アイディア等をいずれも自分の意見としてまとめる場合が割合多く、それを知らない読者が読むと内容がいずれも論者の創意に見えてしまうため、研究や論点の蓄積が難しい。その点、本書は珍しいと感じましたし、誠実な本とも感じました。

そのような手続きが自然に身についている筆者ゆえに、キレキレ論の歴史的経緯を追いつつ、その時代ごとの論自体がそれぞれ何らかの偏りや価値観を抱えていたことを論じられたと思いますし、そうでなければ「各時代の論を論じる」発想は出にくいと思うので、当然といえば当然なのですが。

いずれにせよ、学術論文の感覚が身についてしまっている私としては手続きや内容ともに興味深い一書でした。


●「いや蛙は音をたてますよと言われてしまった」(高山)

高山:私は研究者ではないですし、文法に強いわけでもなく、ある意味では手にあまることをあえてやっているという自覚がありました。

最も恐怖だったのが、著者本人と担当編集者(つまり島田牙城さんですが)の2人だけで校閲しなくてはならないこと。勤めの関係で、本格的な校閲がどういうものか、よく知っていますのでなおさらです。今のところパッと見てわかる誤植は2か所しか見つけてないので、他にも誤植やら文法記述の誤りやら、あったとしてもまだましな方かとは思いますが。

しかし、がっくしきたこともあります。〈古池や蛙飛び込む水の音〉を読解した章で、蛙は水に飛び込むとき音をたてないという、尾形仂・嵐山光三郎両氏の説に依拠して論を進めたのですが、蜜柑山のため池のほとりで育った橋本直さんと、この頃、上田さんの句会でご一緒しているクズウジュンイチさんに、いや蛙は音をたてますよと言われてしまった。

クズウさんはナチュラリストですから、蛙の種類と状況別のいろいろなケースについて説明してくださいましたね。いや、私も文献だけに頼らず、蛙の観察に出かけねばとは思いはしたのですが、果さぬままにしてしまってこのていたらく。もちろん、キレキレの本筋とは異なる小トピックスではあるのですが、自分でおもしろがって書いたところなのでちと無念でございます。

上田:とはいえ第四章の「古池句精読」は、この本の白眉の一つでしょう。晩春ではなく、啓蟄の候の作句ともとれる、ということ。「古池」という、この句以外に見当たらない言葉についての考察比較。「飛ぶ蛙」という発想は談林そのものという論の紹介。

そして、なにより、その蛙を追い回して、水に飛び込ませていたある風流人が、滑稽として書き込まれていたのだという意外と説得力のある説……ま、その説得力の一部に「水の音」が関わってくるのですが、ともかく面白いので、ぜひ、本書に当たってください。青木さん、すいません、お続け下さい。


●「ステキな劇薬だな、と思いました」(青木)

青木:いえいえ、ありがとうございます。そういえば、総合誌の特集などを見ていつも不思議だったのが、個々の句の解釈と切り離したところで「切れ」が一種の概念や思想のように語られることがあった点でした。

実作者の信念の吐露としてはいいかもしれませんが、それがハウツー的な特集で見受けられたりするので、読者側はどのように受け止めているのだろう、とも思いましたし、お互いに自身がかかわる俳句ジャンルには他ジャンルにはない「切れ」という固有の特徴があると信じたい時期なのかも、とも感じることもありました。

文法や切字、季語といったもの以外に「俳句」と信じられるものが減ってきた時代の裏返しともいえるわけで、そのあたりを高山さんは鮮やかに指摘されていて、その意味でも『切字と切れ』はなかなかステキな劇薬だな、と思いました。

上田:「俳句」と信じられるものが減ってきた時代、という見方、面白いです。その裏返しとして「切れ」が概念化して、なにか思想の源泉のように扱われる

高山:上の語が下の語に掛かるか掛からないかを識別するのに切れるとか切れないとか動詞でいうのは結構だと思いますし必要なことです。が、名詞で「切れ」の語を持ち出すととたんに、おっしゃるような不必要な概念化が生じてしまいます。

じつは「切れ」が意味するところについて充分なコンセンサスが形成されているわけでもないのに、一見、便利で何かわかったような気がするものだから、合切袋のようにいろんな要素が投げこまれて、果ては「実存」とか「宇宙開」とか口走る人まで出てきてしまう。

そこまで病膏肓に入るケースは少ないにせよ、一句鑑賞のような場面でも、「切れ」という言葉が不用意に出てくるものは総じてレベルが低い印象は受けますね。それは、対象となっている句から遊離した思念を走らせている兆候ですから、偏見ではないと思います。


●「中立では全くありません」(高山)

青木:今回の本では主に一句独立の発句がメインでしたけど、歌仙や五十韻、百韻での発句の切れ云々について、今回お調べになった研究等で興味深いものなどありましたでしょうか。

あと、大雑把な括りですが、連歌と俳諧における「切れ」の要素の大きな違いといったものを論じた先行研究などありましたでしょうか。

高山:それに近いのは、田中道雄氏、藤原マリ子氏の論文でしょうか。こんどの川本先生の「新切字論」もそのあたりを重点的に調べなおされています。田中先生の論文は、「週刊俳句」の同じ号で再録しましたのでぜひお読みください。おもしろいと思いますよ。

しかし、それにしても痛感したのは、自分は連歌についてなんも知らないなということです。今回、付け焼刃で百韻連歌なども少々読んだわけですけど、これは猛烈に難しいものですね。近世俳諧のことだってたいして知りやしませんが、連歌は段違いに難しいと思いました。

近世俳諧の難しさは事項というか、単語を知ってるとか知らないとかが主だと思いますけど、連歌は用語はむしろ雅語に限定されていますから、知っている言葉がほとんどです。

難しいのは言い回し、発想のあや。ほとんど全ての句(発句と平句とを問わず)に本歌があり、本意・本情が張り付いている。なるほどこれに比べれば俳諧連歌は簡単で、だからこそ初期俳諧の時代、俳諧は連歌への一階梯という扱いだったのだということが少しは実感できました。

上田:どれだけ高度な遊びが、私たちの知る俳諧の前史としてあって、それが消失したか、ということですね。なるほど。

高山:『切字と切れ』は、自分としては切字と切れをめぐる歴史読み物の体裁で書こうとしたので、ハウツー本的といいますか、こうしましょう、ああしましょう式の物言いは極力しないように心がけました。

とはいえ中立では全くありません。帯にある〈平成俳壇を覆った強迫観念を打破する〉という惹句はシャレでもなんでもなく、一貫してそれが目標でした。

一方で、客観性は担保する必要がある。しかし、こちらも、特に中近世の切字説の読解など、十全の自信があるわけではありません。天保時代の北元という人の切字説など、翻刻こそあっても、内容に踏み込んだのはあるいは私が初めてかも知れない。それなりにやれてるとは思うものの、不審があったら、あるいは興味があったら、みなさんそれぞれすぐ確認できるようにという意味でも出典註はうるさいほど付けました。

上田:「切字」というトピックをめぐって俳諧史のおさらいができる。勉強になるし、読み物としての魅力は十分です。

しかし、本書の同時代的あるいは歴史的意義は、青木さんも言われたように、最終ページ近く「切れ」神話の解体終了宣言のような部分「多くの俳人が、切れをめぐるさまざまな、文字通りの『夢』を語りはじめる」にはじまる「平成の終わりと俳句の夢」という一節にある。

ある若い書き手と話していて『切字と切れ』は、「『角川俳句』的なものにメスを入れた歴史的著作なんではないか」ということを言っていて、彼もそういうことを感じたんじゃないかと思いました。

高山:「『角川俳句』的なものにメスを入れた」というのはよくわかりませんが、筑紫さんの「俳句上達」主義批判を参照している部分があるのは確かで、上田さんの今のおまとめは著者としてはうれしいです。

しかし、俳句界全体の平均的なリテラシーは、お三方よりはだいぶ低いわけで、読者の半分くらいは誤読するんじゃないかと私は疑っていますが。

つまり、高山は切字とか切れというのは大切なものだと言っていると受け取られるのではないかということです。実際、献本に対する礼状の中には、強い誤読の気配を感じさせるものもありまして

上田:タイトルだけで、味方だと思われるということは、ありそうですね。

筑紫:『切字と切れ』は力作ですが、高山さんが書けば書くほど「切れ」の言説が増えて、逆に「切れ」が一種の権威化しないか心配です。

早い話、『切字と切れ』は余りにも長いので読みきれず中途半端に消化するために、この本は「切れ」の実用的入門書だと誤解している人がかなりいるようですね。むかし『資本論』を資本家が労働者を収奪して金儲けするためのHow to本だと理解している人がいました。まあ、それも案外正しかったのですが。

高山:『定型詩学の原理』の著者に、余りにも長いなどと言われるのは心外ですが、書物の運命としてはありそうなことですね。


●「秋山って男は知っていますか?」(筑紫)

筑紫:非常に末梢的なようにみえますが、現俳壇の全貌がよく分かる記述があります。

『切字と切れ』198頁の注5に、「1990年代前半の『俳句』誌における各種入門特集において切字の項目にあてられた頁数を挙げる」とあります。力作のデータですが、なぜ1990年2月~1996年4月なのかが問題です。数字としてのきりはいいですが問題はもう少し深いところにあるようです。

高山:ええと、いちおう申しておきますと、今回、そうした記事調査は、基本的には総合誌に限定し、結社誌には手を出してません。そして、「俳句」や「俳句研究」の目次は全部チェックしています。

筑紫さんが言った註の記事列挙が1990年2月~1996年4月の範囲になっているのは、まさに秋山流の入門特集で切字の記事があったのがこの範囲だったからです。最初に年ありきで、きりが良い1990年からのデータを載せたわけではありません。そして1997年以降の大規模化したキレキレ記事は註ではなく、193~195ページの本文に列挙しました。

上田:1999年の復本一郎『俳句と川柳』以後、「切れ」という鍵用語が一気にトレンドになり、総合誌は「切れ」をタイトルにした入門特集を、連発しはじめる、というご指摘ですね。

筑紫:秋山の特集の総目次を作ってみると面白いですよ。秋山みのるは角川書店の「俳句」の編集にあたり1987年2月から1994年8月まで独自の俳句上達法特集を毎号飽きることなく続けました(途中から「結社の時代」とネーミングしていますが)。角川書店の「俳句」のドル箱となった特集企画でした。実はそれが高山さんが挙げた切字特集の時代と重なるのです。1990年以前のデータも入れるとぴったり合います。

秋山の俳句上達法特集の最初は、季語や旅吟の上達法でしたが、2年目辺りから数個のテーマで順次廻し、その重要な一つが「切字」であったのです。その後の数年間は「切字の時代」といってよかったし、それによって俳壇の大家・中堅・若手の洗脳が進んだようです。

その証拠に、秋山が編集長になる前は「俳句」で「切字」の記事はほとんど無く、編集長を退任したあとは多少の余韻はありましたがどんどん減少しました。また「俳句」以外の総合誌はほとんど「切字」特集はやっていなかったように思います(少なくともこれほど沢山は)。

秋山は雑誌編集の天才であるとともに、俳壇を堕落させた張本人です。賞賛を籠めて「悪魔」と言ってもいいです。

例えばその入門特集では、錚々たる大家一人一人に僅か1/2頁で切字を論じさせたりしています。今回の「俳句」の大特集(一人当り4~6頁)と比較してみて下さい。全く馬鹿にしていますよね。

私が一番情けなく思ったのは、俳句入門の極意を阿波野青畝・加藤楸邨・飯田龍太に1頁で書く特集を依頼しているのを見た時です。多分、飯田龍太が俳壇に絶望し、「雲母」を廃刊し、俳壇から引退した理由は秋山にあると思います。その意味で俳壇史に残る人でした。

ただ、同時代人として付き合ったので非常になつかしい人ではあります。敵ではあっても私のことは好きだったようです。ここまで言って何ですが、皆さんは、秋山って男は知っていますか?

上田:磐井さんが書かなかったら、忘れられてしまった方かも知れない。俳号の秋山巳之流で検索すると、角川春樹との交流とか、いろいろ出てきますね。

高山:いちどだけ秋山氏を目撃したことがあります。角川春樹が山本健吉賞を受賞した際の贈賞式で、場所は山の上ホテルじゃなかったかな。天才かどうかは存じませんが、キャラが濃くてあの春樹氏に全くひけをとらないのには驚きました。辺見じゅん氏もいましたけどこれも濃かった。車椅子の森澄雄が賞を与えるんですが、ちょっとしたヴァルプルギスの夜でした。

青木:関西にいた頃、実作者の方とお話していると、いわゆる秋山時代を語る方は多かったですね。バーで俳句の話をするうちに喧嘩になりかけたとか(笑)、当時の誌面がかなり変わったのがはっきり分かった、とか。

今、仰った「切字特集時代=秋山編集時代」というご指摘は、高山さんが引いたアウトラインにいわば肉付けしていくような感じで、とても重要に感じます。

筑紫:「切れ」が広く普及したのが1999年の復本さんの『俳句と川柳』が原因だとすると、「切字ブーム」と「切れブーム」は、仕掛け人から見てもはっきり分けて考えた方がいいと思います。

高山:仕掛け人が違うから「切字ブーム」と「切れブーム」を分けよというのは首肯しかねます。復本さんの本の影響力は大きかったとはいえ、その影響力自体、それ以前からの流れに乗ったからこそのものです。

秋山氏の路線が一定程度の成功を収めたのは、大衆の側に需要があったからです。仕掛け人が全ての流れをコントロールできるなら、秋山氏は死ぬまで編集長をやっていたはずでしょう。

筑紫:大衆の声があったから「切字ブーム」になったわけではないように思います。

たしかに俳句上達法そのものは大衆の声があったかも知れませんが、俳句上達法の中で季語や吟行、添削などを挙げてゆくのは至極常識的でしょうが、切字を入れたのは秋山の独創だと思います。なぜなら明治以降、秋山まで切字ブームは存在しなかったからです。切字を(あってもなくてもいい)盲腸から致命的内臓系に変えたのは秋山です、秋山をあなどってはいけないですね。矢張り悪魔のような存在です。

秋山時代を以て「文学としての俳句」は滅んだと思っています。1994年8月に「俳句」の編集長は退任しましたが(これは前年8月の角川春樹氏のコカイン逮捕事件をめぐる角川書店内の暗闘でしょう、俳句史・俳壇史的には関係ないと思います)、逆にいえば、『俳句』の編集長はクビになっても、彼の作りだした切字ブーム、その派生の切れブームは連綿と続き、平成が終わった令和にまで引きずって、我々をこんなに騒ぎ廻らせているわけです、みんな秋山の天才のせいでしょう。

秋山は言います「雑誌編集者の勝負の分かれ道は、「新しいキャッチフレーズ」を発見できるかどうかにかかっている」「わたくしの場合は、自らのたてたフレーズをすぐに打ち壊していくのが、商業雑誌の仕事であった」。

俳句上達法〉の名称より〈結社の時代〉の名称の方が一世を風靡しましたが、晩年には「もはや『結社の時代』は終った」といいます。こうした機敏さが、切字ブームにも影響しているのではないかと思います。

「切字ブーム」と「切れブーム」を分けるのはおかしいといわれますが、上に述べたように「切字ブーム」は秋山という独創的個性が単独で作りだした幻想であると考えます。俳句一般大衆や、俳壇ジャーナリズムは余り関与していないと思います。一方「切れブーム」は、秋山の「切字ブーム」が作りだした派生ブームですが、ただ、今回の「俳句」特集で見て分かるように、初心者向けには、いったん「切字」に落とさないと「切れ」は論じにくいことから分かるように、秋山なくしては「切れブーム」が生まれなかったことは確かでしょう。


●「現在書きたいテーマは3つあります」(高山)

上田:すでに、だいぶ長大になりつつありますが、もう一言ずつお願いします。

筑紫:高山さんが評論集を出すと決めたときに呼び出されて相談を受けました。すでに豈Weekly等であちこちに喧嘩を売り、論客として名を馳せていたから申し分ないと思ったのですが、『切字と切れ』と聞いて「?」と思いました。

確かに当世風論争で結構ですが、この本で高山さんが密かに企図しているように俳壇から「切れ」が殲滅された場合、この本の価値は後世どこにあると考えればいいのかな、と考えたのです。巨人軍がいなくなったあとのアンチ巨人軍はどこに行くのかな、という感想でもあります。

もちろんこれは第2部についての感想で、第1部は堂々とした切字論だから、川本、仁平と堂々とやり合えばいいし、勉強になることが多かったです。

青木:最終章末尾の一文に「今や、平成の三十年間がほったらかしにしてきた主題や主体の問題こそが、あらためて議題にあがらなくてはなるまい」と記されていました。平成期が等閑視した「主題」「主体の問題」とはどのようなものなのでしょう。

高山:あそこは勢いでああいう書き方になっていますが、まずは自分自身の問題だと思っています。特に「主題」の方で、これから自分は何を書くのかという素朴かつ切実な問題があります。

そこから翻って俳句界全体を見回しても、平成の30年間はどちらかといえば「どう書くか」の追求に血道を挙げた時代で、「何を書くか」は等閑に付されたというか、要するに主題=季題で済ませようとした時代だったのではないかと思います。

逆に主題=季題で済ませている人たちが「どう書くか」を追求したところで、「俳句上達」以外の指針が出てくるはずはなく、その流れで切字とか切れといったつまらないテーマが妙に前景にせり上がってきたのではないかというのが私の見立てです。

「何を書くか」と「どう書くか」がリンクして展開していた昭和の特に前中期と、平成で大きく異なる点ではないでしょうか。

そしてその結果、平成の最後に何が起こったかというと、金子兜太の勝利です。「何を書くか」と「どう書くか」をリンクさせていた時代の中核選手の最後の生き残りによって、「俳句上達」の選手たちが、のきなみ足払いをかけられてひっくり返ってしまったというか……。

断っておきますと、私は金子兜太は好きですよ。しかし、だからと言って平成が金子兜太の時代だったはずがない。兜太で平成を代表させてしまうような袋小路へ陥ってしまった、我々がみんなで形作っている、批評的あるいは社会的な枠組は常識的におかしいと思う。……という直観が拙著の末尾の記述の背景にあります。

で、自分としてどうするかですが、文章の方で現在書きたいテーマは3つあります。

1  連作論
2  攝津幸彦と仁平勝と筑紫磐井 団子三兄弟序説
3  過去50年間の俳句史

の連作は、現在ではそもそも存在しないものとされているのですが、実際は隠れキリシタンのように伏在しています。必然的に新興俳句時代の議論や実作を振り返ることになりますし、短歌への目配りも必要になります。また、主題無しの連作はあり得ず、五七五で一句作るのとは違う次元で制作主体が自己と向き合うこともおのずから要請されます。

の3人組は、もちろん私自身の個人的な関係性によって選ばれているわけですが、昭和末年を代表する新進にして前衛残党だった人と、なんだかんだ平成の俳句批評を牽引してきた2人という顔ぶれですから、思いのほか多彩な問題系を引き出せるのではないかと。まあ、勘でございます。

で、を踏まえて最終的にになだれこんで、ここ50年間の俳句の表現、俳句の社会に何が起こったのかということを書きたいと思うわけです。

本の方では「平成無風」というフレーズを話の流れを作る道具として使いましたが、本当になにも起こらなかったと思っているわけではもちろんない。ただ、まだそこで起こったことを歴史化する作業がなされていない。なのでやろうと。

が、私も忙しうございまして、果たしていつ書けるやらというか、それ以前にいつ勉強できるやらと茫然としている次第です。

今は青木さんがいろいろなところで近過去の歴史、たとえば辻桃子の『俳句って、たのしい』の意味などお書きになっているのを拝見して感嘆しながら、自分もいつか書きたいなと思っている段階です。

青木:「だからと言って平成が金子兜太の時代だったはずがない。兜太で平成を代表させてしまうような袋小路へ陥ってしまった」という指摘は興味深いです。「平成無風」の裏返しともいえるわけですし。私の見立てでは、平成期は昭和期俳句の財産を時代へ継承していく時期で、いわば初代・二代目の蓄積を次へつなげる三代目・四代目的な立場かな、と。令和期も引き続きそうなのかどうかは分かりませんが、その象徴の一つとして平成期の金子兜太ブームを捉えるととても興味深いです。

私が以前から書かせてもらっている「円座」での辻桃子論や1970~90年代の俳句論ですが、内容以外の俗世的な諸々の事情で現在ストップ状態になっていまして、ぜひ高山さんの戦後俳句史、拝見したいです。


3.「豈62号」特集『切字と切れは大問題か』について

●「みなさん「飛ばして」ますよね」(上田)

上田:つづいて「豈」誌の特集に移ります。高山さんは、本一冊書かれたあとですから、楽しく自句自解をされている(「自句自解切字之弁」)わけですが、川本さん、筑紫さん、仁平さんは、みなさん「飛ばして」らっしゃいますよね。

筑紫:「飛ばす」ってなんですか?

上田:川本さんの「切字とは何か、何だったのか」では、連歌・俳諧の作法書における「切字」の特別視や目録化が「幅広い愛好家への普及をめざしたものだったのではないか」と、書かれていて。これ、要するにみんな、秋山編集長だったんだ、ってことですよね? 

他にも「句中のどこにでも切字一つありさえすれば」発句ということになっていたのは、身分の高い人も多かったであろう初心者や中級者のためとか。「けり」が「や・かな」と同列視されるのは、古典由来ではない、石田波郷はなんでそれを言ったのだろう、という疑問とか。

短い文章で、どんどんアイディアが提示されることにも驚きますし、識見があるというのは、なんと過激で遠慮のないものなのか、と。

高山:しかし、川本先生の文章の末尾の方にある、「続々と新しい季語が開発されているように、他にもっと現代的な響きをもつ切字を案出することもできよう」という意見はいかがかと思いますけどね。

切字が真に切字である時代は連歌とともに終わったのであって、俳諧時代の切字は実体としては要するに修辞のうちのテニハ的な部分にすぎない。それを明らかにしたのがまさに川本先生のお仕事だったのに……。現代的なレトリックを続々と開発せよというのならもっともですが、現代的な切字の案出というのは意味がないでしょう。

上田:なるほど。川本さんの言われているのは、筑紫さんがここで言われている「文体」の話ではありますね。

高山:近現代の「や」とか「かな」というのは、さしずめフランスの旧貴族のようなものですよ。貴族制度はなくなっても、オルレアン公爵とかパリ伯爵とか、社会的慣習として称号は生きていて、血統に対する敬意やスノビズムも残っている。

旧切字貴族の公爵が「や」「かな」で、「けり」は成り上がりの子爵くらいなものでしょうか。「もなし」「もがな」は昔はたいへんな権門だった侯爵なんだけど、すっかり落ちぶれて庶民並みの貧乏になってるんですな。「ぞ」「か」「し」は伯爵で、今や「けり」の後塵を拝しつつもまずまず体面は守っている。で、旧切字貴族も旧フランス貴族と同様に領地も特権も持たず、法律上の位置付けもない。切字と言ったってそれはあくまで称号の話でしかないわけです。

上田:戻りますと、筑紫さんが同文中で書かれている私はレンキストではなく俳人」なので、後句とか、それとの切断とか、どうでもいい、とか。

つづけて筑紫さんが、さりげなく「例えば『や』が、前句(五七五)が俳句らしさを持つための言葉だというなら、はっきりそういえばいいのだ」と書かれていて、それも、重要な論点だと思います。 

波郷の切字論などは、そういう「らしさ」のレベルの問題ではないかと。

さらに、仁平さんの「『切れ』よ、さらば」に、自分は、吉本隆明の「文学について理論めいたことを語るとすれば巨匠のように語るか、あるいは普遍的に語る以外にはない」を原点とするものであるから、れおなが何を言おうが、五七五定型の「本質論」にしか興味がないのだ、とか。

青木:その点、論者の信念がストレートに出ていて、書きたいことを書いた感じがあって、読んでいて面白かったです。信念というのは、「書きたいこと」と「書くべきこと」が混じり合っている、というか。

個人的に印象深かったのは、仁平さんの最後の一節、「そろそろ別れどきかな。」で終わるところ。色々あってもつれたりしながらも細々と長く続いた男女が互いの関係に疲れてしまい、そろそろ別れを想うみたいな感じで(笑)、逆にそういう風に「切れ」との関係を感じる実作者の方もいるのだな、というのが興味深かった。

上田:はい。以上、これらの書きっぷりを、感想として「飛ばして」いるなあw、と。


●「『平句』というのは差別用語ですよね」(筑紫)

筑紫:なるほど、では飛ばさないで言いましょうか(笑)、「豈」の特集は高邁な理想がありそうにみせつつ、実は『切字と切れ』の販売促進キャンペーンなんです(笑)。

人選は高山れおな。誰が引き受けてくれるか、どんな内容になるかは全く分かりませんでした。皆さん真面目に論じていただけたのは感動しました。

上田:けっきょく皆さん、平成の俳句論壇でいう「切れ」論を無効化するベクトルで、一致している

筑紫:一つだけ不満が。仁平勝が平句説を取り上げ、虚子は平句だ、自分は今後平句を目ざしているというのは勝手ですが、他人(特に私)を決めつけるのは止めてほしいですね(笑)。

確かに私の先生の能村登四郎は切字も余り使わず、切れのない句も多いですが、これは能村登四郎だけの特色ではなく、昭和22年~24年の馬酔木の新人群の特色で、当時一世を風靡したのは、切字、切れのない句の

見えねども片蔭をゆくわれの翳 秋野弘
春愁のむしろちまたの人群に  岡野由次

等の句でした。ここに挙げた句は、当時の登四郎や湘子などの句よりはすぐれていると思います。こういう作風がすでに確立していたので、いくら切字派の波郷が馬酔木に復帰しても(23年)、切字は誰も使わなかったようです。

連句がなくなったので余り差別していう必要もありませんが(と言いつつ矢張り「平句」というのは差別用語ですよね。使う側でなく使われる側からすると)、強いていえば、「平句」などではなく、「切字・切れのない立句」を目ざしていると言って下さい、仁平さん!

上田:筑紫さんの文章のタイトル「「文体」よ、こんにちは」の「文体」について、お話いただけますか?

筑紫:訳のわからない「切れ」ではない、適切な用語を提案した方がいいと思い、それで「文体」と言ってみたものです。

川本さんの本でもその表現はあるようですし、「文体論協会」の機関誌に「切字」を論じた立派な論文が載っているくらいですから、余り問題はないでしょう。

文体の中に、切字もあれば、切れもあり、F形式もあれば、「田楽」構造(後述)もある、多行があれば、分かち書きもある、2句1章も、1句1章、冠句付け(冒頭5文字で必ず切る)もある。それらを相対的に見た方が理解が深まるし、実作にも役立つでしょう。

麿、変? 高山れおな
吾と無  筑紫磐井

などは、切れ論で批評するのは無理(そもそもそんなことをする意味がありませんから)で、むしろ強いて言えば文体論的に解釈するのでしょうね。

上田:文体と切字の関係は、どう位置づけられますか?

筑紫:「切字」「切れ」は一見「時代の文体」のようにも思えますが、個人の文体に落としてみるともっと面白いです。近代俳句において最も挑戦的な表現者であった作者は河東碧梧桐でした。ただ、『春夏秋冬』『続春夏秋冬』『新傾向句集』時代ですら碧梧桐は虚子と大して変わらない「かな」の愛用者です。

ところが、『八年間』と言う句集(大正4年~13年の作品)1冊で驚くべき変貌を遂げます。この句集を年代順に見ると、当初虚子以上に「かな」を頻繁に使用していましたが、急速に「かな」が減少し「けり」「り」が増加し、やがて切字は一切用いず、最後は口語表現に変わっていきます。詠む内容に応じて文体変化が連動したのです。

その節目を見ると、大正4年に長谷川如是閑と多くの部隊を編成して北アルプス踏破の冒険に出て、自然の見方ががらりと変わったのです。第2の節目は大正7年の支那旅行です。作家は文体を選択できると思いこんでいますが、むしろ俳句の内容、作者の関心・視点によって使われる文体が異なってしまうと見た方がいいかも知れません。これはもう切字・切れを超越した問題です。

かな時代:布団二つ敷けば大佐渡小佐渡かな
けり時代:雪田をすべり来る全き旭となれり
無切字時代:客間のうたた寝のよれよれの白服
口語時代:麦秋の馬に乗る皆が長い足を垂れた


●「仁平切れ論は、ここにきて破綻したのでは」(高山)

高山:またしても訂正からはじめますと、「豈」特集の筆者の人選は確かに私がしましたが、特集してくれとは頼んでません。「週刊俳句」にはこちらから持ち掛けましたけど、「豈」の特集は筑紫さんから出た話です。動機は販促ではなく、筑紫さんが炎上好きだからでしょう。

「俳句新空間」の特集告知に対して、田島健一氏が「煽りすぎ」とツイートしてましたが、私もひそかに胸を痛めておりました。「豈weekly」も十年一昔で、今は人に喧嘩を売ったりする元気はないです。

と言った舌の根も乾かぬうちになんですけど、仁平さんの「『切れ』よ、さらば」は、私も突っ込みどころの多い文章だと思いました。要するに仁平切れ論は、ここへ来てはっきりと論理的に破綻してしまったのではないかということですが。

私の理解では仁平さんの切れは、直接には句末での脇からの切断のことであり、発句が連句から独立して俳句となって以降もその意味での切れの性質が形式のうちに保存されているということでした。〈俳句が「切れ」を必要とするのは、「五・七・五という音数律そのものの不安定さ」によるもの〉であり、〈そうした定型の本質を「俳句は短歌にくらべて相対的にみじかいのではなく、絶対的に不安定なのだ」〉というわけです。

つまり、仁平的な切れというのは、そもそも切字や句切れの有無とはかかわりのない概念だったはずです。実際、仁平さんは『詩的ナショナリズム』の中で、

手と足をもいだ丸太にしてかえし 鶴彬
繃帯を巻かれ巨大な兵となる 渡辺白泉

の両句を比較して、前者は川柳であって切れがなく、後者は俳句で切れがある、その結果としての表現の違いは……というふうに論じていたわけです。

ところが今や仁平さんは、虚子の〈梅雨傘をさげて丸ビル通り抜け〉とか〈婦長來て瓶の櫻をなほし行き〉を〈「切れ」のない句〉であるとして、〈「平句体」と名づけた〉なんて言うわけです。

しかし、そもそも論として仁平さんの切れは、先ほどの鶴彬・渡辺白泉の比較を見ればわかる通り、切字・句切れの有る無しとは関係がない概念なのだから、虚子のこれらの句に切れが無いとする筋合いはないはずです。これらの句もまた、〈五・七・五という音数律そのものの不安定さ〉を帯びた〈対的に不安定〉な形式として俳句なのであり、切れがあるということでなければおかしい。まさか、白泉の句は句末が終止形だから切れがあり、虚子の句は連用止めだから切れが無いのだとでも言うつもりですかね。

結局、仁平さんは自分の切れ概念を、切字や句切れの有無というところに退行させてしまったわけです。

平句体」という呼称もよくないですね。『虚子の近代』で使っていた「〈句日記〉体」の方がいいと思います。

平句には短句もあるし、切字が入ることもざらにある一方で季語は必須の要件ではない。何より前句を受けるのが平句の本質ですが、挙がっている虚子の句も、ハマって作っているという仁平さん自身の句も当然ながら前句とは何の関係もないはず。

仁平さんが言うところの「平句体」の本質は、要するに日常とベタに地続きの意識のうちに、言葉を定型律に流し込むことで微かに発動する詩的なおもしろみ、みたいなことでしょう。だとすればまさに句による日記であり、「〈句日記〉体」でいいじゃないですか。

というような発言を読んで、おまえ(たち)の注文に応えて力稿を寄せてくれたのに、あれこれ言うとは失礼じゃないかと感じられる向きがあるかも知れません。しかし、それは違います。占星術師が川本先生、仁平さんという星の動きを観察して記述しているのです。いわば2019年秋の「星界からの報告」です。ちなみに筑紫星は、煙幕による遮蔽がほどこされており、観察できませんでした。悪魔の力が働いていると思われます。。

青木: 「平句体」か「句日記体」かはものすごく重要な指摘で、平句体」とすると、江戸俳諧の歌仙の世界から近代俳句が(論上は)つながっているという認識の上での判断となるでしょうし、句日記体」と見なすと、俳句界では、主宰虚子の個人雑誌という位置付けの「ホトトギス」で連載された主宰動向の報告も兼ねた日記のスタイル、という認識になる。どちらが正しいかというのではなく、「切れ」の有無の歴史性を踏まえる論としてどちらの語を使用して論じるかは、「切れ」や虚子を捉える上で大きな違いになる気がしました。


4.「俳句」2019年10月号「特集 名句の『切れ』に学ぶ作句法」について


●「まあ、注文が入ったらああいう書き方になる」(筑紫)

高山:今回の「俳句」の「名句の『切れ』に学ぶ作句法」では、山西雅子さんが、「総論『切れ』とは何か? 一句を成就させるもの」を担当しています。

さすがに山西さんだけあって特に変なことは書いてないですけど、しかしこの文章、実際は切れの話ではなくて切字の話ですよね。

筑紫:「切れ」特集と言うより「切字」特集でしたね。まあ、注文が入ったらああいう書き方になるのは当然で、山西さんも頑張っているのがよく分かりました。「豈」の特集のような注文がいったら同じ人でも全然別なことを書いたでしょうね。

高山:切れ特集の総論を注文されたわけだから切れという語を使わざるを得ないんだけど、切れという言葉を使わなくても成立しそうだし、実際そうした方が論旨もすっきりしたのではないでしょうか。切れという言葉を使わずに、主要な切字使用のパターンついて、その機能を説明すれば用は足りる内容のように思います。

筑紫:その意味では秋山の30年前の編集が今もって続いているような気がしました。考えてみると「切字」特集の編集モデルは秋山が作りましたが、「切れ」特集の編集モデルなど、抽象的な切れについては、座談会で参加者が放談する以外にやりようがないように思います。

確かに1999年以降「俳句」からは「切字」特集は絶滅しましたが、実は「切れ」特集は切字を踏まえて特集を組み立てている(先ず何種類かの切字に分割して、それごとに切れを論じさせる)に過ぎない気がします。

特に今回の「俳句」10月号の特集ではそう言えます。我々は既に亡くなった秋山の怨霊の下で、今なお生きている感じがしました。その意味でも、矢張り偉い男だったと思います。

「俳句」編集長の立木さんが、5月号の編集後記で、入社したばかりの立木さんが見ていると、秋山が女性スタッフ二人を連れて蕎麦屋に行くために往来の途絶えるのを待っていた、「どこか不良中年達みたいでカッコよかった」と書いていますが、俳壇を「俳句」が牛耳れる古きよき時代だったのでしょうね。これは雑談。

高山:2000年以降、「俳句」や「俳壇」が盛んに切れ特集を組んできたことは拙著でふれましたが、それらの特集に登場する筆者の態度も一様ではありません。復本一郎、長谷川櫂、恩田侑布子といった方々はもちろん勇躍して書いてますけど、迷惑気というか、かなり困惑気味に書いている人もいます。

最も冷静端的なのが片山由美子氏(「俳句」2004年3月号 「切字と切れ」特集で総論「現代俳句における切れの認識」を執筆)で、これはやはり切字に冷淡な山口誓子~鷹羽狩行という系譜につらなる人なればこそでしょう。

山西さんは困惑はしてないまでも、ノリノリで書いているわけではないのは確かですよね。


●「機械的な読み/詠みが軋みをたてる」(青木)

高山:切れという語の問題を離れて単純にいかがかと思える点を、まあ、あんまり意味はないですけど、少しだけ指摘しておきます。

いちばん驚いたのは、柏原眠雨さんの「『や』の効果 詠嘆と配合」でしょうか。〈もともと切字が考案されたのは、連歌において第一句(発句)のみに求められる完結性(独立性)を担保するための句末の切れの語としてであったから、「けり」や「かな」の切字と同じように句末を「や」で切る形はごく自然であった。……「や」が句末に来ても、不自然であるどころか実は本来の用法だったことになる〉とありますが、前半の切字の発生史の理解はいいとして、後半の「や」が句末に来るのが「本来の用法だった」というのはすごい。とにかくすごい。

鶴岡加苗「『けり』の効果 『気づき』から『詠嘆』まで」では、〈硯洗ふ墨あをあをと流れけり 橋本多佳子〉〈かたつむり肉(しし)を余さず仕舞ひけり 小原啄葉〉といった句を、二句一章・一物仕立てで〈上五のあとにも軽い切れが入ってい〉る句としてカテゴライズしています。

しかし、これは韻律上の休止の話としては適合的ですが、「硯洗ふ」が終止形で独立句になっているのに対して、「かたつむり」は「仕舞ひけり」の主語なのですから、意味上、構文上の働きは異なります。

鶴岡さんに続いて登場する伊藤伊那男さんは、〈私は間も切れの一つであると思っている〉と述べていて、鶴岡さんも同じ立場ということになるのでしょうが、韻律上の間=休止と意味・構文の切断を切れの語でまとめてしまうのは、典型的な合切袋の例で、私ははなはだ疑問です。

筑紫:むかし、山本健吉が波郷の

雁の束の間に蕎麦かられけり

の最初の「の」に切字と同じ効果を見ていると先輩から聞きました。

当代で言うとここに「切れ」があると言うことなのでしょうか。若干頭に引っかかっていたので『現代俳句』で確認するとそんなことは一言も言っていませんでした。

「意味の上ではもちろん修飾ではないとしても、リズムの上では修飾に近く、むしろそれは枕詞や序詞のような軽快な効果を感じさせるのです。「雁の」は半ば虚辞であり、半ば実辞であるという感じであります。・・・このような微妙なテニヲハの用い方を素人は決してするものではありません。」が正確な言い方でした。

分かりにくくはありますが、流石に健吉らしい着眼です。当代で言えば粗雑に「切れ」と言ってしまうところを、文体論で解釈すればもう少し奥深いものになります。と言うより、一句一句で文体論は異なる意味と機能を与えてゆくことになるのです。

高山:いや、まったく。「俳句」の特集に戻りますと、伊藤伊那男さんの「『や・かな・けり』以外の切れ 芭蕉の『切れ』」は、いきなり〈宗祇が……十八の切字を整えた〉とかましておいて、「ぞ」によって生じる切れの例として、〈寒けれど二人寐る夜ぞ/頼もしき〉〈夢よりも現の鷹ぞ/頼母しき〉というふうにスラッシュを入れて芭蕉の句を引いています。川本皓嗣先生の「切字論」さえ読んでいないことがわかります。

また、「よ」の用例として四句を挙げ、〈相手に念を押して確かめたり、命令する「よ」である〉と説明しています。でも挙がっている句の「よ」は全て、下二段活用・上二段活用の動詞の命令形の語尾です。〈命令する〉という働きの説明は間違ってないとしてもそれは動詞の命令形なんだから当然です。提示の仕方からすると間投助詞のつもりで「よ」を立項しているように見えるんですが、そのあたりの識別に注意しておかなくていいのか。

青木:個人的には、鴇田(智哉)さんの論が興味深かった。実作の現場でいかに使うか、読むかというハウツーものの括りの中で、鴇田さんが読解を粘り強く例示しながら「こうかもしれない、ああかもしれない、しかしこうだろう」といった論を進めつつ、その論タイトルが「機械ではなく」というのが印象的でした。語るにつれて、また「切れ」の読みの可能性にこだわるにつれて、「俳句」特集テーマが前提としている「機械」的な読み方・詠み方が軋みを立てる、というか。

高山:そうですね。柏原さん、鶴岡さん、伊藤さんの文章に不充分なところがあっても、それは要するに相対的な知識の多寡によるもので、特に奥行きのある論点にはなりません。鴇田さんの文章がはらむ問題はそれらとは異なるものだと思いますが、しかし、これについて述べると長くなりそうなので、川本先生の『俳諧の詩学』を書評する後ろに続けて書くことにします。


5.いっこうにまとまらないまとめ(仮)

上田:まったく、まとまる気配がないわけですが(笑)、まだ読んで下さっている読者もいると思いますので、言い残したと思われることを、お願いします。


●「これを「田楽構造」と名づけましょう」(筑紫)

筑紫:「かな」「けり」などの切字論は余り皆さん異議はないと思いますが、切れがさまざまに考え方が分かれるのはもっぱら「や」という切字のせい(「切れ」でもあると思います)だと思います。「豈」の特集では、二条良基『連理秘抄』と宗砌『密伝抄』の提示している切字一覧の過不足を確認し、この2つの書物(つまり時代)の間で切字「や」が生まれたと言いました。

「や」の切字を使う発句は、結びが名詞止めとなっていますから、本来名詞止めで充分下句の切断の効果があるわけです。「や」はそれを補強しているだけだと思います。つまり「や」が切字でもあり、かつ「切字」ではない時代が過渡的にあったと思っています。

色々文法機能が論じられていますが、当時の歌人は文法など知らなかったと思います。その点では現代の俳人でも同様です。それでも短歌俳句は作れます。というか今もって究極の文法など存在していないかも知れません。これから文法にアインシュタインが出てきてニュートン文法を転覆する可能性もないわけではありません。

しかし「構造」だけは見てすぐ判るので、ある程度「や」の構造は知っておくべきでしょう。

古池や蛙飛び込む水の音

これを「F形式(構造)」[Fは「古池や」です]と呼んで、俳句の切字の展開を論じられているのが田中道雄氏ですが、しかし上に述べた、切字「や」の誕生の時は別の構造が主流だったようです。

○『九州問答』(二条良基)
花や雪嵐の上の朝ぐもり 
波や散る潮の満ち干の玉あられ

○『初心求詠集』(宗砌)
月や舟けふとる梶の初瀨川
月や峰かけ谷々の夕涼み
花や雲見し面影の龍田山
月や海名もひとしほの水の秋

これを、名詞3つ(たとえば第1句は、花、雪、朝ぐもり)が串に刺さっている形に似ているので、「田楽構造」と名づけましょう。

当時F構造はまだ切字と認められなかった、これだけは確かで、田楽構造であることが大事であったのでしょう。この構造を見ると歌人は安心するわけです。それでも、良基一派はこれを切字と認めず、宗砌一派は切字と認めたという東大派対京大派のような学派の争いがあったと思います。

高山さんのように詳細な資料に当たっているわけではないのでいい加減なところも混じりますが、これが私の直感です。

高山:不毛の切字・切れ説とは思いつつ、わいわいやっているといろいろアイディアが出てきますね。「や」(「ぞ」もかも知れません)の切字化が田楽構造に発しているというのは、もしかすると切字説の谷山・志村予想かも知れない。


●川本「基底部・干渉部」説、復本「首部と飛躍切部」説について  

筑紫:川本評論集をおくればせながら読ませて頂きました。私への謝辞が書いてあったので、今回の「豈」の特集の事かと思っていたら、昔「俳句教養講座」で切字論を書くようお願いしたことのお礼のようです。ただまだこのときは、新切字論は完成していなかったようです。

私も近いうちに『俳諧の詩学』と高山さんのと併せて紹介させてもらおうと思っていますが、書評としては高山さんに紹介をお願いすることとしましょう。

それでちょっとわかっていたら教えてほしいのですが、川本先生の「基底部と干渉部」は、復本さんの「首部と飛躍切部」と合致するのですか、異なるのですか。川本先生、引き続きこの本でも「基底部と干渉部」は使っていますが、前の本ほど力説していない感じです。恐らくここを詰めると川本説からも「切れ」の必要性が出そうな感じがするのですが。

高山:復本先生の首部・飛躍切部説と川本先生の基底部・干渉部説はよく似てますよね。しかし、『俳句と川柳』ではその辺の断りはなく、前々から不審でした。

もちろん両者は厳密には違っていて、川本さんの方は誇張や矛盾で和歌的な美学を異化するのが基底部、それに読み取りの方向を与えるのが干渉部ということ。しかし、ほんとのところ、この考え方は芭蕉には相当程度に適合的かも知れませんが、誓子や素十の句をこれで読めるのでしょうか。

復本さんの方は最初から切れありきで、ぶっちゃけて言うと切れの上が首部で、切れの下が飛躍切部ということですよね。切れを客観化すると言い条、一種のトートロジーじゃないかと拙著では書きました。

私は別に切れが「無い」と言っているわけではなく、みなさん言ってることがばらばらじゃないの、そんな言葉は使わない方がいいんじゃないですかと申しております。屏風から虎を追い出して下さったら捕まえるのにやぶさかではございません。

基底部・干渉部説から切れが出てくるのではないかというのは、定義の問題ではないでしょうか。両部の接点を切れと定義すればそれは切れでしょう。

しかし、「揚羽蝶花魁草にぶら下がる」や「蟋蟀が深き地中をのぞき込む」を基底部・干渉部に分けられるのかどうか。こんどの「俳句」の特集で鴇田さんは「水枕ガバリと寒い海がある」に切れがあるとしてますが、そしてそれは無理だろうと私は思いますが、基底部・干渉部に分けることは可能なのかどうか。

ご質問のポイントは結局、基底部・干渉部説の勢力範囲はどこまで及ぶのか、「吾と無」のような極端なケースは除外するとして、通常の定型発句・俳句の全体を覆うものなのかどうかに帰結するような気がいたしますが。

私にはそうは思えませんけど、仮に全体を覆っていた場合でも、過半とは申しませんが決して少なくない句について基底部・干渉部の見分けは非常に難しいものになると予想します。よって、復本さんが『名歌名句辞典』を作る際に俳人たちに例句の切れを示させようとしてうまくゆかなかったようなことになるのでは。

それと、今、時実新子のアンソロジーが枕元にありますが、ざっと四分の一くらいの句は二句一章的な構成に見えますから、復本理論(「切れ」の有無で俳句と川柳が峻別できるとする)はやっぱりダメなんじゃないですかね

筑紫:ありがとうございます。似たような感想を持たれているので、座談会を進めるにあたって安心しました。

ただ川本先生は、謝辞で「俳句の文体論的・構造主義的考察の可能性に目を開かれたのは、復本一郎『笑いと謎』」と言っていますので、復本さんに敬意を表されてはいるようです、その著作権的な先後関係は当事者しかわからないでしょう(「歯切れのいい俳句論」と言っているようにやや舌足らずと見られているかもしれませんが)。

実は川本説では「切れ」をどのように考えているのか分からなかったので、切れは「副次的」に説かれているのかと思いました。そのポイントが「提示部+干渉部」にあるように思ったものです。つまり、川本説は、復本説と違い、あらかじめ切れがあると言う前提ではなく(結果は似ていますが)、
名句の解釈→機能の発見=大半の句に「提示部+干渉部」がある→自ずと切れが存在する
という道筋で切れ説につながるように思いました。

ただ川本説には大前提があるわけで、〈大半の句に「提示部+干渉部」がある〉ということは、〈一部の句に「提示部+干渉部」がない――提示部が無い句はないでしょうから、干渉部が無い句がある〉ということを許容していると思います(干渉部がないことが名句でないと言うことになりません)。たとえば、誰が見てもわかるのが、

鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 迷堂

等がその典型です。すると、およそ俳句には

①「干渉部」を要請する名句
②「干渉部」を要請しない名句

の二種類があることになるわけです。「切れ」のあるなしよりこの方が実用的な気がします。

そして実は、――ここが最も大事なことですが――(ここ10年ほどの)現代俳句は、①と②の中間とでもいうべき、

③「干渉部」を内面化し、「干渉部」を見せない詠法

が増加しているのではないかと思います。私の場合もそうであるし、高山さんの句にもそんな感じをうけます。仁平さんが「平句」で言いたいことは同じようなところにある気がします。

我々の句では手前味噌であるなら、

ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之

等はどうでしょうかね(もともと彼の句集『自生地』全体が干渉部が内部化しているようです)。若い作家は変な切れ論に毒されない方がいいかと思います。

川本論の面白いところは大半が芭蕉を論じているのですが、実はこれは全部私(自分)の句の評価ではないかと考えてみた方がよほど面白くなることです。川本さんには(芭蕉と筑紫を同一視するなどとはと)心外かもしれませんが、その方が詩学の普遍性が出るような気がします。

まあご異論もあると思いますが、川本説の「提示部+干渉部」をもって切れ説に変えると言うのも十分生産的であると思います。

高山:干渉部の内面化というのはおもしろい視点ですが、しかし、福田さんのヒヤシンスの句自体はさしあたり、「しあわせがどうしても要る」が基底部で、「ヒヤシンス」が干渉部なんではないですか。

この句の発表直後に私が「詩客」のブログに書いた鑑賞をご参照いただきたいですが、この中七下五は日本語として変にねじれた強迫的な表現であり、川本先生が言う誇張法の一種として基底部の資格ありです。ヒヤシンスは種類については季節柄から選ばれてますが、本質的に重要なのは草の花であることで、手向けの花として読みの方向付けをしています(直接には震災の死者を悼んでいる)。つまり干渉部の資格ありです。

問題は、この読解は川本先生の試験には合格するでしょうけど、悪い冗談のようにしか感じられないことです。

ここに、比較文学者と実作者のスタンスの違いがあろうかと思います。川本先生が芭蕉の句を分析している限り違和感はあまりないですが、近現代の句に基底部・干渉部説を当てはめると、それが成立する場合でもなんだかバカバカしい気がするのです。

それは近代まして現代の句は、作るにせよ読むにせよ、良いのか悪いのか、良いならどこが、悪いならどこがという価値判断を待っているのであって、基底部だ干渉部だという分析を待ってるわけではないからでしょう。

近世の句が価値判断の対象にならないわけではないけど、とはいえやはりそれは歴史資料です。暗中模索している当事者としては、基底部・干渉部? 存じませんっ、て感じは否めないですね。逆に言えば、誓子や素十は(子規や虚碧も)、まだ我われの中で充分歴史資料にはなってないということかも知れません。


●昭和二十年代の「天狼」

青木:先ほどの「平句」問題で筑紫さんがチラッと仰った昭和20年代の「馬酔木」の話や、また今高山さんが仰った誓子や素十等の近代俳句云々でいえば、例えば誓子らの新興俳句は、「切字」と「切れ」を分離させて認識しようとする傾向があるかに感じます。

そういえば、今回の座談会にあたって、どんな風にやりとりしようと皆さんで話していたところ、ふと筑紫さんが「馬酔木」云々の流れで「そういえば「天狼」の雑詠欄はどんな感じだったのでしょう、何かご存じですか」と仰って、私もどうなのだろうと昭和20年代あたりの「天狼」をパラパラめくったのですが、やはり雑詠欄に切字は相当少なく、それも下五の「かな」「けり」はほぼ見ない。同人欄も同じです。

他にも、上五に「や」が使えそうなところでもあえて用いず、「の・に」等で逃げ切っている感じがある。「天狼」系の表現法でよくあげられるのが、上五の「~の」が曖昧、というのがあって、実際に「天狼」を知る同時代の方(「天狼」内外)からもよくうかがった話ですが、おそらく「~や」を避けようとした結果なのでしょう。

しかし、「切れ」は取り合せや二物衝撃というニュアンスで重視している感じもあって、これは大雑把な括りですが、新興俳句系は、「切字」と「切れ」を分離させて把握したがる傾向があるかもしれません。波郷の「鶴」系の韻文精神な雰囲気はその反転の結果で、根は同じようなものの気がします。ちなみに、「ホトトギス」は一致してもよし、せずともよしと融通無碍な感じがあります。

「天狼」的な「切字」と「切れ」の分離は、平成期の俳誌特集の「切字」から「切れ」へという流れとやや異なっていて、どちらかといえば一周回った「鶴」的な韻文精神の強調、という感じもします。

ただ、これは俳句史的な話なので、川本先生が展開されている概念的な話とは異なりますが、皆さんの話をうかがって思いついた、という感じです。

筑紫:私の思い付きに付き合って、わざわざお調べ頂きありがとうございます。やっぱり「天狼」も切字(当然「や」も)は少ないと言うのは予想通りでした。

反ホトトギスの、東西の雄――「馬酔木」と「天狼」がそうであれば、戦後の俳壇の風潮も何となく伺えます。

青木さんの「新興俳句系は「切字」と「切れ」を分離させて把握したがる傾向がある」は非常に興味深いご指摘です。「馬酔木」はご指摘の点でどうなっているか確認していませんが、副詞・形容詞・助詞で修辞してゆく馬酔木は、少し違うかもしれません(「天狼」は動詞、名詞で詠みあげてゆくような気もします)。「馬酔木:は、切字を使わず、切れも余り示さないという特徴があるかもしれません。

もしそうだとすると、新興俳句の文体、「天狼」の文体、「馬酔木」の文体と見てゆく方が、少なくとも切れを探すよりは生産的かもしれません。

非常に無責任な言い方ですが、それぞれの文体の違う中で相互批評はどう成り立っていくのかというのも、実作者として興味深いです。

高山:「新興俳句系は、「切字」と「切れ」を分離させて把握したがる傾向がある」という捉え方はどうなんでしょうね。実作者たちは要するに切字を使わずに表現しようとした、文体という用語を借りるなら、切字を使わない文体を創出しようとしたのではないでしょうか。もちろんその際は、リズムやら句切れやら取り合わせやら、いろいろな要素を意識したことと思いますが、それを「「切字」と「切れ」の分離」と言う場合、彼らは「切れ」を明確に概念化していたのでしょうか。

そうではなくて、彼らの試行錯誤がもたらした作品の状況に対して、「切字精神」という絶望(?)の言葉で応じたのが切字の使徒・浅野信であり、70年代以降、「切れ」という言葉で事態を捕まえようとした人たちが続いて現われたというふうに拙著では論じました。しかしそのことは、昭和20年代の作者たちが「「切字」と「切れ」を分離させて把握」していたことを意味するのでしょうか。彼らは明確には認識していなかっただろうが、現在からはそう見えるということなら、その現在における「切れ」の定義が問題になります。どうも筑紫さんが話を広げすぎたせいで、将棋で言うところの千日手に陥りかけているように思えますが。

上田:えーーーーーーーー。

一同:(笑)

上田:かれこれ一週間にわたる座談会、たいへんありがとうございました。

そろそろ、ご家族が捜索願を出されていることと思いますので、解散いたしましょう。みなさま、どうもありがとうございました。

(座談会はメールで、おこなわれました)


0 comments: