2019-12-29

【2019年週俳のオススメ記事 1-3月】WEB雑誌にできること 村田 篠

【2019年週俳のオススメ記事 1-3月】
WEB雑誌にできること

村田 篠


今年は第611号から始まりました。過去最高の161人のみなさんの新年詠が並ぶ画面は壮観です。新年詠は1句ごとに作者が違う句が並ぶことで、句柄がことによく現れるような気がして、毎年楽しみに読ませていただいています。

かつてさまざまな紙媒体に執筆された田中裕明さんの文章の転載が、第612号から【空へゆく階段】というシリーズタイトルで始まりました。対中いずみさんが初回の解題の中でこんなふうに書かれています。

 「空へゆく階段」(田中裕明の文章集)を毎月2回、連載していただくことになりました。かつて、同人誌「静かな場所」2~6号で、田中裕明の各句集拾遺句と各句集時代の文章を集めましたが、もう発行所にも在庫がありません。WEB上に残し、田中裕明ファンに、俳句甲子園OB世代に、あるいはまだ生まれていない未来の若者に届けたいと願います。

中の人間として、裕明ファンとして、うれしい言葉でした。なかでも第618号掲載の「雑詠鑑賞」では、「批評」ということについての文章から始まって、俳句という短い文芸を「読む」こととは、と考察が広がってゆき、鑑賞を忘れないけれど鑑賞に終わらない思索になっていて、確かな読み応えがあります。

第616号には、久しぶりに小誌・上田信治の「成分表」。祝詞の声に着目し、「声」と「空間」の切実な関係について書いています。

 祝詞は、あの発声で、空間的なものを、いきなり立ちあげる。そして、そこにいる私たちを、共同的な記憶の場に参入させる。典型を迂回すれば「自分の」祝詞になると考えるのは素人の発想で、何かを取り除いたら、同時に何かを持ち込まなければ、表現は成立しない。あの発声を使わずに神掛かろうとしたら、おそらくよっぽどの切実さが必要だし、同時に、スタイルの発明が行われなければならない。

第623号からは、柴田千晶さんの【歩けば異界】の連載が始まりました。独特の地名に触発されて書かれた文章ですが、実際に作者が足を運んだ場所としてのリアルが伝わってきます。もちろん現在も連載中で、楽しみにしているシリーズです。

この期間の【句集を読む】は、第621号で上田信治が岡田一実さんの『記憶における沼とその他の在処』を、第623号で岡田由季が渡邉美保さんの『櫛買ひに』を読んでいます。自分がどなたかの句集を読んで選句し、感想を書くと、結局いつも(自分にとっては)同じことを書いていることに気づいてしまい、もちろん未熟だからなのですが(でもそれは、先述【空へゆく階段】の中で田中裕明が「批評とはつまるところ他人の作品を借りて自己を語る行為だと考えれば」と書いているように、そういうものなのかもしれず)、だからこそ、自分以外の人がその句集をどう読んだのかを読むのは興味深く楽しいものです。

最後になりましたが、この期間に10句作品を寄せて下さったのは、第612号に青山ゆりえさん、第613号に小西瞬夏さん、第616号に五十嵐箏曲さん、第620号に安田中彦さん、第622号に広渡敬雄さんと加藤綾那さん、第623号に髙勢祥子さんでした。今年のアンソロジーで1句ずつご覧になれますが、改めて10句作品をお楽しみいただければ、と思います。

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