【2019年週俳のオススメ記事 4-6月】
批評✕批評
西原天気
4月は何かとスタートの月、ということでいえば、第624号の《三島ゆかり『合本俳句歳時記 第五版』を読む》はそれにふさわしい記事。新版歳時記をレビューしてコンパクトかつ興味深い展開。
第625号には、ずいぶん久しぶりの《上田信治 成分表》。
ある人は、作品世界を「自分用」の場所に変容させるということをする。/たとえば、それは「自分用」のショーケースのようなものを、記憶のそこここに設置するという遊びだ。
小津夜景《深さの図学をめぐるスケッチ 岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む》は『らん』第84号(2019年1月)からの転載としてこの第625号に。
このように、作者の目は〈深さ〉の図学を探究することにいささかの余念もない。とはいえ見ることは、本来割り切ることのできない曖昧で不分明な経過だ。見れば見るほど世界はその目をのがれ、見る者の立つ場所さえも危うくする。
ちなみに、注目のこの句集については、第599号(2018年10月14日)に《堀下翔 文彩は快楽ぞ、ゆめ溺るな》、第621号(2019年3月17日)に《上田信治 万華鏡のような句集》と、過去バックナンバーに2本の句集評。そちらも併せてぜひご一読を。
なお、第629号には、ニューヨーク在住の《月野ぽぽなさんへの10の質問》。
そういえば、この時期、創刊記念のオフ会があってもよかったのですが、私は、すっかり忘れていました。特別なことを考えなくても、毎週、新しい号が出る、ってのはそれでそれで素晴らしいことなんですが、来年、再来年は、何か考えてもいいですね。
閑話休題。第628号に 岡村知昭《神上がりましぬ》。4月に逝去された俳人・中島夜汽車氏の最後の句集『銀幕』から一句を取り上げます。
第631号に上田信治による【二つの爽波論】。《俳句とアニミズム 原始彫刻と怪人の笑い》《俳句のライトヴァース 速度がもたらす直接性》。それぞれ『澤』2018年7月号、『傘』2号(2011年)からの転載。
第632号には《上田信治 それは通俗性の問題ではないか?》。掲載直後から多くの議論を呼びました。第634号《山口優夢「第二芸術論、第二芸術論とうるさく言ってしまいました」『俳句』2019年6月号を読む》でも同誌掲載の「神野紗希 現代俳句時評6 ミューズすらいない世界で 俳句とジェンダー(上)」に触れ、上田信治自身もその後、第636号に《ふたたび通俗性について》を寄稿。さらにその後(2019年7月21日)第639号には《福田若之〈文学的〉な問いを退けて 神野紗希の時評から考える》。
地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって、そういうときには海岸線をたどるためにおろした指がもう動かない。音楽をそういうふうに聴くこともある。部屋を暗くしてレコードをかけて座っているといつのまにか雨の音を聴いていて、それでカーテンからのぞくと日が暮れていたりするから、そんな夜は眠れない。(第633号「夜の形式」)
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