【2019年週俳のオススメ記事 10-12月】
単純ではない価値観
岡田由季
第650号(10月6日)は、特集『切字と切れ』。8月に刊行された高山れおな著『切字と切れ』(邑書林)をめぐる話題を中心に、切字と切れに関する記事が寄せられています。
相子智恵《書評 高山れおな『切字と切れ』を読む ネタバレが嫌な方は読まないでください》は、親しみやすい語り口で、本書の魅力を丁寧に伝えています。『切字と切れ』、話題の書だけれど未読、という方にも、良い橋渡しになる内容となっています。
著者を含む四名による《長大な座談会『切字・切れ』をめぐる諸々》は、本当に長大です。そして、読む前に、顔ぶれからも想像がつきますが、収束しません。そもそも座談会というのは簡単に結論が出る性質のものでもありませんし、それぞれの方の知見や論に触れることで、多くのヒントが得られるのでは、と思います。
評論集『切字と切れ』自体は、検証の過程が詳細で、長い評論ではありますが、拡散的ではなく論旨がすっきりしています。私自身は不勉強で総合誌の特集などを読まないためか、それとも周囲にキレキレ言う人があまりいないせいか、「平成俳壇を覆った強迫観念」というものにあまり実感はなかったのですが、各時代に切字と切れがどう語られてきたか、冷静にかつ詳細に記述されており興味深かったです。
第651号(10月13日)では、青本瑞季さん、青本柚紀さんに作品と文章を寄せていただいています。瑞季さんと柚紀さんは双子の姉妹と伺っています。双子というのはそれだけで目立ち、セットで扱われてしまったり、比較されてしまったりと大変なことも多いと想像します。しかし俳句という同じ表現形式を選ばれている限りは、読者としてはどうしても、どのように差異のある、もしくは近い特徴をもった作品が展開されるのか、注目してしまうものです。お二人に共通する手法の特色については、上田信治《青本さんたちに、二人で出てもらった理由》に解説があります。
第653号(10月20日) この号の【空へゆく階段】№20では、田中裕明は、波多野爽波の作品を挙げながら、爽波の重視した「俳句を授かるスピード」について書いています。
言葉の生まれるスピードが詩の純度である。
裕明が爽波から何を学んだかということは、多くの人にとって興味深いテーマでしょう。
第654号(11月3日)には、【週俳9月の俳句を読む】が6本も並んでいます。この「読む」の記事は、週刊俳句の当番全員が、それぞれ心当たりの各方面に寄稿を依頼します。何分、締め切りまで短期間で謝礼もなし、という失礼なお願いで、当たり前ですが全てが叶うという訳でもなく、時期も多少前後するので、記事が少なかったり、この号のように集中することもあります。偶然とはいえ、同じ作品が多くの方の違う視線から語られるのを目にすることは、愉しいものです。
第655号(11月10日) は、恒例、角川俳句賞の落選展です。本年は11名の方に作品をお寄せいただいています。今年の落選展、鑑賞記事がいまのところ出ていませんが、今後に期待します。
歌人の小池純代さんによる【七七七五の話】は、何とも粋な、大人の雰囲気を纏っている連載です。第654号の《第5回 涙香と白秋》、第658号の《第6回 思い切る瀬と切らぬ瀬》で都々逸という言葉の説明があります。
卑俗な出自は裏返せば即、洗練の極みとなる
との記述が印象的。白か黒かというような単純ではない価値観に惹かれます。
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