2020-04-19

僕の愛する俳人・第4回  笑う瓜人 西村麒麟

僕の愛する俳人・第4回
笑う瓜人

西村麒麟

初出:「ににん」第76号

1. 瓜人さん

通好みと言えば褒めている印象も多少はありますが、俳句の、あるいは文学においての通好みとなるとどうでしょうか。知る人ぞ知るところの、と言えばなんだか格好良いですが、嫌な言い方をすれば、大衆的作家では無い、はっきり言えばあまり読まれていない作家とも言えます。

こんな出だしから始まりましたが、今回は相生垣(あいおいがき)瓜人(かじん)さんを紹介させて下さい。簡単な略歴を書いておくと瓜人さんは以下のような方です。

明治三十一(一八九八)年に兵庫の高砂に生まれる。波郷や窓秋達と共に「馬酔木」の自選同人として活躍。浜松にて「あやめ」を創刊(後の「海坂」)。昭和六十(一九八五)年に八十六歳で亡くなるまで三冊の句集があり、第二句集『明治草』にて蛇笏賞を受賞(七十八歳時)。

孤高、風流、隠者、仙境などの呼名がこれほど似合う俳人もなかなかいないのではないでしょうか。追悼座談会(「海坂」昭和六十年五月号)によると、春子夫人が庭の落葉を掃除すると、紙屑と違って落葉が散らばっているのは汚くないと軽く窘められる話が出てきます。瓜人らしい風流なエピソードです。名を求める事を良しとせず、ひたすら清らかに、自分の美意識を頑なに固守した人と言えます。蛇笏賞の授賞式当日の朝まで行きたくないと周囲に訴えた話も残っています。隠者の中の隠者ですね。

さらに書画骨董、漢籍をはじめとする古典の教養の深さは当代随一との評判です。そんな事ばかり書くと親しみがわかないかもしれませんので書き足しておくと、珈琲とバッハとチーズケーキがお好きだったみたいです。

2. 難解

そんな相生垣瓜人ですが、その作品をどれぐらい目にした事があるでしょうか。
歳時記にも掲載される事の多い、最も有名な作品は次の一句かと思います。

荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ

次にこれらの句にも見覚えのある方は多いかもしれません。

秋声を聞けり古曲に似たりけり
夕時雨白磁の姿くづれそむ
家にゐても見ゆる冬田を見に出づる

愛読者にはまだまだ浮かぶかと思いますが、一般的に知られている句は今挙げた作品ぐらいではないでしょうか。瓜人は大抵のアンソロジーには入集しませんし、全句集は古本でしか入手出来ないばかりか、なかなかの高値で取引されています。多くは出回っていないけれど、ファンにとっては高値でも是非手に入れたいという、まさに通好みの作家です。
さらに瓜人を通好みにしているもう一つの原因は、その作品の難解さにあるかもしれません。恥ずかしながら僕の知識では、辞書を引きながらでないとなかなか読み進められません。正確に言えば句自体はそれほど難しくないのですが、ある程度の古典の教養がないと瓜人の作品を面白がる事が難しいのかもしれません。
3. 瓜人クイズ

やや難解と思うタイプの瓜人俳句をいくつか挙げてみます。辞書無しで、即座にいくつ理解出来るでしょうか。瓜人さんにはクイズのような下品な事はおやめなさいと叱られてしまいそうですが……。

高弁は如何に牡丹を見たりけむ
まじまじと月見る愚をば敢てせり
さる帝蜜柑の数珠を持されけり
年忘れ麹(きく)先生を懼れつつ
石龍子龍挐の状を現じけり
新涼の潺湲として来りけり
人の世に木賊も蘆も刈らで老ゆ

一句目、高弁とは高山寺の明恵上人の事です。木の上にいる明恵上人像や白洲正子の作品等でよく知られていますね。明恵はわかりますが、高弁で即座にわかるかどうか。

二句目、これはわかりやすいですね、『徒然草』の有名な「月は隈なきをのみ見るものかは」を意識して、敢えて私は月を見るぞと詠んだ句。

三句目、これは花山天皇の奇行のこと。手がかゆくなってしまいそうですが……。

四句目、麹先生とは酒の別名。そう言われてみればなるほどと。

五句目、石龍子(せきりょうし)はトカゲ、龍挐(りょうだ)は龍がものを掴む様。つまりトカゲが何か餌になる虫でも捕らえたという句です。内容は何でもないんですが…。

六句目、潺湲(せんかん)は水が流れる様子で、白居易の詩から来ています。潺湲という言葉は谷崎潤一郎ファンには京都の潺湲亭があることからご存知かもしれませんね。

七句目は少し考えてみたいと思います。瓜人本人の自註によると、「折角人の世に生れ来ており乍ら木賊刈も芦刈も経験せずして終ろうとするのが惜しまれるのである。これでは物のあはれを言う資格は無いのである。」とあります。

しかし、これはおそらく能の「木賊」と「蘆刈」を意識した句ですね。それぞれがどんな物語かを知ってからこの句を読むと、大きな哀しみもなく、なんとか今日までやってこれました、ぐらいの句意になるでしょうか。

先程挙げた句、ほとんどわからなかったと言う方、安心して下さい、僕もそうですから。東京美術刊行の『言はでもの事』や俳人協会の自註、橋本榮治氏の力作、相生垣瓜人論「机前の人」には随分助けていただきました。僕の乏しい知識だけではまだまだ瓜人の作品には太刀打ち出来ません。さらに深く読んでみたいと思う方は、昭和五十一年四月「馬酔木」、昭和五十一年七月「馬酔木」、昭和六十年四月「俳句」、昭和六十年四月「海坂」、昭和六十年五月「海坂」、昭和六十一年三月「海坂」あたりを読めばより作品に親しめるかと思います。ただ、いきなり解答付きを見るようでは楽しみが半減ですから、出来れば最初の一回目は瓜人全句集を自力で読む事をお勧めします。

僕は自分が俳句を作る時には、出来るだけシンプルな言葉を使う事を心掛けています。なので、僕は瓜人俳句を愛していますが、僕とは俳句の作り方が大きく異なります。その事からただ難しい句と、難しいけれど面白い句の違いを時々考える事があります。おそらく、辞書を引いてみたくなるかどうかではないでしょうか。だから瓜人さんの俳句は時間をかけてでも読みたいと思う作品なんだと思います。

4. ユーモア

瓜人俳句は教養が無いと読めないんでしょ、難しいからやめておこう、と言う人がいたらもうちょっとだけ待って下さい。違うんだと、瓜人俳句はすごく面白いし、時には可愛らしい俳句もたくさんあるんだと強く主張したい。次に挙げる作品はどうでしょうか。

春来る童子の群れて来る如く
怖るるに足らざる我を蟹怖る
勝つ事は勝てり蜈蚣(むかで)と闘ひて
蟷螂が怒りに燃えて立ち上がる

一句目、この童子達は春の精霊のようですね。めでたさと可愛らしさと。

二句目は、私(人間)の姿を見てさっと隠れた蟹。危害を加えるような乱暴ものではないのにと、ちょっと寂しく感じている句。

三句目、ぜえぜえ息を切らしながら、必死に蜈蚣を撃退したのでしょうか。お写真やその人柄のエピソードを拝見した限り、争い事には全く向いてなさそうな方ですから、どれほどの死闘だったかを想像してしまいます。ちなみに〈わが胸を歩みし蜈蚣さへありき〉〈ずたずたにすべき蜈蚣や先づはせし〉の句もあります。笑い事ではないのですが、俳句にすると滑稽な感じもあります。

四句目、ボクサーのようにファイティングポーズをとって立ち上がりくる蟷螂。さて蜈蚣にはなんとか勝てましたが、今回はどうでしょうか。

人間と他の小さな虫さえも、命において対等だと、相手を尊重しているところが瓜人俳句のポイントの一つです。ですから蜈蚣や蟷螂、ごきぶりと喧嘩して、必ずしも人間が勝つとは限りません。どんな相手でも真面目に慈しみ、真面目に喧嘩をする、人間だから偉い、強いなんてことは無いんだという意識が美しいと思います。以下にもそんな句を挙げておきます。

鴨引くや猫悉く屋上に
ががんぼが襲ふが如きことをせし
蟹はしづかに蛙の前を立去れり
生きてゐし蟇より蝶のたちゆけり
蜈蚣死す数多の足も次いで死す
藪蚊には頻にぐさと刺されけり
蚊に食はれ藪蚊に食はれ血が減りぬ
ごきぶりに飛びつかれむとしたりけり

5. 新しい魅力

全句集約三千句ほどを読み通すと、次のような人間臭い主張がたくさんあることに気が付きます。暑い暑い、梅雨が鬱陶しい、冬が寒くて嫌だ。他には老いてきて辛い等の生活のぼやきのような句をたくさん目にします。例えば以下のような句。

梅雨来ると烈しく頭洗ひをり
邪悪なる梅雨に順ひをれるなり
雪も亦怒りに任せ降るらしも
炎帝に追ひ返されし散歩かな
風邪の神馴々しげに寄り来る
空風に打擲されて我慢せり
狂乱す冬将軍もその部下も
老人を一掃すべく寒の来し
大安も佛滅も他も皆暑し
無謀にも米寿の春を迎へけり

体が頑丈ではなかった瓜人さんは、本当に暑さ寒さが辛かったのだと思います。俳句は辛い、悲しい等の残念な事柄を笑いに転換するのに優れた文芸であることを、よく知っている人の作品のように思います。ぼやきがことごとく句になったら、少しは心軽やかに生きていけそうではありませんか。ちょっと辛いな、生き辛いなと思っている人にも瓜人俳句をぜひ読んでみて欲しいです。こういう句は真面目に詠んでこそ面白いから不思議です。

6. 僕の愛する瓜人

今までに挙げなかった句の中で、僕の愛する瓜人の俳句をいくつか紹介します。渋い句、綺麗な句、不思議だったり一癖ある句、素直で可愛い句、瓜人さんの俳句の幅は広いので、きっとたくさん読めばそれぞれが好きな句が見つかるかと思います。

僕が特に好きな瓜人さんの俳句は、〈形代をつくづく見たり裏も見る〉や〈秋晴の日記も簡を極めけり〉のような、わざわざ敢えて言いました、わざわざそんな事も俳句にしました、というタイプの「わざわざ俳句」が多いかもしれません。瓜人さんの文集のタイトルが『言はでもの事』であるのも面白いですね。真のユーモアは真面目から来るものかもしれません。

形代をつくづく見たり裏も見る
ありとある隙を占めをる隙間風
秋晴の日記も簡を極めけり
そこはかとなく昼寝すと人の云ふ
校庭を熊が眺めてゐたりちふ
明日食べむ瓜あり既に今日楽し
利休居士笑を湛へて果てたる日
白扇に描きし瓜やじぐざぐす
耳の日や耳大いなる佛達
幻の鷹も現の鷹も見し
反返る人丸像や人丸忌
天高し其他の物は皆低し
つひにゆくみちのほとりのひなたぼこ
諸々の女の中の雪女

7. 誕生日

瓜人さんの誕生日は八月十四日、翌日の十五日はナポレオンの誕生日です。瓜人さんは文集の中で、英雄なんかと一緒でなくて良かったと記しています。そういうところも、魅力的な人ですね。

そう言えば、八月十四日は僕の誕生日でもあります。ナポレオンじゃなくて、瓜人さんと一緒なのが僕の秘かな自慢です。蛇足ですが、実はこの文章はまさにその八月十四日に書いています。誕生日おめでとうございます、瓜人さん、僕、あと天国の桂歌丸師匠。誕生日に関するエッセイを最後に少々。

老衰の募つた此頃では折角の誕生日が来ても気勢は一向に上がらない。「言はでもの事」。

このように書きつつ、さらに瓜人さんはぼやく。最近はメロンが喜ばれるようになり、好きな真桑瓜が影を潜めて行ったと。そして一句。

真桑瓜の影さへも無き誕生日  瓜人

八月十四日は、チーズケーキでも食べよう。

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