2020-08-09

【週俳7月の俳句を読む】夏の到来 常原 拓



【週俳7月の俳句を読む】
夏の到来

常原 拓


教室中でメロスの激怒夏に入る   村上瑛

国語教科書で出合うあまりにも有名な一文。「激怒」に続く二文目の「邪知暴虐」も暑苦しい。中学生が犇く教室で、音読の声が響く。季語「夏に入る」がよく効いている。嗚呼、夏が到来したのだ。


返球は転がしてやる朝曇      同

幼子とのキャッチボール以前のキャッチボール。夢中でボールを追う姿が愛らしい。この子もいずれは球児となっていくのであろうか。猛烈な暑さの前、静かな朝のひと時が穏やかに描写された一句。


紫陽花やうらぶれつつも文具店   太田うさぎ

「うらぶれつつも文具店」。どの町にも一軒はあるのではないだろうか。曇った硝子ケース、老いた店主、独特の匂い…。年月を経ても、どこかしら残る文具店としての佇まい。そして、店先の紫陽花。紫陽花はいつも私たちの生活と共に在る花。


屈みゐし人のつと立つ渓蓀かな   同

屈んでいるのは渓蓀を愛でている人か。人にも渓蓀にも掛かる「つと立つ」という措辞で、人と渓蓀のイメージが一体化する。夏の盛り、凛とした空気が漂っている。


ささやかな独裁起こすかき氷    橋本直

鮮やかなシロップに練乳や金時で彩られたかき氷ならば、「一口頂戴」と言われても躊躇してしまうものだ。「ささやかな独裁」とは言い得て妙である。しかし、デコレーションが施されたかき氷そのものが、小さな独裁者を擁する夏の要塞のようにも思えてくる。

 
みてをれば蚯蚓になにかみえてゐる 同

蚯蚓に物は見えない。かといって、作者は蚯蚓と同化しているわけではない。作者が見ているのはあくまでも蚯蚓であり、〈見る〉ことによってその蚯蚓に何か見えていると言っているのだ。この句は、俳人の〈見る〉という主体的な行為そのもの、ひいては「客観写生」への問題提起ではなかろうか。


村上瑛 森に 10句 ≫読む
691号 2020年7月19日
太田うさぎ 息災 10句 ≫読む
橋本 直 不自然 10句 ≫読む

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