2020-09-20

【700号記念】淡々とメトロノームの如く 村越敦

【700号記念】
淡々とメトロノームの如く

村越 敦


週刊俳句もついに700号ということで、数字つながりで少し調べてみたところ、テレ東木曜夜の経済番組「カンブリア宮殿」もこの9月で放送700回を迎えたそうです。

週俳創刊(2007年4月)から遡ること1年、2006年4月の同番組の初回放送のテーマは「トヨタ26万人の人事戦略」。最近もトヨタの人事を3年で辞めたという方の記事がバズっており日本最大の企業が抱える問題は14年前も今も同じと知り微妙な気持ちになりつつ、それよりも同番組にメインで出演する村上龍・小池栄子の姿が当時と今とを比較してもさほど変わっていないことに何より驚かされます。

話は少し変わりますが、拙作で恐縮ながら、この週俳上で「造られて公園となるチューリップ」という句を以前発表しました(週刊俳句・第219号・2011年7月3日)。

どうしてそういうことになったのか話の経緯は忘れましたが、当時近辺に住んでおり(そして高山れおな『荒東雑詩』にインスパイアされていた)越智友亮が企画した、葛西吟行で書いた句だと記憶しています。(もし記憶の混線があれば大変すみません。)

その後葛西を訪れる機会は残念ながら全くなかったのですが(かの地下鉄博物館があるのに!)、コロナで転勤が延期になり湯島の自宅を不動産屋に追われたことで、この春に今度は意外なことに住人として、同地との縁が出来ました。

当時拙作で取りあげた埋立地的なイメージは東西線や京葉線の車窓から見れば確かにそれはそうなわけですが、実際に住んでみると、一口で江戸川デルタ地帯と言っても当然そこにはグラデーションがあることに気づかされます。

例えば私が住む東葛西などは山本周五郎も1年だけ住んだというお隣浦安駅周辺とは違う意味で歴史を感じる場所で、江戸期建立の寺院や田畑やそれを売って財を築いたと思われる大邸宅などが残っており、その実相はベイサイドの住宅街が持つイメージのそれとは少し異なります。

なので、当たり前のことながら、俳句形式で掬い上げる対象として自分が認識する景色自体は経験によって如何様にでも変わってくるのだと、旧江戸川べりをはしゃぎつつ吟行していた9年前の自分にこっそり耳打ちしてあげたいな、とこの地で俳句を作っていて思う今日この頃です。

アフターコロナ・ウィズコロナとされる中で世界の変容するスピードはいよいよ加速しているように見た目上は思えるわけですが、果たしてどうでしょうか。いずれにせよ、少なくとも、その中に毎週淡々とメトロノームの如く更新され続ける週俳があるということの意義は、逆説的に高まってきているように思います。

改めて700号、本当におめでとうございます。

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