2020-09-20

【句集を読む】広瀬ちえみ『雨曜日』の一句 小林苑を

【句集を読む】
ほっこり
広瀬ちえみ雨曜日』の一句

小林苑を


めんどりがあたためているさようなら  広瀬ちえみ『雨曜日』

川柳の話をしようとすると緊張する。俳句は深読みを嫌ったりするのだが、川柳は寓意と(誰に言われたわけでもないのに)思い込んでる節があり、なにかを汲み取らなければと虚心になれないらしい。なのに俳句の深読みは大好き。

句集名がなんともお洒落な『雨曜日』。中には「たまたまもまたまたもあり鳥堕ちる」「午後からは豹が降るかもしれません」等のことば遊びなんかもあって、思いの外するすると読み進められた。ところが、帯が気になる。
かって…沼があった…木立が繁り…いまは見えない。ちえみを探したければ、そこに行けばいい (中西ひろ美) 
こんな謎めいたこと帯に書きます? 句柄が変わった? 著者のあとがきにも沼が出てくるし、句集にも「梅雨に入るからだが沼の匂いして」「笑ってもよろしいかしら沼ですが」がある。

手元に『セレクション柳人』全巻。正直『柳人』は捲った程度のものが多いのだが、それではと『広瀬ちえみ集』を開いてみる。どうも、と私は思う。女であることが面倒なとき、広瀬ちえみの句はいきいきするようだ。おかげさまで、と私は呟く。面倒にはこと欠かなかったもんね。著者とは面識がないが、ひとつだけ分かっているのは同世代ということ。

どんどん長くなりそうなので端折りに端折ってひとつだけ。『柳人』にも『雨曜日』にも父の句がいくつかある。『柳人』なら「父を食べ尽くして軽く口を拭く」とか。娘にとって父は男という存在の入口。面倒始め。好きだけど嫌い。

掲句に戻らねば。雌鶏が自然の営為として卵を抱く。とても大切に。ところが、あたためているのが「さようなら」だとしたら。人生にはいくつもの「さようなら」、いちど切りの特別な「さようなら」、最期の「さようなら」もある。女である面倒の源はこのあたためる役割なのかもしれないし、いつか「さようなら」するんだと(怖いんだぞ)決意を育てているようでもある。そうかそうかと雌鶏を思い浮かべると、これがなんともほっこりした姿なのだ。

ぶるぶるっとことばまみれを振り落とす  同

尋問を受ける突起があるために  同

胎内の大きな合歓の木が揺れて  同

物干しの父を取り込むのを忘れ  同

いらっしゃいませどの鳴き声になさいます?  同


広瀬ちえみ『雨曜日』2020年5月/文學の森





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