2020-10-04

【空へゆく階段】№35 素描 ~「波多野爽波アルバム」の周辺 田中裕明

 【空へゆく階段】№35

素描 ~「波多野爽波アルバム」の周辺

田中裕明
「青」1985年11号・掲載

爽波先生の横顔を素描しろと言われて困っている。面と向かってそんなこと書きづらい。照れてしまうのが人情だろう。先の拙句集の帯文にいただいた「いつも近くに居りながら、……その人、そしてその作品についてその特長を的確に指摘することは可成り難かしい」というくだりをそのまま書き写してみたい誘惑にかられたくらいである。

やはり出会いから書きはじめなければならない。最初に読んだ「青」は一九七七年四月号だった。学生ばかりの句会の席で見せてもらったものである。爽波先生の句にはたとえばつぎのような佳品があった。

雛納め魦少々氷魚少々

山吹の黄を挟みゐる障子かな

もちろん、句会というものにはじめて出てきた高校三年生にこの句の良さをわかれというほうが無理なはなしだろう。まわりは自分より年上の人ばかり。聞くことも知らないことだらけだったのだから。それでもその「青」をもらって帰って、さっそく六月号から投句をはじめたのは、何かしらひかれるものを雛納め、あるいは山吹の句に感じていたのかもしれない。「青」の句会ではじめて爽波先生にお会いしたのは翌年の四月の京都句会。親しく話しかけていただいて恐縮したのを覚えている。しかし選句がはじまるとひどく恐い顔をなさったので気難しい人なのかしらと思った。考えてみればいまでも選句中の爽波先生は紙巻き煙草をさしたパイプを噛むようにくわえて、きまって眉間に皺をよせている。こんな難しい顔で選句をして終われば「今日はいい句が沢山あって気持ち良く選句することができました。」とおっしゃることもあるのでこちらはだまされたような気がする。

次に俳句づくりとは別の横顔をながめてみたい。

大学の二年の終わりから四年の終わりまで「青」の編集の仕事をしていたうちで最後の一年は月に一度爽波先生の勤め先へ原稿をもらいに通った。きまってひるどきに行って昼飯をごちそうしてもらった。ひとしきり「青」の編集の事務的な話が終わればあとは俳句のことやそのほかのこと。もっぱらこちらは聞き役でいかもわりあい熱心な聞き手だったように思う。

そういうときの爽波先生はたいてい上機嫌でしかも多弁である。しかも話の内容は人間に対する興味に裏打ちされたものであることが多い。

「湯呑」の中にそういった句をさがしてみると必ずしも多く見られないが、近作には沢山ある。

破魔矢置き破顔一笑ありにけり

雪しろにまた始まりし懈怠かな

花大根忌明けの人を上座かな

大雑把に言って人間に対する興味が「湯呑」の次の句集のモチーフのひとつになることはまちがいない。

ここ数年のうちに上木された「青」の連衆の句集にお寄せになった序文はすべて作者のひととなりを活写してあまるところがない。これも同じ水源に発したものであろう。


解題:対中いずみ

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