【句集を読む】
守りと攻め
松本てふこ『汗の果実』を読む
小林苑を
だんじりの日のしづかなる理髪店 松本てふこ『汗の果実』
揚句を語る前に同句集にあるもう一つのだんじりの句に触れないわけにはいかない。
だんじりのてつぺんにゐて勃つてゐる 同上
この句の方が話題性もあり、著者らしい句と評されているだろう。確かに「勃つてゐる」の思い切りの良い言葉選びはてふこ句ならでは。でも、私は最初の句が好きだ。さらに言えば、こちらの方により松本てふこを感じる。
句集名から『狂った果実』を思った。実はこれ、アリスのアルバム・タイトルだったり、アダルトゲームのブランドだったりするらしいけど、日活映画(1956年制作・石原裕次郎主演)のこと。もちろん果実繋がりではあるが、私の中でもてふこ句が「勃つてゐる」とともに「おつぱいを三百並べ卒業式」「不健全図書を世に出しあたたかし」であったためだ。彼女の代表句であり、性的なイメージを白日の下にというよりあっけらかんと曝す。こちらを攻めの句と呼ぼう。
ところが、句集から覗われるのは普通の女性の日常だ。おつぱいを並べて卒業したうちのひとりが就職して仕事して恋して結婚して子供を産んで。こんな暮らしの中の憂鬱。これを守りの句と呼ぶとして、なにを守るのか。わたし、であろう。
「会社やめたしやめたしやめたし落花飛花」。ここで重要なのは仕事ではなく「会社」であること。さらに飛花落花ではなく「落花飛花」であること。女が仕事も家庭もと生き抜くのは半端ないんだよ。これは親子以上に年の離れた私が経験的に断言する。そして、いつまで経っても大して変わっていないというより、意識と現実の落差はむしろ大きくなったのかもしれない。生きづらさなんて言葉が浸透し始めたのはいつ頃からだろう。てふこ句からそんな時代の居心地の悪さが伝わってくる。
祭の喧噪から取り残された理髪店。こんな日は客もいない。理髪店という呼称の床屋とは違う古くさいけど洒落てる、だから格好よかったりもするアンビバレンスな感じ。だんじりという「ハレ(晴れ)」に対する「ケ(褻)」の昏さのひんやりとした安堵感。ここでは頑張らなくても無理しなくてもいい。
攻めと守りの話はこれまで。どちらも戦うには欠かせない。文中に出てこない句をいくつか揚げて、最後に「攻めて、攻めて、攻めまくれ」とエールを送って了りとしよう。
台風が来るぞ来るぞとマトリョーシカ 松本てふこ『汗の果実』
くちづけのあと春泥につきとばす
冷奴頼むさつさと口説かねば
金風や首にうるさき社員証
人ごみに流されながら初笑
松本てふこ句集『汗の果実』2019年11月/邑書林
≫邑書林 online store
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