【空へゆく階段】№36
交友録~碧鐘賞受賞のことば
田中裕明
「青」1991年6号・掲載
数年前に『花間一壺』という句集を出した時に出版社から短かい文章をもとめられた。「交友録」と題して数人の友人とのつきあいについて書いたように思う。いま受賞のことばにかえて「青」に入会して以来の爽波先生からいろいろと教えられたことを書くのに、同じ「交友録」という題をつけるのはもちろんおかしい。
ただもともと『交友録』は吉田健一の本の名前で、この本の中で吉田茂やF・L・ルカスにも一章があてられている。すなわち父とのつきあいやケンブリッヂでの先生に学んだことも交友ととらえていたわけで、こういう自由な精神のひそみにならいたいような気もある。
爽波先生にはじめてお目に掛かったのは大学一年の春の京都句会だった。高校三年の春に「青」に入会したけれども、一年間は学生だけでやっていた「がきの会」に出席するだけで「青」の句会へは出なかった。その頃京都句会は河原町蛸薬師の関西電力の支店の二階、あまり広くない部屋で行なわれていた。その日の爽波選に、
鶯や砂利掃きしあと旗上げる 裕明
という句がはいってひどく嬉しかったのを覚えている。初対面の爽波先生は五十代半ばだった筈で優しい声で人に話された。目は真直ぐにこちらに向けられていたが、その目も優雅なかんじがしたのは今と変わらない。
爽波選に入ってひどく嬉しかったと書いたが、そんな覚えがもう一度ある。これは後援会で先生に句を見てもらっていた頃、返ってきた
コスモスの道真直ぐに山ありぬ 裕明
という句に印がついていて横にこういう句はすっとしていて良いと書かれていた。以後こんなふうに句をほめていただいたことはないので記憶に残っている。
俳句で師に学ぶというのは結局自分の自信のある作品と師の選がぴったりと重なるようにすることだと爽波先生が「青」に書かれていた。虚子に学んだ経験に即した教えである。「青」で俳句を勉強してきたのはそれを学んできたのだなと今にして思う。自分で手ごたえのある一句か二句が爽波選にはいるかどうか。その瞬間に息をこらしているのである。
だから爽波選に入って嬉しいというのも、自分でどの句に自信があるのかもわからない頃のはなしで、しばらくすると選に入ってもただ嬉しいというのではなくなってくる。自分でもよくわからないような句が入選すると何故その句が良いのかが不思議で喜んでいられない。手ごたえを感じた句が爽波選に入れば喜べばいいのだけれど、それはそれで何となく手ばなしでは喜べないような気もする。もちろん爽波選に入らないときは心たのしまないのだから、俳句というものもなかなか辛い。よくも十五年もやってきたものだ。
そうこうしているうちに、自分の俳句がいわゆる「青」の俳句とちがっているように感じはじめた。爽波先生も「あなたは裕明のような句を作ってはいけません」とおっしゃっているらしい。うちの同居人も言われた。これもまあ一種のおほめの言葉だと思っているのだけれども、考えてみれば皆作っている句は違うのだからいわゆる「青」の俳句というものはない。爽波俳句があって、魚目俳句があって、ほかにも沢山あってしかもそれらが過去の総体としてあってはじめて「青」の俳句なのだろう。
爽波先生の書かれるものの語りくちが池波正太郎のエッセイに似ていると思ったことがある。滋味があっていさぎよい。根本のところには下降史観ともいうべきニヒリズムがあるのだが、少くとも今日という一日を自分の思ったとおりに生きる。反骨精神。池波正太郎は時代小説の中にしばしば食べものを出したが、これは昔の日本の季節感を出すためだと書いていた。
「青」で俳句として良かったと思うことの一つに、大学じぶんに編集の仕事をさせてもらったということがある。いろいろなことが経験できて楽しかった。のちに外山滋比古さんの『エディターシップ』という本を読んだときにも編集の文化的側面について納得するところが多かった。島田牙城さん、上田青蛙さんと一緒に見よう見まねで編集していた頃は、振返ってみるといかにも自分の学生時代という気がする。その後一人で編集の仕事をするようになって、道修町の「藤沢薬品」に爽波先生をおたずねして、原稿をもらうのがきまりになった。昼ごはんを御馳走になって、その時には句会で伺うのとはまた違う話をお聞きした。淀屋橋のビルの地下の明治屋というレストランで爽波先生はビフカツを食べることが多かった。まわりはみな背広を着たサラリーマンでこちらはまだ学生だったから、何となく珍しいものを見るような気持ちで眺めていた。これも自分が背広を着て昼飯を食べるようになるとめずらしくも何ともない。
あるとき爽波先生につれられて日本料理の店に入って柳川鍋をたのんだ。七月だったかと思う。爽波先生は烏賊の造りを食べながら「それ、熱いかい。」とたずねられた。
池波のエッセイ集『散歩のとき何か食べたくなって』のなかに若い友人といろいろ食事をする話がある。さきの柳川鍋がその中の一つであってもおかしくない。「それ、熱いかい。」、池波正太郎も言いそうだ。
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