【句集を読む】
「私」を刺す
柏柳明子『柔き棘』
小林苑を
無患子を拾ふきらひな子のきれい 柏柳明子『柔き棘』
話したことも、たぶんお会いしたこともないのに、柏柳明子の句も人もとても親しい気がする。句集名となった「抱きしめられてセーターは柔き棘」の感触。このゾワッという生理感覚。息を吸うのでも吐くのでもなく止まる瞬間。モヘアのような毛足の長いふわふわの柔らかなセーターに違いない。その長い毛足を棘と感じる「私」。相手を嫌いだからではない。むしろ喜びを感じているときに「私」を刺す棘。
掲句の無患子の実は皮をむくと大きな漆黒の種があり、これが羽根つきの羽根の玉になる。腰をかがめて拾われた不細工な無患子は白くて華奢な掌に乗るのだ。「きらいな」「きれい」の ki ki の繰り返しにも、「きらい」という感情や「きれい」という妬ましさにも、棘はあって「私」を刺す。
この疎ましい自意識の抱え方は女特有のものなのだろうか。どちらもセクシュアリティ抜きには感受できない句。たぶんそれが疎ましさの正体でもあるのだから。親しいと感じるのはこれかもしれない。決して口にしない(女である)自分という存在の面倒くささったら。
勿論、ゾワッとばかりしてはいられない。句集には《釣堀や加藤一二三のやうな雲》なんてクスッとする句もあり、特別なことの起こらない日常という時間が過ぎ、季節は巡る。《次々と傘をひらきて卒業す》《台風圏四角くたたむ明日の服》《だらだらと親族の来し蕎麦の花》《鋏ならきれいに切れる冬の空》。この世の則の中で、でも確かに目を凝らしながら。
するとね、いろんなものが見えるのです。
青葉木菟見えない友達と遊ぶ 柏柳明子(以下同)
よく風のとほる廊下よ竹の秋
幽霊と飯田橋ギンレイホール
炎天をギロチンの刃の落ちてくる
春の星頭の重きぬひぐるみ
柏柳明子句集『柔き棘』2020年7月19日/紅書房(炎環叢書) ≫amazon
7 comments:
>拾ふきらいな子
違和感
「無患子を拾ふ(切れ)きらいな子のきれい」では?
意味とか切れでなく、
初歩の仮名遣いなんですが、、、
なるほど。「拾ふ」に合わすなら「きらひな」ですか。転記ミスの可能性も考えられますが、原句はどうなってるんでしょうかね…
句集は所有してないのですが、
ネットで収集した柏柳明子さんの句が200句ほどあり、
旧仮名の作家さんとは思っていました
今回、改めて、ネット検索した結果、
複数の信頼できる俳人さんが、
「無患子を拾ふきらひな子のきれい」で引用
何より、ご本人の記事もヒットしました
https://note.com/nag1aky/n/nd9b71263a4bf
ありがとうございます。私自分で検索すればよかったですね。お手数おかけしました。
ありがとうございます。
訂正させていただきました。
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