2021-02-21

【週俳12月・1月の俳句を読む】20210213 相馬京菜

【週俳12月・1月の俳句を読む】
20210213

相馬京菜


地震の夜。私のいたところは震度5弱だったようだ。津波の心配がないと知ってひと安心。幸い水道、電気、ガスは止まっていない。これほどの揺れを体感したのは初めてで、もっと大きな揺れが来るのが怖い。連絡がいくつか。近隣の人が外に出ているのか話し声。入浴後の空の浴槽に再び湯を張り、やかんに水を貯める。髪を乾かし、充電できるものを充電する。あっという間に0214。空いていた鍋に人参、ジャガイモ、玉ねぎ、ブロッコリーを放り込んでカレーを作る。本震に比べれば小さな余震が繰り返し起こり続ける。
 落ちてくるものは下ろした。寝てもいいのだが、なんとなく落ち着かない。締切を本来より遅くお願いしていた本稿を書き始める。明日明後日どうなっていることかわからない。


◆藤田俊 はく

ロッカーにしばし手を置く冬の朝   藤田俊

就業前に、誰もいない寒い朝のロッカールームで気持ちの整理をしていたのだろうかと思った。怒りとも苦悩とも想像できる。手がとても印象的。立ち去った後も、冷たい金属のロッカーに手のぬくもりが残される。


手袋のままで証明写真撮る  藤田俊

証明写真機に入り、椅子に腰かけた。おそらくスーツ姿になるために上着だけ脱ぎ、寒いから手袋を外さずに撮る。証明写真が脚に置く手を写さないのは言われてみれば当たり前だが、気張っているとなぜか手袋も脱いでしまう。これは少しでも写りを良くしようと気張るような写真ではないようだ。


定位置に靴べら挿され神無月  藤田俊

いつもはそばにある神が旅立つ月にも、仕事に向かう革靴を履くときに、靴べらは革靴のかかとの定位置に挿し込まれる。仕事への誇り、積み重ねてきた経験への自負を表しているよう。あるいは対照的に、「定位置」への批判、日々の仕事への不満を表明した一句である可能性もある。

というところまで考えたが、「定位置」とは靴べらを使わないときに挿して置いておく決まった場所のことなのかもしれない。その場合は、「定位置」が神無月のイレギュラーさと対比されて安心感をもたらしているだろうか。


むかし来た押入えらぶ枯蟷螂  藤田俊

連作中でいちばん好きな句。ふだんは使わない空の押し入れだろうか。開けると枯蟷螂がいた。以前にも同じ場所で枯蟷螂を見つけたことがあったのを思い出す。同じ個体であることはあり得ない。それを、「むかし来た押入えらぶ」とはなかなか言えない。この最期の場所を眼前の蟷螂が選んだのだという見方があたたかい。


街灯のしたでひといき白菜と  藤田俊

冬の夜に白菜を抱えて歩いている。白菜は縦長で、下の方が丸くて抱えやすく、ほどよく大きく重い。ころんとしてずっしりで、持っていると愛着が湧いてくるようだ。街灯の下まで来てひとやすみ。「と」に愛着が込められる。「したでひといき」のひらがなへの開き方にもゆったりとした心の持ちようを感じる。

表題の「はく」とは白菜のはくだろうか、あるいは、連作で描かれた冬の朝や夜の景の中で吐く息の白さの象徴なのだろうか。


◆箱森裕美 天から手

山眠るクッキーの真ん中にジャム  箱森裕美

丼と丼の間の枯野かな  同

「山眠る」とジャムクッキー、「丼」と「枯野」の取り合わせが面白いと思った。山の麓でのティータイム、クッキーの中央でとろとろとした輝きを放つきれいな色のジャムに心を動かし、枯木で鎮まりかえる山に思いをはせる。丼と枯野の方は、カウンターに牛丼とか天丼の盛られた二つの丼が少し距離をとって並べられ、その奥、丼と丼の間の遠景に枯野と青空が見えているような景を想像した。丼の屋台があり、その店主の視点から見ているような感じだ。屋内で食べることの多い丼が、枯野と配合されて開放感を生んでいる。


柿紅葉握るや電車降りぬまま  箱森裕美

連作中でいちばん好きな句。美しく照る柿紅葉を拾い、電車に乗った。人のまばらな秋晴の昼間の車内が想像される。色づく外の景色に目をやったり手の中の柿紅葉を愛でたりしつつ、ゆったりと電車に揺られる時間を大切に過ごしている。一人での小旅行だろうか。自分にも同じような経験があったのを記憶の底から思い出すような心地がし、心が惹かれる。


長靴のずぼずぼと来て大根引く  箱森裕美

長靴を履いた人がずぼずぼと大股で土に分け入り、大根を抜いて去っていった。なにげない一瞬に思われるが、その人の動作が作者の心に鮮烈な印象を残したのだろう。


毛布くるまり海底となるこころ  箱森裕美

大きな地震の直後という状況下、この句が目に留まった。「海底」とは、作者のホームとなる、守られた安全な心の領域なのだと思う。毛布に守られている安心感が、日常生活の中で疲弊した心を海底に導く。お気に入りの毛布があれば、どこに行っても心は海底となれるだろうか。余震が続く部屋でひとり自問してしまう。


◆木田智美 ひろく凍つ

お歳暮の煎餅つつむ青海波  木田智美

雪いろの冬毛のじかんみじかいね  同

スリッパもこもこ踵の透けて黒タイツ  同

お歳暮の「お」、「じかんみじかいね」、「もこもこ」といった言葉遣いがかわいらしい。お歳暮の「お」は一般的な美化語だが、他に挙げた2句の言葉運びを見ていると、この「お」にも作者のやわらかな語用法の特徴が反映されているように思われてくる。

「お歳暮の」の句は、「煎餅が青海波に包まれている」ではなく「青海波が煎餅を包んでいる」とする普通の感覚と逆転した主語・述語の関係と、下五に置かれた「青海波」の残す、青海波の模様と実際の波の二重のイメージの余韻がよい。

「雪いろの」は一緒に暮らす動物に話しかける言葉そのままのようで、いちばん好きな句であった。「みじかいね」には寂しさが込められているとも、特別な思いはなく単に事実を話題としているだけとも受け取れるが、話題の内容が当の動物の身体的変化についてであること、「ね」のような口調の特徴、「じかん」という堅くない言い回し、ひらがなに開いて自身の心を染みわたらせたような「雪いろ」「じかん」「みじかい」の語から、話しかけている対象の動物への愛情があふれて伝わってくる。

「スリッパもこもこ」の句は、部屋で動き回る他人の足を見ているのだろうと思った。黒タイツとコントラストの大きい白っぽい色のスリッパを想像する。靴を脱いでラフなスリッパを履くと、かかとのでっぱりに黒タイツの生地が透けているのがよくわかる。


去年今年いちどやりたき天の声  木田智美

天の声とは、とくに生放送のテレビ番組で、ナレーターの正体を隠して行われるナレーションのこと。年末年始の楽しげな特番に天の声がいて、ふと自分もやってみたいと思った。天の声を担当するナレーターには、限られた時間内で臨機応変に進行する能力や、出演者の言動へのユーモアのある応答なども求められることがあるが、作者はそういうのを楽しそうだと思っているのかも、と思う。


冬の星フルフェイス脱ぐ精米所  木田智美

目的地に着いてバイクを降り、フルフェイスヘルメットを脱ぐと、顔面が一気に冷たい空気にさらされる。見上げれば星がきれいだ。目当ての精米機にコインを投入して、バイクに積んできた玄米を精米する。冬の星の美しさが、生活に裏打ちされて引き立っている。


〔追記 0219〕
初期微動を感じるいやな揺れが毎日起こっているが、あれほど大規模で強い地震は今のところない。コンビニに行って、買ったことのない麻婆豆腐のもとやパスタ入りのカップスープを購入した。髪も切った。お風呂上がりに浴槽に水を張るのは続けている。カセットコンロとボンベもある。電池残量が少なくなる前に充電もしておく。何事もありませんように。


藤田俊 はく 10句 ≫読む
第713号 2020年12月20日
箱森裕美 天から手 10句 ≫読む
木田智美 ひろく凍つ 10句 ≫読む

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