【空へゆく階段】№41
〔昭和初期の俳人〕
童子 川端茅舎
田中裕明
「晨」1997年5月号
現代俳句文学全集の第四巻「川端茅舎集」(昭和三二年 角川書店)の月報で高濱虚子と星野立子が対談して茅舎の思い出を語っている。茅舎の桐里町の家を訪れたくだり。
虚子 そんなことはさっぱり忘れてしまった。ただ庭石の上に現はれて来る蜥蜴や蟻が茅舎の友達の如く印象された事だけは覺えてゐる。立子 その庭石ね。茅舎が玉藻に書いた文章に、ある日訪ねて来た和尚さんが髯をそろへて、盥の水をその庭石にかけた……とかいふ。春になると彼岸花の葉が青々とその庭石のまはりにいっぱい出てゐたことを何故かよくおぼえています。
茅舎という人物が、ひとつの庭石を手がかりにして浮びあがってくるような消息である。また虚子の言う、小動物の友達としての茅舎も、我々が作品を通じて描いている俳人茅舎のイメージと見事に一致している。
白露に阿吽の旭さしにけり(川端茅舎句集)
露の玉百千萬も葎かな(同)
金剛の露ひとつぶや石の上(同)
尾をひいて芋の露飛ぶ虚空かな(華厳)
まずは「露の茅舎」の露の句から。これらの作品に初学の頃より親しんでくると、阿吽や金剛という仏教語が特別な言葉とは思われない。ごく自然な、しかも強い意味を持たない、水のような語彙に感じられる。しかもその結果、生まれてはじめて露の玉に出会ったように鮮明な世界がある。
正直言って茅舎の露の中でもここに掲げたものは、あまりにも完璧で、欠陥がない。息苦しくなるくらい端正である。たとえば四句目を自解して「芋の葉を滑った露が尾をひいて飛んだのである。この時その尾をひいた露は全く廣大無邊の空間を飛過ぎて行くやうにも思へる」と書いている。こういう句が「本門寺裏の芋畑で一時間程突立ってゐて一息で出来て了って全く推敲斧正も加へなかった」のだから始末がわるい。
露の句でも小動物を詠んだものは、読者の想像力をはたらかせる余地がある。
露の玉蟻たぢ/\となりにけり(川端茅舎句集)
白露に薄薔薇色の土龍の掌(同)
露の玉ころがり土龍ひつこんだり(同)
読んで思わず口許がゆるむような俳句だが、これを単にユーモアと呼ぶのはふさわしくない。慈愛と言うほうが近い。虚子が「蜥蜴や蟻が茅舎の友達」と語ったのも、このことだ。小動物を観察して一句にするのではない。その生き物と全く一つになるのである。茅舎が土龍となって露の玉に掌を合わせているのだ。歳時記を繰れば、虻や蛙など小動物の季語は数多いが、こういう俳句は誰も作らなかった。
一瞬の露りん/\と糸芒(川端茅舎句集)
たら/\と日が真赤ぞよ大根引(同)
蜂の尻ふわ/\と針をさめけり(同)
翡翠の影こんこんと溯り(同)
ひら/\と月光降りぬ貝割菜(華厳)
オノマトペは声喩・擬音語。これらの句は音を表現したものではないから擬態語である。しかしながら読後の印象は、あたかもオノマトペのように思える。落日がたらたらと音をたてているようだし、月光が何かの花びらのようにひらひらとかすかな音をたてて降ってくるようだ。もともと擬態語はもののかたちやうごきを音で表現しようとした言語だからそういう性質はあるけれども、茅舎の句の擬態語はそのもっとも本質的なところを垣間見せてくれる。
茅舎は童子のように純粋に自然や小動物に対した。
大空へ鳩らんまんと風車(華厳)
風車赤し仁王の足赤し(同)
この句に自解して「多くの人達も屹度少年の日に若い母といっしょにかういふ風景の中に嬉々と立つ自分自身を見出す思ひ出を持つと思ふ。かういふ思ひ出を少年の日に持たぬ人達を僕は気の毒だと思ふ。全くそれは魂の故郷のやうである。その魂の故郷はひしがれた僕をいつも起上らせ力附ける。」と書いている。
画家を志し挫折した茅舎は、より純粋な意味での芸術家だった。童子の心を持たぬ人を気の毒だと思うと茅舎は言うが、世の多くの人達は忘れてしまっているのだ。それだけに茅舎の露の句が、小動物の句が、オノマトペの句が光を放つ。
芋腹をたゝいて歓喜童子かな(川端茅舎句集)
秋風にわれは制吒迦童子かな(白露)
セイタカ童子は金剛棒を持つ怒りの相の従者である。いつも長い杖を携えている自分をその童子に擬したものか。はじめに掲げた虚子立子の対談でも立子が「時たま丸ビルの発行所に現はれた時もその長い杖はいつも突いていた。お父さんが佛蘭西からお帰りになった時、横濱の港に出迎へに出て來た時も、例のマントと帽子姿でその杖を突いてブリッジを上って行きました。」と語っている。
1 comments:
絵の中も三日月尖る夜寒かな 折戸洋
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