2021-06-13

【空へゆく階段】№42 俳句探訪:飯島晴子『花木集』 田中裕明

【空へゆく階段】№42
俳句探訪:飯島晴子『花木集』

田中裕明

「青」1984年9月号

鱧の皮買ひに出でたるまでのこと  飯島晴子

句集『花木集』より。

軽評論としての俳句批評というものをしばらく前から考えていて軽評論という呼称はちかごろ聞かない言葉のひとつに違いないのだけれども俳句批評はつまるところ軽評論だと自分の中で決めてしまえば気がらくになる。軽評論に対する言葉にたとえば重評論というものが考えられてこちらのほうは軽評論という言葉よりもっと聞かないのだから重評論というものはなくて軽評論の反対語は評論ということになってそれならば軽評論は評論ではない。あるいは評論のなりそこないである。ここで言う軽評論としての俳句批評というのは俳句を並べてそのあとに何か気のきいた感想を書きつけておくことであってこれは作品主体の批評ということだからニュークリティシズムのゆき方にさからってはいないしこういう批評がべつに奇抜でないということが俳句のあたらしさを示しているのかもしれない。考えてみれば和歌の批評は中世からたとえば歌合せの判詞などを見ても方法としては作品についての批評であるから軽評論としての俳句批評は新奇でかつ古典的な手法ということになりこれは好むところである。しかしながら正面切って軽評論というのも気恥ずかしいしまた滑稽なものだ。

『花木集』という句集には作者の「言葉の現れるとき」という文章が収録されていてこれは軽評論ではない。途中の議論のすすめ方やエピソードは作者の心ばえをあらわしていて魅力あるものだけれどもここでは最後の部分を引用する。
俳句の言葉となり得る言葉の現われるときのことは、どうしても比喩的にしか言うことの出来ない不可思議な突然のことである。言葉の母体となる意識とその言葉との間には何らかのつながりがあるには違いないが、それをたどることは不可能である。そこには神の掌がぴったりと伏せられている。しかし思えばこれは、詩歌文芸に限らず、言葉というものの本来の現れ方ではなかったのか。意識の暗闇を飛び越す肉体的と言ってもよい苦痛、不安を克服する人間のバイタリティーの代償として、もともと、言葉は力をもったのではなかったのだろうか。いま、私たちをとりまく言葉の大部分は、偶然や、徒労や、非論理に耐えられなくなってこれを手放した人間の言葉である。言葉に呪力どころか魅力もない。もっとも、言葉が無力だから、今日のこの言葉の氾濫の中に、言葉に殺されないで生きていられるのであろう。せめて俳句一行ぐらいには、言葉らしい言葉を存らしめたいと思うゆえんである。
言葉が生まれるということの不思議さについてあらためて気づかせてくれる点でこの文章は読んでいて楽しい。詩はありふれたものでしたがって詩の言葉もまたありふれたものである。たとえその言葉がどれほど力をもっていたとしても言葉がありふれているという場所から見ればほかの言葉と変わるところがない。朝起きてみると晴れていたり降っていたりすることほどありきたりのことはないけれども寝床の中で日差しをながめたり雨の音を聞いたりすることなしに生きてゆくことはできなくてそれならば言葉はありふれてなければならない。めずらしい言葉が詩になるのではないことは知っていてもありきたりの言葉があらわれてくるときに気づくというのはこれは誰でもがすることではない。

絶えずかすかな音のしてゐる残雪林

桜守うすぐらき腿してゐるといふ

蜆汁深空のなかはさだまらず

春鮒やダイウスといふところの名

自動車を蘖に下り鯉料理

春落葉焚きいくらかの肉がつく

竹植ゑてそれは綺麗に歩いて行く

簟眼にちから這入りけり

箱庭の草心外にそよぎをり

氷水東の塔のおそろしく

男らのものがなしくも蝮山

わがたましひ赤鱏となり泳ぐかな

鬼婆の帚草かよあをあをと

叩頭すあやめあざやかなる方へ

『花木集』は作者の句集「蕨手」「朱田」「春の蔵」およびそれ以後の作品から三百句を春夏秋冬の順に並べたものであって読者も製作年代順に読もうとはしないからそのまま春夏の句をあげた。これらの作品の言葉をありふれた言葉だと言えば真意をくんでもらえない向きもあるかもしれないがこれはめずらしい言葉でつくった俳句ではない。たとえば簟び句について作品はこう言う。「私の聞き馴れた名前は籐筵である。とむしろのひんやりした感触、暗い光、取りつくしまもない整然さなど、私の原風景に敷きつめられているものである。甘えの余地のないものの上に坐らされれば、眼にちからも這入ろうというものである。もっとも私は現実をその籐筵に耐えて立派にやっていけないがゆえに、俳句でこう書くのである――と、自分ではそう思っている。」(鷹七月号「自作の周辺」)

月光の象番にならぬかといふ

七夕の紙の音して唇ひらく

気さんじの籾殻みちをえらびけり

恋ともちがふ紅葉の岸をともにして

孔子一行衣服で赭い梨を拭き

一月の畳ひかりて鯉衰ふ

雪を来て光悦消息文暮色

雪兎なんぼつくれば声通る

蒸鮓やゆつくり歩くやうにする

養家にて消防服を着てみたり

詩が言葉でつくるものであれば俳句もまた言葉でつくるというごく当然のことに気づかないあるいは気づかないふりをすることがどれほど不自然なことか考えてみれば誰でもわかることである。月光の象番にしても孔子一行にしてもしごくありきたりのことにはちがいないけれどもそれは普通に言う詩的常識などといったものではなくてたとえば寒ければあたたかい服を着たいと思うようなものだ。そういった自然な言葉が非常に伝統的なものであることはこれもあたりまえのことで作者は個人的な回想からはなれて普遍的な場所に抜けだそうとしているしそれが多くの場合成功しているので作者はすこし寂しい。詩を書くときに言葉をあつかうそのあつかい方は家を建てるときに木や石をあつかう方法とあまり似たところがない。木や石にもコンテクストがあるはずでそれは誰もが知っているものであるから家になったり橋になったりするけれども言葉のコンテクストはあらかじめ予定されていないからできあがるまで家とも橋ともわからなくてあるときにはできあがってもそれが何やらわからない。だからコンテクストをかたちづくるひとつのエレメントほどの長さもない俳句では問題がもうすこしまわりくどくなって句集のなかの一句は木や石ではないけれども一句がひとつの句集のコンテクストからはなれて置かれることもあるし枯山水のようにはなして置くことによるコンテクストもあっていい。たとえば象番の句のふたつあとには「旅客機閉す秋風のアラブ服が最後」という句があり孔子一行の句のふたつまえには「鬼箭木のここらを杖のつきはじめ」という句がある。これなど句集がどのようなつくりになっているかを示す好例にちがいない。

ここでもういちど「ことばの現れるとき」から引用すれば、
コロンブスの卵のような当り前のことに目が開いたのである。それは私などのように、仮の相手としての言葉に拠って言葉を手に入れようと、ホトトギスのように仮の相手としての事物に拠って言葉を手に入れようと、とにかく言葉が言葉になる瞬間は無時間であり、従って無意識であるという点では全く同じであるということであった。もっともそれは、人類らしき生物が言葉らしき音を発したときから今までの悠久の時間が一挙に蒸発したような無時間であり、人類の意識の総和を投入することによってのみ埋め合わせのつく無意識であるかもしれない。一人立ちして生きもののように、或る世界を展いていくエネルギーのある言葉は、こういう理不尽ともいえる現れ方でしか現れないということであった。
言葉はありふれたものだから精神にひびかせたときにいい音がする。掲出句は主客が何か話をしていて最後にどちらかが「鱧の皮買ひに出でたるまでのこと」と言ったようなかんじがあっておもしろい。こういう句が生まれるときを無時間無意識と言ってもいいしまた言わなくてもいい。



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