【空へゆく階段】№50
句との出会い 現代俳句展望
田中裕明
田中裕明
「晨」第19号・1987年5月
俳句に出会うというのは、どういうことなのだろうか。
俳句研究三月号で飯田龍太氏が「怒濤秀句」と題して加藤楸邨氏の第十二句集を取り上げている。その鑑賞文の中から俳句に出会うことについてヒントとなるものを見つけだしたい。
『怒濤』には知世子夫人を失なったさいの「永別」と前書する句がおさめられている。
豪霜よ誰も居らざる紅梅よ
持主の失せて手帖の冬谺
霜柱どの一本も目ざめをり
冬の薔薇すさまじきまで向うむき
冬木立入りて出でくるもののなし
裸木にひたすらな顔残したり
冬の蝶とはのさざなみ渡りをり
虚空雪降る一途なる妻遊べる妻
これらの諸句に対して飯田龍太氏は「どの作品もきびしい抑制がなされているだけに無言の慟哭は深い。わけても『虚空雪降る』の一作は、消しがたい故人の詩心を逐い、忘れがたい面影を求めて、ひたすら彼の世の安息を断念しているように見える」と書いている。
俳句を読むということ、俳句に出会うということの非常にセンシティブな側面が、とくにこれらの深いかなしみを秘めた作品、それもきびしく抑えられた差において現われている。霜柱の句もあるいは裸木の句もすでに十分な表現が得られているけれども、それらの作品よりは却って「虚空雪降る」の句を取る龍太氏は単に俳句の読み巧者というよりも俳句との出会いを大切にする人であるように思われる。
俳句の解釈に正解と誤解があるとするならば、いまここに言う俳句の読み手とは必ずしも正解にばかり与する人ではないだろう。すこし長い引用になるが、同じ文章の中で龍太氏は次のように書いている。
あるいはまた、同じ六十一年の頃に収める。何か言ひたげてのひらはもう春の月 楸邨を、故人追慕の作と見るとき、いわく言い難い感銘をうける。
ふっと浮かんだ面影はあまりにも瞭らかだが、その言葉はもうきこえぬ。しかし、その眼はなにかを訴えている。それに応えるように思わず手をさしのべる。ひらいた掌に、いつか春めいた月明り。月光はいつか故人のこころとなり、無弦の矢となってわが心に入る、と。
龍太氏は右のように書いたあとで、この句の正しい解は故人ではなく、この世の姿しかも命終間近のひとであろうと言う。そして、「矢張り私は前解に身を寄せたい。ことほど左様に、この作品は痛切であり、かつまた、慈愛に満ちているように思う」とつけくわえている。すなわち鑑賞者としてあえて正しいとは思われない解につくということだ。
正しい解釈が俳句との出会いに導いてくれるとはかぎらない。かえって読者の勝手な読み方がその作品との真の出会いのあり方であることもある。あるいはそんなソリューションでしか読み手は作品に近ずくことはできないのかもしれない。
俳句には幾通りもの解釈がある。読者の数だけあると言ってもよい。それらをふまえたうえでわたしたちは作品に出会いにゆくのだ。
同じ俳句研究三月号に大串章氏「白き山」五十句と大屋達治氏「冬源」五十句が掲載されている。
鮭が来て白鳥が来て黒瞳の子 章
春うたふため黙然と辛夷の木
綿虫を見てゐる牛と思ひけり
雪の栗鼠仁王の裾に逃げ込みぬ
雪山に憑き川に沁み茂吉の目
旅吟というのは、もしかすると一番むずかしい俳句の作り方かもしれない。俳句の歴史のはじめから、旅吟はその流の中心を占めていたけれども、とくに近年生みだされる俳句では旅吟は中心でなくなってきている。それはモヒフとして旅が古くなったというよりも、交通が便利になりすぎたのではないだろうか。そのために日常の言葉と旅の言葉の差異がなくなってしまった。
大串章氏の作品は東北での旅吟である。先程、旅での俳句の困難さについて考えていたことすべてとは言わないけれども、かなり払拭してくれた作品である。もちろん、旅吟は難しい。それは旅の言葉が困難であるからだろう。
「春うたふため」の句にしても「雪の栗鼠」にしてもへんに思いつめたところがない。しかも読者に対象との距離を感じさせない速度がある。そう、作品がある速度を持っていない場合には読者はそのモチフに対して距離を感じて、つまらなくなる。俳句が運動していなければ、と言いかえてもよい。大串章氏の作品はその逆だろう。次の作品も同じだ。
撞木と鐘と凍てたる宙にあり
独活の山蕗の谷知り薬食
鉄瓶に湯を足して雪たのしまず
氷柱あり夜陰を飛んで来し如く
屠蘇くめば障子日ざして来たりけり
絵巻物雪はなやかに降りにけり
こうなると旅吟と言うには当たらないかもしれない。日常の言葉と旅の言葉が同質になったというのではなく、どちらも丈高くなっている。だから旅の言葉が困難だというのはまちがっているのだろう。
とくに「独活の山」と「氷柱あり」の句にひかれた。どちらもたしかに旅の作品であってしかも、芭蕉が古人も多く旅に死せるありと言ったように、ひととびで日常からやってきたように思える。
大屋達治氏の「冬源」五十句は、さきの大串氏の作品にくらべると明解とは言えない。
焚火おく枯野の端の渚かな
焚火中一本強き枝崩る
激情の冬の夜閉す銀の鍵
日の武蔵雨の相模や年暮るる
船売れぬはなし莨に頬被
表現されている内容が格別複雑なわけではないのだけれども、やや曇っている。透明感に欠けるというところだろうか。
作品の生活と俳句との関係がよくわからないからかもしれない。生活と俳句が遊離しているのではなくて、あるいは大屋氏はかってないほど俳句が生活のなかに溶けこんでいるかもしれないけれども、それが読み手には伝わらない。「焚火中」の句はなかでも明解なように見えるが、やはりレアリテが少ない。レアリテの量が作品の価値を決めるのではないから、「年暮るる」にしても「頬被」の句もただ通りすぎるわけにはゆかない。
菜をところどころ見事に冬ざるる 達治
凧ひとつ秩父に上げて忘れたる
雪原に合ふ川ふたつ音違ふ
酒蔵に酒濁りゐる吹雪かな
きさらぎや旅籠に古りし実母散
婚ちかき君の白顔深雪晴
俳句の上で、「筋を通す」というのはどういうことなのか。ふとそんなことを思った。読める俳句とはあまり聞かない言葉で、読める俳句に出会うというのはこの頃の所謂、俳句に付き合っている限り、滅多にないことだと言っても、何のことやらわからない。
ただ俳句の批評という不思議なものがあって、読めもしない俳句を読むあるいは読んだふりをするときに、俳句との擦れちがいを言うことは無駄でないばかりか、むやみに誉められるような俳句を作らないためにも役立つ。
いまは俳句との擦れちがいを言いたい。それは平凡な事実かもしれないが、自分にとって俳句が読めるものであることを少し確認したいと思う。
わが過ぎしどの水無月も山の音 達治
扇より風がゆくなり畝傍山
をみならの名残の花火草のうへ
句集「絵詞」より。大屋達治氏の俳句が読める俳句の典型だと言うと嘘になるかもしれない。たしかに同じ句集のなかに「浦といふ夏のこころの言葉かな」とか「洋上も蝉鳴いてゐる水葬後」という俳句があってこれは読めない。しかしながら読める俳句と読めない俳句が一冊の本の中に混在していることは不快ではない。句集が読者に快感をもたらすために存在するとしたら、その句集は読める俳句ばかりが並んでいる必要はないのだろう。たまに「山の音」や「畝傍山」があればよいと思う。そんなふうにしか俳句には出会えないのだろう。
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