【空へゆく階段】№51
歌仙という仕掛け
丸谷才一・大岡信・井上ひさし・高橋治『とくとく歌仙』 田中裕明
「晨」第48号・1992年3月
歌仙というのは三十六韻の連句のこと。これくらいは俳句を作るものなら常識として知っていよう。しかし実際に歌仙を鑑賞したり作ったり(巻いたり)ということになると怪しくなる。歌仙を楽しんだ経験のある人はほとんどいない。それだけ現代俳人は連句と疎遠になっている。
この本の初めに「歌仙早わかり」と題して丸谷才一と大岡信が対談で歌仙というもののなりたちと勘所を説明している。その中に現代俳句と連句との関係について触れたところがある。
(丸谷の、現代俳句は個人主義文学だという発言を受けて)大岡 そうですね。現代の俳人が慎重な態度で連句に対しているのも、それをどこかで敏感に感じているからなんですね。連句に手を広げると、自分たちの俳句が子規以後の近代・現代俳句の本道から外れてしまいそうだという予感あるいは警戒心があるんだと思うんです。丸谷 当然そうなんですよ。ただ本当のことをいうと、歌仙をやってみたほうが、現代俳句は新しい展開が出てくるだろうと思いますけどね。
たしかに俳人が歌仙を忘れてしまったがために失ったものは大きい。俳句が座の文学だと言っても、ほんとうは連句がそうであって俳句はもっと孤独なものだ。大岡が言うように個人主義文学は交渉相手として、あるいは仮想敵として共同体の文学というものを念頭においていないと先細りして駄目になるというのはまったく正しい。
また同じ対談の中で『武玉川』について述べたところもある。『武玉川』は江戸時代の付句集で、ほとんどが雑の句、つまり季語のない人事句である。川柳に近い滑稽な句が多いのだが、こういう雑の句が俳句というものの伝統を支えている(つまり『武玉川』の付句を生むような江戸の文明が明治以後の俳句の母体になった)という議論をおもしろく読んだ。それも現代俳句に対する共同体の文学の一つだろう。
しかしこの本を俳人が自分の俳句を腑活するために読むのは、この本の正当な読み方とは言えない。そんな特効薬ではない。もっと楽しい読物として、付合そのものや、その苦心談をおもしろがったらいい。
丸谷才一、大岡信が数人で歌仙を巻いて後からそのいきさつを座談形式で解説するというつくりの本はこれが初めてではない。一番初めは昭和四十九年で、この時は石川淳(夷齋)、安東次男(流火)と行っている。
そのなかにつぎのような大変に面白い付合がある。
引くに引かれぬ邯鄲の足 夷齋
モンローの傳記下譯五萬円 才一
どさりと落ちる軒の残雪 信
俳句の中にマリリン・モンローが出てくるようなことはまずないから、かえって前後の句との関係が鮮明に見えた。歌仙はきまりや約束ごとがやかましいけれども、それだけ自由になれるようなところがある。
当時の歌仙から今回のこの本の歌仙まで二十年の時間が経過している。その間のものも出版されており、丸谷、大岡としてはかなり手慣れた感もあるが、今回は井上ひさしが加わって独特の彩りを出している。歌仙は四つおさめられていて、そのはじめは「菊のやど」と題されている。発句から第三までを引く(今回、丸谷は玩亭という号)。
翁よりみな年かさや菊のやど 玩亭
また湧き出でし枝の椋鳥 信
名月に道具の月を塗り足して ひさし
少し説明すれば、この歌仙の行われたのが芭蕉ゆかりの山中温泉で、奥の細道三百年祭が催されていた。だから翁とは芭蕉のことに違いないが、奥の細道の旅で山中にきた頃はまだ四十幾つである。発句はそういう諧謔も込めた挨拶になっている。
第三句で芝居の道具を持ち出したことによって、脇の椋鳥がまるで旅の役者たちのことを言っているようになる面白さ。この句については、後の座談会では次のような発言がある。
大岡 趣向を作るっていうのは、具合がものすごくいい場合があるけれども、場合によっては、連句の全体の流れの中で言うと変にコブみたいになるんです。上等な趣向だなと思うのが、流れとしては逆にコブみたいになるときがあるんですね。井上 ぼくは最初、連句で一番大事なのは前の句に付けることだと思っていたら、実は、次の人がいるんですね。
小説家はドラマをつくりすぎるということか。俳句でもこういうことがありますね。
三人の中では井上が一番苦労しているが、時にはその井上の句がたいへんに楽しい。
月に遊ばば我も李白ぞ 信
なつかしや宇宙にうかぶ露ひとつ ひさし
宗達ゑがく松の島々 玩亭
読者は、宇宙空間をただよっている一粒の露になって、地球に青い日本列島を見るだろう。歌仙は一篇の長編小説だという発言もあったが、それは歴史小説でもあればSFでもある。
現代の文人たちの優雅な遊びの中に詩情があふれている。
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