2021-10-03

【空へゆく階段】№52 食卓の上の人生 高橋睦郎『詩人の食卓』(平凡社)  田中裕明

【空へゆく階段】№52
食卓の上の人生
高橋睦郎『詩人の食卓』(平凡社)


田中裕明


「晨」第40号・1990年11月

たとえば十月のランチとして
茸いろいろソテー 初茸 舞茸 椎茸 湿地茸 榎茸 袋茸 松茸 橄欖油エキストラ・ヴィルジネ 酢橘 金沢大野丸大豆醤油 マジョリカ大皿
ガーリック・トースト ライ麦パン 葫 北海道バター タイ山地藤蔓籠
マテウス・ロゼ 江戸切子盃
という献立が入っている。どうです、おいしそうでしょう。簡素だけれども贅沢な食事である。

この本は七月から始まって六月までの章立てになっていて、毎月の文章に「十一月の小夜食」「三月のお三時」という具合に凝ったメニューがそえられている。これが楽しい。雑誌「太陽」に連載されていた時には実際に著者が作ったその献立の写真も掲載されていたのだろうと思われる。といってもこれは料理の本ではなくて、今まで自分を語ることの少なかった詩人が、食べ物に事寄せて、これまでの来し方を述べた本である。

男の子が台所にはいるものじゃない、と祖母も、たまに出稼ぎ先から帰ってきた母もいちおうはいうが、けっきょく黙許したのは、近所に友達らしい友達もないことを知っていたからだろう。幼い詩人は竈の前の風呂屋のそれのような小さな腰掛けに尻を預けて、いつまでも火の変幻を見ているような、そんな子だったという。これは「一月 厨」という章の「暗い 明るい」という文章にあるエピソードである。このあと彼女たちが男の子が厨に入るのを悦ばなかったのは、君子厨房に近寄らずとかいう伝統的コンセンサスによっているが、これは間違っているとして、出どころの『孟子』巻一梁恵王一を引いているのは、古今の詩文に明るい著者の面目躍如たるところである。「君子の禽獣に於けるや、その生けるを見ては、その死するを見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食うに忍びず、是の以に君子は庖厨を遠ざくるなり」

また「草野(心平)さんには忘れられない思い出がある。」として、歴程賞をもらったときに草野さんの主宰する同人詩誌「歴程」の同人に加わるように誘いを受けたが、断った次第が述べられる。「草野さんからおりかえし手紙が来て、きみの入りたくない気持も分かるが、ぼくの入ってほしい気持も分かってくれ、とある。逡巡しないわけではなかったが、やはり自分のような右顧左眄する正確の人間は独りのほうがふさわしく思います、と返事した。再び手紙があって、君の気持は分かった、気持が変わったらいつでも歓迎だから来てくれ、と爽やかだった。意思を通してよかったと、思った。」

丸谷才一さんに「ゴシップ集としての自伝」という文章がある。自伝というのはたいへんに気はずかしいものである。何しろ自分を手がかりにして人間一般を探求するとか、自己を永世に残すなどというのは自分がかなり立派な存在であると思っていることが前提だろうから。そこでよく使われる手は、わたしはこんないろんなゴシップを知っているのですが、それを雑然と並べるのでは曲がない、そこでわたしの自伝という枠組の中にそれらのゴシップを並べてみましょう、そのほうが読みやすいでしょうから、という顔をして本を書くことであった。という主旨の文章で、そういうゴシップ集としての自伝の例として現代のイギリス人(一人は動物学者、もう一人は文芸評論家)の本をあげている。

その伝でゆけば、「献立集としての自伝」という本だって考えられるだろう。それがこの『詩人の食卓』である。丸谷才一さんは、表向きはおもしろおかしいゴシップ集が主であり、しかしその下には自伝――自己を手がかりにしての人間の研究と自己を永世に記念する企てが潜んでいるような二重底の本を書く照れ性はイギリス気質と関係があるかもしれないと書いているけれども、もっと複雑な構造の本がここにある。表面的には今はやりのグルメにことよせて、中身はレビィ=ストロースや草野心平のうわさ話、そしてその奥で自分を手がかりにした人間一般の研究が行われている。そう考えると、各章にそえられたおいしそうな献立も、イギリス人よりもさらに照れ屋の著者が巧妙にしくんだ、自伝という意図をかくすための仕組みのようにも思える。

俳人で自分の食卓の献立を書き残した人はと考えてみると、まず正岡子規を挙げねばならない。子規が詩の前年の明治三十四年九月から臨終までにつづった「仰臥漫禄」には、ほとんど毎日の食事が克明に記録されている。明治三十四年九月十七日には、
朝 粥三椀 佃煮 奈良漬 梅干
昼 粥三椀 鰹のさしみ 零余子
  奈良漬 梨一つ 飴湯 ゆで栗
夜 ライスカレー三椀 ぬかご 佃煮 なら漬
としるされているて、病人の異常な食欲に驚く。同じ九月の日録に「この頃食ひ過ぎて食後いつも吐きかへす」とあるのを読むと、悲痛なかんじが先に立つ。子規の場合は、俳句や文章を読んでも、死の直前まで精神は健康でしかも冷徹であるので、いっそう痛ましい。こういう子規の文章を読んで「献立集としての自伝」のアイデアを得たのではないだろうか。そういえば『詩人の食卓』の著者は『稽古飲食』(題簽は草野心平)という句歌集で読売文学賞を受賞している。

正岡子規はそのあまりに短すぎる生涯に自伝を書くことができなかったが、詩人は幸福にもそれが可能だった。しかもたいへんに洒落たかたちで。

金子國義の挿絵がたのしい。


解題:対中いずみ

0 comments: