【空へゆく階段】№56
『五百句』をめぐって
田中裕明
「晨」第60号・1994年3月
ついつい俳句づくりの手がかじかむときには虚子の『五百句』を読む。もちろんほかにも元気の出てくる句集はいくつもあるけれども、どういう原因、どんな症状にも効くという意味では『五百句』がいちばんだ。速効性というよりも、じっくりと指の先まであたたまってくるかんじが良い。
風が吹く佛來給ふけはひあり
寝し家を喜びとべる螢かな
年を以て巨人としたり歩み去る
鎌倉を驚かしたる余寒あり
ひらひらと深きが上の落葉かな
思いつくままに抜き書きしたこれらの句集は、いずれも明治から大正にかけてのもの。ゆったりとした気息が、現在の俳句ではなかなかお目にかかれないふところを生みだしている。
日本という国に俳句という短い伝統詩があることは、現代俳句を通じて考えると、日本の特殊性や異様さをあらわしているように思える。ところが虚子のこういうゆったりとした句を読むと、日本という国がべつに特殊なのではなく、ごく普通の国に普遍性のある伝統詩があったという気がしてくるから不思議だ。それも明治二十年代に子規が俳句を旧来の俳諧から峻別して以来、短い年数での成果である。子規は明治三十五年、三十六歳で没した。虚子は昭和三十四年、八十七歳でなくなっている。それぞれがその時代の典型的な日本人だと見ることもできよう。自らを守旧派と呼んだ虚子は、激情の人子規と根本の性情が相反していた。またそれがその時代の日本人の代表かもしれない。
近世史、近代史の流れに俳句(俳諧)をおいて眺めれば、見えてくるものがありはしないか。そういうことも考えてみる。
そして日本語の問題。
虚子の句の言葉はきわめて力強い。言葉の用いようについては、ずいぶん苦労した人だ。散文の言葉にたいへん関心があったがために、俳句の言葉がかがやいた。季語も、それ以外の日本語も。
読者の気持のこわばりをほぐしてくれるのも、詩の言葉の効用のひとつだろう。大きな自然の前では人間など塵のようだ。永遠の歴史の流れの中では人の一生など一瞬だ。そういう虚子の宇宙観が、俳句の言葉を通じて、読者を震感させ、またあたたかく包む。
紅梅の紅の通へる幹ならん
何となく人に親しや初嵐
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