2022-01-16

【佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』評】 口語俳句の現在形 山田航

【佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』評】

口語俳句の現在形

山田航


これはすごいのが出てきたなあ。現代俳句はこの一冊を起点にして、大きく変わるんじゃないかと思えるくらいすごい。口語俳句のエポックになるのではないか。

空咳やむこうに咲いているのは桃?
スカーフが恥ずかしいので春の浜
雪柳七時かそこらなのに怖い
花水木やたらさパン買って生きる
秋日和そっすね船に積む列車
お祈りをしたですホットウイスキー
 
有季定型でちゃんと「切れ」もあって、俳句としてはスタンダードな部類に入るんだろうけれど、そのうえでしっかり口語体を導入している。佐藤文香の解説にもある通り、「現代のリアルタイムのしゃべり言葉」を採用した口語俳句であり、短歌における永井祐と比較されている。こんな短歌を作っている人だ。
 
はじめて1コ笑いを取った、アルバイトはじめてちょうど一月目の日
26歳までもんじゃ焼たべたことないなんてなら行こう月島
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(2012年)
 
永井祐の口語短歌の特徴は、単に現代語を使っているというだけではなく、日本語のしゃべり言葉特有の語順や助詞の使い方を意識して詠まれていることである。「口語をモデルとした現代語をベースに詠む」ということと、「リアルな口語の統語構造にしたがって詠む」ということとは全く異なる。短歌でいえば前者は俵万智が『サラダ記念日』で広く浸透させたものだが、それはあくまで散文の言文一致体にならった、「現代の書き言葉」だった。それが二〇〇〇年代に入ったあたりから、しゃべり言葉の構文により近づけた口語短歌が登場するようになった。先述の永井祐のほか、宇都宮敦や仲田有里といった歌人がその流れにあげられる。
 
佐藤智子の口語俳句は「切れ」の構造を残しているため、しゃべり言葉の構文に近づけているとまでは感じない。しかし切れ字をそれほど使っておらず、そのかわり「言いさし」の構文をもって切れ字の代わりにするような手法がよくみられる。

歯磨きの小手毬濡れている窓の
藪椿虎のいるような森では
ださい犬連れて五月はまだ夢の
焼いた烏賊そうしていれば終わる日の
ラベンダーの裸木はこんなまた雨の
蒸しパンや団栗拾うくらいしか
雪まろげ牛乳が手に入ったら
 
最後まで言い切らずに続きを省略することによって余情を生み出す手法で、修辞でいうところの「省略法」にあたる。短歌では東直子などがよく使っている。一、三、五句目など初句切れのない句などは、まるで連歌の上の句のように感じられ、この後に下の句を付けてもそれほど違和感がなさそうだ。私は切れ字の意味をなかなか理解できなかったために俳句をちゃんと読めるようになるのに時間がかかったが、こういう「切れ」の使い方であれば昔の私でも抵抗なく受け入れられたかもしれない。
 
また、この句集は音楽的なセンスが良い。特に押韻と句またがりのリズム感はとても面白く感じられた。
 
医薬品買って二月の辻に居る
それらもう無効浄水場の春
まだパジャマ紫陽花が野菜みたいで
襟首のかりっと焼けてチリワイン
棗棗夏休みみたいに過ごす
そこここに木犀こぼし夜の蛇行
元気かなけんちん汁にライス入れ
 
「まだパジャマ紫陽花が野菜みたいで」は、母音になおすと「aaaaa/aiaiaaa/iiaie」で、a音の連続がわかりやすい。そしてよく見ると「aai」「iai」の押韻もさりげなく隠れている。日本語の詩は子音の頭韻は多いものの、母音で脚韻を決めている例はあまりみない。日本語ラップが脚韻と日本語をなじませるために悪戦苦闘を繰り返したことは有名だ。
 
私は初心者向けの入門講座のときなどによく、この「まだパジャマ紫陽花が野菜みたいで」を押韻の例として引用している。「医薬」と「二月」、「もう無効」と「浄水場」、「そこここ」「こぼ」「夜の(蛇)行」、「元気」と「けんち(ん汁)」なども違和感を生じさせない見事な韻の踏み方だ。
 
薫風や今メンバー紹介のとこ
梅雨を祝う椅子の回転を使って
薫風やどこへも行かないねラーメン
花水木やたらさパン買って生きる
秋の虹襟のない服を着ている
ポインセチア私の階段へようこそ
 
そして句またがりについても、冴えた技巧をみせている。「椅子の回転/を使って」「襟のない服/を着ている」「私の階段/へようこそ」のように、助詞から句がはじまる構成になる句またがりが散見される。意味のうえでは「8・4」ととれるけれど、一般にアクセントが来ない助詞にアクセントを付けて発音するようになる違和感が楽しいので、やはり「7・5」として読みたい。「やたらさパン買/って生きる」のように促音にアクセントが来るのも楽しい。ただ跳ねたリズムになるだけではない重量感がある。
 
日本語のしゃべり言葉は諸外国語と比べるとアクセントがないといわれることが多いが、七五調のリズムがアクセントを誇張し、シンコペーションのような印象をもたらすことがある。佐藤智子の俳句は、韻文としての構造がわかりやすく確立しているので、「俳句とはこういうもの」と紹介するのにうってつけなのではないかと思う。

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