2022-04-03

田中裕明【空へゆく階段】№65 四季光芒・汐干――汐干にまがふ

【空へゆく階段】№65
四季光芒・汐干――汐干にまがふ

田中裕明

「晨」第30号(1989年3月)

彼岸のころの大潮は一年中でもっとも満干の差が大きく時候もよくなるので汐干狩の季節とされている。春のある一日を戸外で飲食しなければならぬ習わしが古くからあって、それにもとづく行楽の行事だとも言われる。これは俳諧の季題であったようで、古い和歌には汐干という題は現れてこない。例えば百人一首の次の歌も汐干狩をうたったものではない。

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし  二条院讃岐

この歌は千載集巻第一二恋歌二におさめられたものである。異本には下の句をかわくまぞなきと強くいい出たものもある。石に寄する恋といへる心をという前書きがあって、讃岐は汐干狩をよんでいるのではない。ただ沖の石というのは自分の父親のことを言ったものだという解釈もある。同じ巻には讃岐の父の源三位頼政の次のような歌もおさめられている。

我が袖の潮の満ち干る浦ならば涙の寄らぬをりもあらまし  前右京権大夫頼政

頼政の所領は若狭の国にあったそうだが、平家全盛の時代に不遇であったこの父子の歌には日本海の波が見える。潮の満干が人の勧請の振幅をあらわしていたころの歌である。歌は恋の歌ではあるけれども、はかりすることのできない自然現象の前の人間の運命をよんでいるようにも思える。

もっとさかのぼれば万葉集にも汐干の歌はある。

桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟塩干にけらし鶴鳴き渡る  高市黒人

万葉集巻三。汐干もまだ春の題ではなかった。プリミティブな自然観照が人間を奥深いところから突動かすようなリズムをもっている。干潟は黒人の目には映っていないのだがそれがありありと見えてくる。生物時計が自然の時間と狂いなく同期して動いていることに対する素朴な驚きがある。この時代の鳥はすなわち死者の霊魂であるから、黒人の鶴もまた魂であってそれが汐の満干に作用されている。

俳句の世界に目をやると汐干は汐干狩の意味に用いられて春の季語となっている。

青柳の泥にしだるる潮干かな  芭蕉

芭蕉のこの俳句はすでに汐干のある情感をとらえている。旧暦三月三日ごろの浜辺のあたたかな風を感じさせる。古典文学大系本では潮が引いて、いつもは水にしだれる青柳が泥にしだれていると解しているが、そう読むのはやや理が勝ち過ぎている。もっと素直に潮干狩の華やぎと柳の枝の揺れている気分をよみとりたい。

上り帆の淡路はなれぬ汐干かな  去来

去来のこの俳句は瀬戸内海の春の一日を側面から描いたとも言えよう。日永のころ浜辺で過ごす一日は当時も楽しいものだったに違いない。動くようにも見えない船、傾くようにも思えない太陽。しかしながら時間は確実に過ぎて、それはあしもとの汐の満干からも知ることができる。虚子は去来をして背景ある俳句の作者と評したがそれも納得がゆく。

ぞうり買ふ小家うれしき汐干かな  蕪村

汐干狩に来て新しく草履を買った。そういう心のはずみが一句の起因となっている。草履を売っていた人の、あるいは小家のあったことしれ自体が嬉しい、ひとなつかしいものであった。蕪村の作品は確かに絵画的というべきものが多いがそれだけでなく、やさしいドラマを感じさせるものもある。

絶壁のほろほろ落つる汐干かな  普羅

「駒ヶ嶽冷てて巖を落しけり 普羅」「ほろほろと泣き合ふ尼や山葵漬 虚子」などが思い浮かぶ。絶壁という堅い言葉はあるが、駒ヶ嶽の句に比べると穏やかな表情をしている。ほろほろという形容もまた絶妙。風景は厳しいけれども、のどかなところもある海岸をてぎわよく単純化した。

汐干藻にものの小さき生死かな  露紅

つぶやくや板子の上の汐干貝  双堂

汐干は汐干狩の意味と先に書いたが、そこにあらわれる生き物をよんだ俳句にもふれよう。俳句は小動物を描くのに適した詩型だと思うこともある。これは写生という方法からくるところもあるかもしれない。短い詩が小さいものを描くのに優れている例は、日本にばかり見られることではない。トリビアルな世界を恐れることはないし、またそこに安住することも勧められはしない。俳句が極小も極大も十分に表現しうることを確認しておきたい。

防人の妻恋ふ歌や磯菜つむ  久女

磯菜摘と汐干狩は違うことだけれども、春の一日を浜辺に過ごすという点で似ている。温んだ潮に足を洗われていると人は同じように古き世のことに思いを馳せるのかもしれない。優れて古典的な感興。初めに書いた春のある一日を戸外で過ごす習わしというのも、たぶん古い民族の記憶にあるのだろう。


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