2022-10-16

対中いずみ【空へゆく階段】№78 解題

【空へゆく階段】№78 解題

対中いずみ

「青」314号の「選後に」に波多野爽波の次のようなことばがある。
 常識または通俗の域を抜け切れないでいる人の句には圧倒的に「身辺句」が多いことに気が付く。もっと具体的に云えば家の中での句、ほんの庭先程度の句、街中での句ということになろうか。身辺句が一概に悪いというのではない。しかし残念乍ら、常識を越え、通俗を脱した身辺句を作るには並々ならぬ力量が要るのであって、初心の段階での身辺句には百に一つのマグレ当りも有り得ないことを肝に銘じて貰いたいものだ。俳句は屋内で作ったり街の雑踏の中で作るものではなくて、「自然」の中へ我が身を運んで、自分のすぐ目の前にあるもの、足元のそこにあるものに熱いまなざしを送って、謙虚な気持で自然と肌を接するところからすべてが始まるのだ、という位に割り切ってかかることが第一の要件であろう。
「自然に対する謙虚な気持」は、爽波・裕明に師事した山口昭男が、主宰誌「秋草」の創刊理念として掲げ、連衆に呼びかけている。

314号の裕明6句は以下の通り。

雪舟は多くのこらず秋螢

鯊の潮曇つてゐてもひとつ星

鯔を食ひけふは踊見にもゆかず

蜘蛛の糸よく目について水澄めり

悉く全集にあり衣被

野分雲悼みてことばうつくしく

(太字は『花間一壺』に収められている)

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