解題
作品50句(落選展の代わりとして)
上田信治
今年2022年は例年の「落選展」の応募を行いませんでした。
これは、ひとえに上田の気のゆるみによるもので、これまで参加作家として、評者として、読者として、この「企て」を支えてきてくださった皆さまに、たいへん申し訳ないことをいたしました。
謹んで、お詫び申し上げます。
いま「企て」と書きましたが、少し前の自分なら、「お祭り」「催し」または(僭称をお許しいただければ)「運動」と書いたかも知れません。
それは(ほぼ自分が俳句を書き始めた年である)2006年に、ハイクマシーンの三人(谷雄介・佐藤文香・上田信治)が、角川俳句賞にそれぞれ応募した50句を、あ、これ「落選展」とかいって出したら、返っていい感じに見えるんじゃない? といって始めた「お祭り」でした。
自分のようなアウトサイダーが角川に応募すること、それ自体がパフォーマンスであり、本家本元の「落選展」もそうですが、会場の外でわいわいやることは、オーソドキシーに対する批評的な外部を設営する「運動」でもありました。
もちろん、出す作品は、自分の中の最高のもので、受賞する気しかない。しかし、足場を外に作りながらの応募なので、その「内側」で評価されて入れてもらうためというよりは、むしろ「賞のため」「俳句のため」に出している、という意識になる。それは、たいへんやりがいのあることで、自分はその年からはじめて10回以上応募しました。
そして、その意識を共有される新しい書き手が、ともに角川に応募をし、年によっては「落選展」に参加して下さったのではないか。そういう自負に似た気持ちと手応えがあります。
なにより、作品として、ほんとうにすばらしい50句を、たくさん読ませていただきました。
近年、角川の応募者に、自分たちのような、俳句内部につちかわれた「価値」に批評的なアプローチをもって書く書き手が、けっこうな勢いで増加していると見えます。少なくとも、そういう作品が、予選を多く通過するようになっている。
さいきんの受賞者を見ても、月野ぽぽなさん、岡田由季さん、そして今年の西生ゆかりさんは、はっきり言って書き手として「お仲間」ですし(松野苑子さん西村麒麟さんもお友だちですけど、出自も作風もオーソドックス寄り)。
誌上に掲載される候補作も、自分が応募を始めたころから見れば、目ざましく面白くなりました。そして、その面白さが「落選展」的な面白さだったりするんですよね。
プロ野球の(いやな)OB的な物言いをすれば「いまの角川俳句賞はワシが育てた」。「運動」として「落選展」は機能し、役割を果たしたと思っています。
そして同時に、オーソドキシーに対する批評、批判であり、アンチですらある作品を、しかし、だからこそ本気で「獲る気」で制作し応募するという行為の、ひねりとしての有効性は解消されたかもしれないとも感じていました。そういうふうに書くことがごく真っ当な制作姿勢であるということが、俳句の集合的無意識によって、すでに了解されたのだと。
今年は、うっかり募集の時期を逃がしてしまったし、ひょっとしたら自然消滅でも許されるかなと思っていたのですが──。
11月号の、賞の発表ページを見たところ、まあ予選通過の面子がいい。このまま若手特集の別冊出したらいいわ、というくらい。
コレ、読みたいなあと思ったんですね。ぜったい面白いわと。
受賞した西生さんは、月野さんや岡田さんとタイプが近くて、俳句をポップカルチャーとして再発見したタイプの書き手です。一次予選通過で11月号に50句が掲載されている、馬場公江さん、岩上明美さん、藤井ゆかりさんは、オーソドキシーを(自分の身に沿うように引きつけるという現代的なアプローチを取りつつ)書き継いでいく書き手です。予選通過の藤田哲史さん、大塚凱さん、クズウジュンイチさんは、従来の俳句をカッコに入れることを方法とする、俳句に批評的にアプローチする、書き手です。
ここに、3つの志向性がかたまりとして見えている。これ、ぜんぶ読めたら、かなり俳句の現在地がはっきりするよ、と思いました。
そして、ツイッター上で、青島さん、ハードエッジさんから「落選展」どうしたのかな、という慫慂もいただきまして、いろいろ考えた末。
今年は、予選通過の何人かの方と「落選展」常連の方何人かにお願いして作品を集めよう、それを出来る限り、広く読んでもらえるようにしようと思いました。
なにより、自分が読みたかったので。
年末まで、数回にわたって掲載します。どうか、お楽しみに。
(来年のことは、まだ決めていません)
2 comments:
「舞うて舞うて舞うて海まで枯一葉」の角川賞落選者・片岡義順です
「角川50句」には5回応募・・今年が集大成だった(78才これ以上は何も出ない)
俳句はやめた卒業と思った・・が、当7月の号で北大路翼氏の句を拝見した・・流し読みしていたものが、何故か俄かに迫ってきた(同氏の6句)
○店長もナンバーワンも花粉症 ○マスターとヒーターだけの立ち飲み屋
○手袋にやさしい闇が五つある ○ワンピース濡らして金魚持ち帰る
○歩くのが遅い日傘を追ひ抜けず ○Tシャツの柄に育ちの悪さかな
これらは、物ごとの本質真理をズバリ!・・俳句になる前の俳句・・約束、悪弊、惰性、模倣等から脱却・・巷に溢れる自閉症的つぶやき・お茶漬けサラサラ俳句(廃句)は拒否・・新鮮!自律!革新!破壊力!に満ちている・・“檻”に目をくれず「檻の外」で作った575・・“三尺の童の目”(芭蕉の言)の575・・俵万智氏の「サラダ記念日」に匹敵するのでは・・目から鱗だった・・
若いのでネタ=具材の卑近は止むを得えない・・将来に、40代50代の「知性と精神性」を養うに至れば、句は大きく開花するだろう・・
俳句はやめた卒業としたが、数年の後にしたい・・氏からヒントを得た!句を一新したい・・もう少し、頑張ります(笑)
片岡 義順
【片岡義順さんの誤解】
週刊俳句の落選展について、
片岡義順さんがお怒りのようですが、
https://weekly-haiku.blogspot.com/2022/12/503-50_0624863662.html?showComment=1670921832452#c7571180470398958130
大きな誤解があるようなので、
今回の参加者でもある私から、一言申し上げます
(なお、当方は週刊俳句関係者ではありません)
そもそも、
週刊俳句は営利目的ではなく、
俳句のお仲間が自主的に運営しているサイトです
落選展も100%善意の場所です
参加者は落選作をメールするだけで、
何のコスト負担もなく、
多数の読者に届けることが出来たのです
何年も続いているからと言って、
継続か中止かは、
全く運営者の自由裁量ではないでしょうか?
中止の“告知”さえ、あったら望ましい程度かと
そんな事よりも、
片岡さんが俳句を発表出来る場は、
ネット上にいくらでもあります
twitter:
https://twitter.com/home
note:
https://note.com/
Facebook:
https://www.facebook.com/
週刊俳句をお嘆きになるよりも、
上記のアカウントをお取りになり、
一刻も早く、
「世界に発信」なさることをお勧めします
以上、
「知性と精神性」に縁遠いハードエッジでした
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