2023-02-05

三島ゆかり【句集を読む】岡村知昭句集『然るべく』を読む

【句集を読む】
岡村知昭句集『然るべく』を読む

三島ゆかり

『みしみし』第7号(2020年)より転載

『然るべく』(草原詩社、二〇一六年)は、岡村知昭の第一句集。氏の『みしみし』誌参加は今回で二回目だし、ネットの句会では十五年以上前から名をお見かけしていたのだが、実際にはいまだお目にかかっていない。あとがきによれば一九九六~二〇一四年の句から収められているとのことで、作句当時に時事性があったはずの句は、タイムカプセルを開けるようにして現れる。全体は六章に分かれ季節順で推移するが、一年を単純に二ヶ月ごとに切ったものではない。また、特定の季語ないし単語が続くときは徹底的に続く。では、章ごとに見ていこう。

1.チューリップ

二月~三月頃の句を収めている。巻頭の句は立春前の冬で始まる。

バス停や牡蠣食べてより脈早く

なにやら体調が悪そうである。早退きでバスを待っているのか。青春性が輝く波郷の「バスを待ち大路の春をうたがはず」とはずいぶん様相が違う。巻頭がこれだということは、俺は俳句でかっこつけたり気取ったりはしない、という宣言なのだろう。立春や元旦で句集が始まることさえ、美学として避けているに違いない。


マフラーを外し仮病のおともだち

二句目である。連句の脇のように一句目に付いている。接頭語「お」を含みひらがな表記の「おともだち」のゆるさがこの句集の性格を方向づけている。仮病なのは「おともだち」だけではなく作者自身もであり、これから読む句集全体が擬態ないし韜晦なのかも知れないのだ。


春立ちぬ鱗あろうとなかろうと

三句目である。ここでようやく立春であるが、無関係な仮定構文により結果的に真実を述べている。

以下、目に止まった句について触れたい。


春寒し化石は「さがすよりつくる」

化石とはちょっと違うが、旧石器捏造事件を思い出す。それがスクープされたのは二〇〇〇年のことだった。


三叉路やプロデューサーの春の風邪

時代を創り出す存在として、アーティストやアイドルよりもプロデューサーが注目される時期があった。秋元康やつんく♂が大いに話題となったのは、いつの頃だったか。「三叉路」のどれかこそは指し示すべき明日の流行であり、プロデューサーが風邪を引けば、時代が床に伏せるのだった。


白粥や四月一日には終わる

四月一日になったら「終わりました」と嘘をつくのだろう。いかにも馬力の出なさそうな「白粥」が妙に可笑しい。


年上のすべり台なり夕桜

年上の子どもに占有されているすべり台という読みも可能だが、すべり台そのものが自分より年上だと読みたい。戦後の復興が一段落し、行政が福祉に目を向けた時代が少しだけあった。横断歩道橋があちこちに作られた頃、児童公園もあちこちに作られた。少子高齢化の今、遺構のようにその時代のすべり台が眼前にある。夕桜が切ない。


自転車へたどり着かざる朧かな

自転車に乗ればあとはすっと帰れるのに、その自転車に辿り着かないのである。悪夢のように朧の夜が更けて行く。


本名はいらなくなりて春の海

かりそめの恋の成就のようでもあるし、亡くなって戒名となったようでもある。東日本大震災以後の今、「春の海」は後者を暗示する。


石棺の蓋どこへやら春暑し

古墳をめぐる歴史探訪のロマンのようでもあれば、放射能事故を起こした原子炉がいまだ石棺化されない現状を詠んだもののようでもある。社会批判するならはっきり言えという意見もあろうが、はっきり言えば、ただのスローガンとなってしまう。本来笑いの対象ではないものへのブラックな扱いが曰く言い難い。


2.なんじゃもんじゃ

四月から六月くらいの句群である。

宵闇の揉めることなき断種かな

「宵闇」をここでは季語として使っていない。「断種」は手術によって生殖機能を失わせること。「揉めることなき」とは、円満な断種だったのか。


ヒトラーの忌に頼まれて然るべく

前の句からページをめくるとこの句なのである。優れた漫画のコマ割りのような運びである。ナチス・ドイツでは優生政策として、障害者・病者四〇万人に断種を断行した。前句の「揉めることなき」とは有無を言わせずということだったのだ。ヒトラー忌は四月三十日。本句の「然るべく」は句集タイトルでもあるが、何を頼まれて何をしたのか、じつにそら恐ろしい。


初鰹この人握手会帰り

この人は握手会帰りだとどうして分かるのだろう。一様にある同じ顔つきをしているのか、それと分かるグッズを手にしているのか、会場からわらわらと出てきたのか。同好の士なら分かるしるしがあるのだろう。「初鰹」に切望していた感がある。


純国産せんこうはなび震度三

そういえば純国産のH-Ⅱロケットが一九九八年と九九年に続けて打ち上げ失敗したことがあった。ひらがなの「せんこうはなび」には痛烈な皮肉が感じられる。震度三の揺れに花火の玉は落ちずに耐えられるか。


3.遠浅

七月から八月くらいの句群である。冒頭は「夏来たる」だが、立夏ではなく現代人としての季感によるものだろう。


みどりごの固さの氷菓舐めにけり

氷菓の固さの比喩として「みどりごの固さ」はおよそ尋常ではない。比喩なのにその固さを思い出せず、体温やよだれでどろどろになった名状しがたいものを思い出す。たぶん、それで比喩は成功しているのだ。


八月の雨より国のおびただし

雨と国という比較しようのないはずのものを並べている。六日、九日、十五日がある八月は、語り継ぐべき戦争によって思考も感情も重い。再び戦争ができる国にしようとする勢力が跋扈する昨今、まさに「雨より国のおびただし」は実感なのである。


4.タンク

九月から十月くらいの句群であるが、無季の句も少なからず含む。福島第一原発の「処理水」という名の安全性のさだかでない水を貯蔵するタンクが増設され続ける件や、オリンピック誘致をめぐる「アンダー・コントロール」発言が題材となった句が並ぶ。


寝室や熟柿のごとく麗子像

章の最後の異質な一句である。岸田劉生は短い生涯におびただしい数の麗子像を描いた。素人目には怪奇趣味にも見える作品だが、暗赤色系の色彩のみならず熟柿に通ずる円熟味と安らぎがあったのだろうか。すべての混乱を鎮めるかのように置かれている。


5.雨音

十一月から十二月くらいの句群であるが、ここでも無季の句を少なからず含む。また結婚や出産を題材にした句が続く。

行列の先に階段寒の雨

またしても章の最後の句を拾ってみた。散々待たされた行列の先に試練のように階段があり、折しも寒の雨が降っている。行列は見知らぬ人ばかりで、こんなに人間がたくさんいるのに孤独なのだ。そして階段の先に本当に待ち望んでいたものがあるのかは明かされていない。


6.見物

ここで一月の句群だけがあれば一年を網羅したことになるが、なんと鯉幟の頃まで句は続く。そして卒業式中止、解雇を題材にした句が散見される。が、句集全体が、深刻な病気なのに仮病のふりをするような美学に貫かれているので、作者の伝記的事実はなにも分からない。俳句の「俳」は俳優の俳でもある。

(了)

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