成分表88 NG集 上田信治

成分表88

NG集

上田信治

（里2015年10月号掲載・改稿）

（2023/06/18 0:08に公開したこのテキストについて、差別を肯定する加害的表現だという指摘を受けた。その指摘の主旨を認め、2023/06/23 16:55に加筆修正を行った）

『俺たちニュースキャスター２』（2013）という映画の、ＮＧ集について書く。

アメリカのニュース番組の出演者たちが主人公のコメディだ。

メンバーの一人、スポーツキャスターの男は、フライドチキンの店を経営しているのだけれど、鶏の代わりにコウモリの肉を使っている。そして「コウモリじゃない。洞窟鶏（ケイヴチキン）だ」と言い張る。バカなのだ。

彼はバカな上に同性愛者として設定されていて、彼を演じる俳優はその設定に従い、かつてのニュースキャスター仲間との再会のハグを、むりやり引き伸ばす。

不必要な馬鹿力で頑張るので、その手をふりほどこうとしていた相手の男優が完全に笑ってしまう。笑いながら必死で身を離そうとする相手を、バカは（デヴィッド・ケクナーという俳優は）「いいだろ、いいだろ」と囁きながら、かき抱くのだ。

もしそれが、単に同性愛者を嘲笑する表現であれば、2013年においてもアウトだったと思うけれど、レビューを見ると、この作品はどちらかというと好意的に迎えられていて、その両義性は理解されているように見える（もちろん、賛否両論あって、二つ目のリンクは「否」の例）。

「アンカーマン」のデヴィッド・ケクナーは口の悪い人種差別主義者ではない。彼は映画の中でその役を演じるだけだ。

「アンカーマン 2」は同性愛者を笑っている

差別行為と、それを題材にした喜劇表現が、「もし」別ものでありうるとしたら、それはその表現がアイロニーの伝達に成功している場合に限られる。そして、それは、じっさいの作品を見れば「分かる」ということを自分は信じる。

この場面のアイロニーは、その俳優がどう見ても「やり過ぎ」ていること、とりわけ、巨漢の相手役（ウィル・フェレル）が全力で払いのけようとするのを、ケクナーが腕にひときわ力を込めてそうさせまいとし、相手役にも観客にも（なぜ、そんなに頑張る？）と思わせたその瞬間から生じている。

それは駱駝が針の穴を通るような奇跡だったかもしれない（現在の倫理基準では、そのような表現に挑戦すること自体が、耐えがたく不適切だと見なされるだろう）。

初稿のテキストは、作品が実現しているアイロニーを十分に伝えられず、差別表現自体を肯定するものになっていた。また、その場面を描写することが加害的になることについて、自分は配慮が足りなかった。そのことを指摘してくださった方に感謝し、その表現の不用意さを謝罪します。

加えて、性的マイノリティを愚弄し嘲笑することは、自分にとってまったく面白くなく、不快でしかないということを申し述べておきたい。

さて。この映画は、主人公たちがバカばかりだということが、リアリティレベルを形成している。リアリティレベルとは、お話のウソの含有量のようなもので、ある映画では動物がしゃべり、別の映画ではしゃべらない。ある漫画では、ぱっとしない男性が異性に一方的に好かれ、別の漫画ではそういうことは起こらない。人は好みの夢を選ぶようにして、自分が好むリアリティで描かれる作品を選ぶ。

ニュースキャスターが平然とバカである世界において、すべてのバカ行為やバカ発言は、まじめに受け取られる必要があり、誰かが思わず吹き出してしまえば、虚構世界のリアリティは崩壊する。だから、先述のテイクは没になりＮＧ集に入っているわけだけれど、そこには、リアリティレベルの崩壊と入れ替わりに、ひどく「現実」らしい何かが浮上していた。

バカに抱きつかれた俳優が吹き出したのは本当に起きたことだし、そのハグを執拗に演じ続ける俳優は、現実的にも、バカ以外の何者でもない。ＮＧ集の「現実」は、私たちの「この現実」とつながっていた。

○

俳句は、バカ要素がもたらす「現実」らしさについて、よく知っている。

古池や蛙飛び込む水の音　芭蕉

蕉風開眼の一句と伝えられるこの句を、初めて見たら（これに類する句すら、かつて書かれたことがなかったら）と想像して欲しいのだけれど、それは、そうとうバカらしく見えたはずだ。どう見ても池に蛙がポチャン、としか書いていない。弟子の一人が「せめて、そこは山吹じゃないすか」と言ったという逸話もよく知られている。

だからこそ「蛙がポチャン」は、既にある美意識を相対化し揺さぶりを掛け、内側から照らす、ひどくモダンで「現実」らしい何かだった。

雪舞ふや鶯餅が口の中　岸本尚毅

何百年かを経て、私たちの同時代に書かれたこの句の見事さは、雪が舞う大空間に対比して、口の中という小空間があり、同時に、鶯餅の質量と対比して「舞う雪」の無重力感があるという、入れ子のような対比の関係にあるのだけれど、それにしても、口の中にある鶯餅は、バカバカしくも面白い。

この句は「写生」と呼ばれるメソッドで書かれている。明治の人、正岡子規の創案になる「写生」は、言葉に「言いたいこと」を混入させないように細心の注意を払いつつ、物理世界のできごとを描写する。それは、詩歌の世界に近代的な「現実らしさ」を立ち上げる、誰でも使える方法だった。

川を見るバナナの皮の手より落つ　高浜虚子

拡声器プールに低き私語をする　山口誓子

「言いたいこと」抜きで書くことは、頭が空っぽな人として世界を見ることに等しく、だから、自分は、それをためらいなくバカ要素と呼べるわけだけれど、バナナの皮もプールの拡声器も、なんでそれを書いたのか、説明不能であればこそ、書かれたそれが「人間が初めて見た何か」でありうる。

そんなとき、俳句は「現実」のＮＧ集のようだ。

○

映画館で、自分一人だけヘンなところで笑ってしまった、という経験がある人は多いだろう。

現実を生きている最中にも、そういうことは起こる。

町を歩いていたら、ブロック塀の穴から頭を突き出している犬を見つけたり。坂の上から見た夕焼けが見事すぎたり。あるいは、好きな人にひどすぎることを言われたり。

そういうとき笑ってしまうのは、見えないはずの現実の「際」が見えたからだと思う。

「ファンキー！～宇宙は見える所までしかない～」は、松尾スズキの戯曲のタイトルだけれど、人間、自分がいま生きている現実を、本人が意識できるところまでしか意識できない（当たり前だ）。

どこまでいっても「際」が見えないという意味で、それは無限に広いわけだけれど、なにかのはずみで、予想外のものに出くわすと、NG集のようなリアリティの屋台崩しがおこり、自分の現実の「際」が（つまりは「この現実」というものが）見える。

それは神の目配せというか冗談というか、昔、烏のカーとか犬のワンワンで悟った禅僧がいたと聞いたことがあるけれど、その人はそういうチャンスを逃さなかったということではないか。

ニーチェの「運命愛」は、一個しかない人生のその「一個しかなさ」が見えたとき、そうでしかない自分の運命を抱きしめたいような気持ちになるでしょう、という意味だと思っているのだけれど、自分が今言っているのは、だいたい同じことだろう。

つまり、ブロック塀の犬を見ると「現実愛」が賦活される。それは、すばらしい写生句を見ても起こる。

◯

ところで、ジャッキー・チェン映画の名高いＮＧ集は、今見た映画のアクションを、本人がスタントも合成もなしで演っていることと、それが紙一重の成功の連続であったことを見せる。

それは、本編のリアリティのネタバレや屋台崩しにはならず、むしろ、全てのアクションシーンが本物の奇跡であり、ジャッキーは実在する天才だということを、メッセージしていた。

『俺たちニュースキャスター』のＮＧ集も、俳優たちが本当に面白い人であり、冗談というものを心から愛していることを見せる。

要は映画全体が「映画の撮影」という夢のような現実に支えられた大きな夢だということで、ここまでくれば、それは幸福感に満ちた、もう一つのリアリティであり虚構性なのだった。

>>｢成分表８５ NG集」の修正について  経緯・謝罪・キャンセルカルチャー・その他