2023-08-20

中矢温 ブラジル俳句留学記 〔3〕木蔭の詩

ブラジル俳句留学記

〔3〕木蔭の詩

中矢温


前回では留学中の住居探し(住)の話を書いた。今回は衣食も入れて更に住の話を拡げたい。

まず「衣」についてだが、ブラジルではタトゥー(tatuagem)文化が盛んなので、腕や足のタトゥーを見せるようなシンプルな服装の人々が多い。耳や鼻へのピアス文化も盛んだし、特に男性は筋肉を鍛えている人も多々見かけるので、それら肉体装飾も含めて「衣」だと思う。女性のメイクは簡素な方が多いがアイラインとリップはバチっと引いている人も多いかも。どれも私には縁遠いのだけれど、かっこいい。

次に「食」についてだが、私は十二時間の時差ぼけが治り、サンパウロの冬特有の昼夜の寒暖差に順応してきたところなので、まだ書けることが少ない。ただ果物はどれも安くて美味しい。また、コーヒー好きには大変楽しい国である。

実は「食」の内容よりも、「食」との向き合い方の方に関心がある。このことに対して関心を抱いた最初のきっかけは、サンパウロ大学で学食に初めて行ったときだった。大学の構成員は一食2レアル(約60円!)で食べ放題なので、たくさん盛って、食べたいだけ食べて、たくさん残す(人もいる)。だから学食提供側もたくさん作る。日本でも大量生産と大量廃棄の現場を多々見てきたはずだが、飢餓状態の貧困層と、世界第二位の肥満患者が同居するブラジルでは、今まで以上に辛い。恐らくこの問題は「住」の話とも関係が深い。

さて、ブラジルにはpessoas sem casa(ホームレス)、もう少し婉曲的にいえばpessoas em situação de rua(路上生活状態にある人々)を至るところで見かける。勿論日本でも特に新宿等の中心部で見かけてきたはずなのだが、見かける頻度がまるで違う。とあるタクシー運転手が言うには、この地域(国?)では約30%がホームレスだという。ホームレス状態だと、食に気を配る余裕がない。身体によい食事はとかく値が張るし、空腹を満たさないため、炭水化物と脂質・糖分への依存が強まる。

こんな表現をするのもおかしな話だが、ホームレスの人より鳥の方が愛されている。私が暮らすアパートの入り口脇には、ハチドリ(beija-flor、直訳すると「花にキス」で名前も可愛い)のための餌箱がある。毎日新鮮な砂糖水と普通の水とフルーツが取り換えられる。その一方このアパートには、他のアパートと同様に、屈強な柵があり、門番(porteiro)がいて、柵の外の道路には、毛布にくるまって横たわる人がいて、もし私が見つめれば簡単に目が合ってしまう。

ブラジルに来て初めての土曜日にオープンテラスのカフェで食事をしていたときもそうだった。街の鳥はとかく人に慣れていて、一羽が近くに寄ってきて可愛い。ある客が、注文したコシーニャ(coxinha・コロッケに近い)を小さく千切って放った。それをじっと見つめるホームレスが私の目線の奥にはいて、鳥越しに彼と目が合う。彼は鳥にあげられたコシーニャの破片を見ていて、私はそれを啄む鳥を見ていた。

さて、再び話を私の「住」に戻すが、アナ先生は私をとかく褒めてくれる。決まり文句は “Você é educada muito.”(あなたは大変礼儀正しい)。挨拶ができること、他者を敬うこと、人の話を聞けること、皿を進んで洗うこと、部屋を綺麗に使うこと、食事中にスマホを触らないこと、食べものを残さないこと、信号を守ること、物音を立てずに静かに暮らすこと。事あるごとに褒められている。

何も自慢話をしたい訳ではない。「衣食(住)足りて礼節を知る」、つまり環境が整って初めて「礼儀」(余裕)が生まれるというシンプルな話であって、だからこそ貧困問題は難しいのだと思う。街を歩くときに、ホームレスの人と目を合わさないで歩くことが、どんどん上手くなっている自分に気がつく。

ある日ホームレスの人とふと目があったとき、彼の隣に言葉が書かれた板が置かれてあることに気が付いた。彼が書いたものかは分からないが、そこには詩があった。一度は通り過ぎたものの、やはり気になって、帰りに再び立ち寄った。するとそこには看板だけがあった。思わず写真を撮って、足早に立ち去った(盗難の恐れがあるので、路上ではスマホ操作はしない方がいい)。その後乗客の少ない真昼間のバスのなかでそっと開くと、辞書を使わずとも読めるかんたんな言葉たちだった。

引用に先立って、書誌情報が必要だろう。この板二枚はそれぞれパウリスタ通りのCharme de Paulistaというレストランの信号を渡った大きな木の陰にあった。最終閲覧日は、2023年8月5日の午後である。

一つ目の詩はこちら。


POESIA
A ARTE QUE
FALA COM O
CORAÇÃO

芸術
語りかける
心に

意訳すれば「詩とは心に語りかける芸術」とでもなるだろうか。ポルトガル語の俳句をここ最近読んでいたので、私にはこの詩が四行詩というより、どうしても一行目がタイトルで、以下三行が俳句の詩に見えてしまう。詩も芸術に含めるのは、古代ギリシアは勿論、例えば正岡子規の『俳諧大要』の冒頭の「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。[…]即すなわち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以もって論評し得べし。」でよく知られた一節である。

また、この詩の隣には物の入った段ボールと眠る犬がいた。「ホームレスの人には犬を飼う余裕なんてないのではないか」と思っていたが、ホームレスの人と犬が共に眠り移動する様子をたびたび見かけて考えが変わった。人類にとって犬はよき相棒であり続けてきたではないか。孤独こそ経済状況と同等あるいはそれ以上に深刻な問題である。

この木の隣にあった二つ目の詩はこちら。


QUANDO EU NASCI TODOS RIRAM,
SOMENTE EU CHOREI...
MAS QUANDO EU MORRI
AH! AH! AH! AH!
TODOS CHORARAM SOMENTE EU SORRI
RICARDO GARCIA
POETA DA PAULISTA

私が生まれたとき誰もが笑った
私だけが泣いた……
しかし私が死んだとき
ああ!ああ!ああ!ああ!
全員が泣いて、私だけが笑った。
リカルド・ガルシア
サンパウロ出身の詩人

ある種の格言として、聞いたことがある人も多いだろう。この看板曰く、サンパウロ出身のリカルド・ガルシアという詩人の一節らしい。ただこのフレーズでインターネット検索をすると、孔子の名前がサジェストされるし、日本語で検索すると、ネイティブアメリカンの古い言葉だという結果が表示される。

色々なバージョンがあるにせよ、やはり今回の木蔭の詩の悲しさは全て過去形であることだと思う。「もし死んだら」ではない、既に作中主体は「死んだ」のである。

両方の詩が全て大文字で書かれているのを見て、私はブラジルで立ち読みした絵本が全て大文字で書かれていたことを思い出した。日本語の習得が平仮名から始まるように、ポルトガル語の習得もまずは大文字のアルファベットから開始する。小文字の習得の前に学校教育からドロップアウトしてしまったのだろうか。これは単なる深読みあるいは邪推で、単なる強調の意味かもしれない。

さて、私は経済学や政治学に全く見識がないので、ブラジルの社会問題を正面から数値的根拠を以て扱った良書は紹介できない。ただ、エスノグラフィーたる良書としては、ジョアオ・ビール/桑島薫・水野友美子(訳)『ヴィータ:遺棄された者たちの生』(みすず書房、2019年)を紹介したい。大きすぎる社会問題だからこそ、一人ひとりの名前―時に仮名であっても―をもって語ることの重要性を突き付けてくる。


ポルトガル語版

(日本語版の超要約です!翻訳機能等でお楽しみください。日本語版だと冗長になりがちなので、こちらの方が纏まっていて読みやすいかも)

Aqui no Brasil, há muitas pessoas em situação de rua. Claramente, eu vi pessoas assim muitas vezes também em Tóquio, mas a frequência é maior e o número é mais alto. O motorista do Uber me disse que o ratio é 30 %.

Infelizmente, acho que os pássaros são mais amados que as pessoas sem casa. Por exemplo, meu apartamento tem uma casa para beija-flores. A casa tem água, água com açúcar e frutas frescas. Do outro lado da rua, uma pessoa estava dormindo com só um cobertor.

No dia, eu descobri duas poesias ao lado de uma pessoa na rua, perto do restaurante Charme de Paulista na Avenida Paulista.
A primeira poesia é isso.

POESIA
A ARTE QUE
FALA COM O
CORAÇÃO
 
Por mim, todos os dias estou lendo haikai no português, esta poesia é haikai(três versos) com o título “POESIA”. E eu acordo que noção de arte inclui poesia como os filósofos dizem na Grécia.

A segunda poesia é isso.
 
QUANDO EU NASCI TODOS RIRAM,
SOMENTE EU CHOREI...
MAS QUANDO EU MORRI
AH! AH! AH! AH!
TODOS CHORARAM SOMENTE EU SORRI
 RICARDO GARCIA
POETA DA PAULISTA

Eu li a poesia parecida com este quadro, o autor disso não foi Ricardo Garcia. Eu fiquei muito triste porque na versão neste quadro, a pessoa em poesia já faleceu. Eu não posso conversar com ele. 

Também não posso recomendar os livros do ponto de vista de econômica e política, no entanto tenho uma recomendação em sociologia, o livro Vita: Life in a Zone of Social Abandonment escrito por Joao Biehl (2005). Vamos falar com nomes deles, mesmo que isso seja nome temporário.

1 comments:

ココア さんのコメント...

拝見させていただきました
詩が大文字である理由の考察が非常に納得がいくものであり、興味深く感じました
安全第一で満足のいく留学経験になることを願っています