ブラジル俳句留学記
〔6〕挙手してみる
リアナ・ナカムラ『黄色いマンゴー』の出版記念イベントレポ02
中矢温
≫承前
前回に引き続き、リアナ・ナカムラさんの詩集出版記念イベントの様子をお届けする。詩集中の全四十の詩から六つを朗読したあと、リアナさんは会場の参加者に質疑応答を呼び掛けた。しかし私を含め約二十名の対面の参加者は、顔を見合わせて微笑みあうばかりで、誰も手を挙げようとしなかった。(折角の会なのに勿体ないな……)と考えるや否や、考えるより先に私は挙手していた。それと同時に頭のなかで、あの夏に戻っていた。
二〇一五年八月、私は高校一年生で、俳句甲子園(※高校生が五人一組で出場し、句作力とディベート力を競う全国大会)の出場を控えていた。顧問の先生方のご指導のほかに、第十七回大会で三位に輝いた二学年上の先輩たちも、受験勉強の合間を縫って指導に来てくださっていた。その数あるフィードバックのなかでも、平田彩乃先輩からいただいた一言を特によく覚えている。
「なかや~、人っていうのは五秒黙っとると沈黙に感じるんやって。やけん困ったら、まず手ぇ挙げるんよ!話すことはね、挙手してから考えるんでいいけんね。」
「挙手してから考える」?
マイクを持ったままパニックになったら?そのまま一回の発言時間の三十秒が過ぎてしまったら?それで作品点が拮抗したときに勝負を分ける鑑賞点を、相手チームに持っていかれたら?頭では理解できても実行なんて絶対にできないと思っていた。
しかし実はこのおっかなびっくりのアドバイスは、かなり生きた。私は結局二年間、俳句甲子園に選手として参加させてもらったのだが、かなりの回数は「手を挙げてから考える」で乗り切った。他にも俳句甲子園に感謝すべきことは多々あるが、なかでもこの度胸には助けられてきた。
さて、回想が長くなったが、つまるところ私はここでも「挙手してから考える」をやってしまったのだ。最前列で聞いていた私はすぐに指名してもらった。
「中矢温と申します。本日の対談、誠にありがとうございました。リアナさんに質問が二つあります。」
落ち着いて自己紹介と御礼から無事始められた。
「ありがとうございます。まず初めの質問です。」
考えろ!!!絞り出せ!!!
「……あの、えっと、リアナさんは詩を形にすることを動詞で何といいますか?つまり、その、〈書く〉とか〈作る〉とか〈作曲する〉とか〈歌う〉とか……。確か対談内では何度か〈criar〉(英語でいうところのcreate)と仰っていましたよね。よかったら理由も教えてください。」
切羽詰まって、普段からの疑問が口をついた。私は例えば俳句は「書く」派と「詠む」派がいると思っていて、この違いはどのように作者の意識と関わっているのだろうかと気になっていたのだった。リアナさんは他の参加者のために、私の覚束ないポルトガル語を簡潔に整えてくれて、こう続けた。
「私は〈criar〉という動詞を〈作る〉というよりは〈産む〉という意味で使いました。私にとって詩を作ることは〈出産〉のようであって、つまり私の内側から理屈を抜きにして世界に出ていくことです。だから子どもを〈産む〉ことと同様に、詩を〈産む〉と言うことが多いです。」
なるほど、確かに〈産む〉という動詞の身体性は凄まじい。関連して、詩をメモするときは、スマホなどのデジタル機器ではなく、必ず手書きでノートに記すと続けた。ときには例えばバスのなかなどノートがないときにでも、詩が突然降ってくることがあるとも話してくれた。
安心したのも束の間、「二つある」と言った手前、私は二つ目の質問を考えねばならない。
「なるほど、とても興味深いお答えでした。次の質問を続けていいですか?」
考えろ!!!絞り出せ!!!(二回目)
「えっと……これまでの人生のなかで、詩作以外の自己表現方法を試したことはありますか。もしあるのなら、どのように詩作に立ち戻って、あるいは詩作を選択することをしましたか。あ、自己表現方法というのは、その、例えば歌うとか踊るとか絵を描くとか……。」
ちょうど昨日図書館で借りた詩人が、戯曲も、翻訳も、漫画も、取材も、編集もなんでもやってしまう表現者だったので、このことが気になっていたのだった。複数の表現方法を選択肢として持っているとき、作者はどのようにそれらを使い分け、またそれらはどのように作者の多面性を生み出すのだろうか。
リアナさんはこう答えた。
「詩が私にとっては一番しっくりきて好きな表現方法ですが、漫画を描いたりデザインをしたりすることも好きですよ。」
ここですかさず、対談相手のジゼリ先生が付け加えた。
「そう、あなたの詩集の表紙や中のレイアウトはこんなに素敵よね。さて、誰と一緒にデザインをしたのでしたっけね?」
このコメントを機に後ろの方でひっそりと講演を見守っていた夫のヴィクターさんが呼ばれ、あれよあれよという間に登壇者席が追加された。ヴィクターさんはデザイナーで、リアナさんと一緒に二人三脚でこの詩集を出版されたのだった。本作りをデザインする際の余白や配置などの拘りポイントもお伺いすることもできた。
今回の質疑応答は、「作者に聞ける」ことの歓びと、「作者に知られてしまう」ことのプレッシャーのなかで行われたという点で、俳句甲子園のディベートと同じである。奇しくもイベントのあった八月十九日に、愛媛県松山市では俳句甲子園の全国大会が二日間にわたって開催された。試合は赤白チームに分かれて対戦が行なわれる。目前の相手チームの五人のなかに、この素晴らしい作品の作者が坐っていて、つまり生きていて、かつ自分(たち)には質問をする権利・時間・手段・場が三分という短い時間ではあるが与えられていることへの歓び。故人の作品を読むことが増えてからは一層この喜びを噛みしめるようになった。
フル回転して疲れ切った私の頭のなかで平田先輩が、「ほら、大丈夫やったやろー?」と微笑んでくれた。
謝辞●
リアナ・ナカムラさんには翻訳許可や追加質問について、平田彩乃さんにはお名前の言及について、ご協力・ご快諾くださりました。誠にありがとうございました。
『黄色いマンゴー』は日本からお買い求めいただける状態にはまだないそうですが、キンドルでの販売を準備中とのことでした!
[ポルトガル語版要約]
No fim do evento. Perguntei duas dúvidas. Liana me deu respostas simpáticas e interesses.
--Sou Nodoka Nakaya. Agradeço a palestra... não a bate-papo. Eu tenho duas perguntas. Qual verbo você usa quando ‘escrever’ o poema. Poe exemplo, eu disse ‘escrever’, mas o português tem outros verbos: ‘criar’, ‘compor’, ‘cantar’... Acho que você escolheu o verbo ‘criar’ na bate-papo. Por que?
--Sim, o português é interessante. Eu gosto de utilizar o verbo "criar" pois acredito que escrever um poema é como "parir" um filho. "Sair" de dentro de mim, de maneira visceral e entregar para o mundo, como um parto de uma criança.
A pergunta sobre verbo tem liração com a consciência de poeta ele mesmo. Entendi que ela escreva os poemas usando corpo tudo, não em cima da mesa nem só na cabeça. Como uma evidência, ela não usa de celular para anotar a semente do poema mas de caderno com mãos.
Segunda pergunta é sobre ela mesma também.
--Na sua vida, você tentou outra maneira para mostrar você mesmo? Por exemplo, dançar, cantar, desenhar, cozinhar... Se tem alguma experiencia, como voltou ou escolheu o jeito de criar poema?
Se uma pessoa tem alguns modos de expressão, qual caracteristica cada forma tem?
--Eu possuo outras formas de me expressar na arte, por exemplo, no mangá que escrevi e desenhei com meu marido Victor e minha irmã Mariana. No entanto, a poesia é minha forma preferida e perfeita para me expressar. Sinto que com a poesia eu consigo ser eu mesma.
A Professora Gisele Wolkoff adicinou uma boa ajuda.
--Sim, seu livro antologia é muito lindo e bonito. A capa e na margem na cada página... Então com quem Liana publicou este livro?
O marido estava participando no fundo da sala com calma, mas elas chamaram o Vitor. Uma cadeira para ele foi adicionada. Pude saber sobre este livro não só sobre a contentes mas também sobre o desenho.
De verdade, usualmente eu leio as obras de escritores quem já faleceram. Mas hoje eu posso ouvir a voz de autor mesmo e perguntar para autor mesmo! É a muito felicidade e milagre.
Agradecimento:
Liana me permitiu para mim que traduzir no japonês e apresentar no artigo do blog sobre poema (especialmente sobre haiku).
Está preparando a vender o amarela-manga na loja da Amazon Kindle.
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