【澤田和弥の一句】
二度ともう会ふ事はなく成人式
杉原祐之
二度ともう会ふ事はなく成人式 澤田和弥
『早大俳研』第3号 「二十歳の月」より。
澤田和弥さんは1980年生まれ、私は1979年生まれなので一歳下の関係であった。澤田さんは「早大俳研」、私は「慶大俳句」に所属しておりこの時から「早慶」で俳句会を行っていた。この時はまだ「俳句甲子園」出身者は少なく、私たち「慶大俳句」インターカレッジ的な活動は少なく「早大俳研」メンバーとの交流くらいであった。
そんな中、澤田さんとの一歳の差は非常に大きく先輩面して色々と会話をしてしまった。今になってはなんて恥ずかしいことをしたと思う。
『早大俳研』第3号は2011年4月の発行とのこと。「二十歳の月」には、まさに澤田さんが20歳を迎えたころの俳句24句が3句組×8頁で収録されている。掲句はその中の一句。如何にも地元の高校から東京に進学した文学少年としての心意気というか、冷めた目で見た地元の様子が描かれている。澤田さんは中学のころいじめにあい不登校になったことなどを告白している。高校は進学校として有名な浜松北高校でそこで高柳克弘さんと同窓となっている。澤田さんも高柳さんも俳句と出会ったのは早稲田大学進学後のこと。
「俳句」という新しい表現方法と出会って勉強していた澤田さんの目には、成人式という名の地元の呼び出しはどのように映ったのか、酔っぱらいながらご実家のお寿司屋に友人たちと流れていったのだろうか。この場限りでそれぞれ別の道を行くことを冷めた視点で、淡々と表現しているからこそ「二十歳の若者」の感情が連想される。
30代で命を絶った澤田さんが、40代、50代と年を重なるにつれどのような俳句、評論を残していったのだろうか。同世代で俳句を通じて関わりのあったものとして彼の作品を何とか遺していきたいと思う。
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