2023-12-10

三宅桃子【週俳10月の俳句を読む】声という信号

【週俳10月の俳句を読む】
声という信号 

三宅桃子


ちょっとした空気の変化だったり、震え、触感の違い…。そういったものも、広義の「こえ」といえるかもしれない。

気がつかなければ通り過ぎるが、気がつけばそこらじゅうを溢れかえっている。

声が「ある」ということは、それを聞きとる者がいるということだ。


桐一葉落つ旅果ての帯解いて 内野義悠

桐一葉が落ちる瞬間をたまたま目撃したことがあるが、回転しながら急降下し、ドサっと音をたてたので驚いた。それは、血の通った動物の最期のようで、落下音がいつまでも生々しく耳に残った。ほどいた帯も、大胆に落下するという点で連想を感じさせるが、「旅果て」ということばがいい。重みと奥行きと、少しの諦念があって。なんだか大いなる力というか、こちらが手の出しようがない領域が、垣間見えてしまうような句だ。

すすきふんはり声それぞれにはなれゆく 同

「ふんはり」の「は」と、はなれゆくの「は」に、声が四方へやわらかく散らばっていく印象を受けた。単純にまず、向きの変化が面白い。冒頭句は下へ、2句目は四方へ。句全体に、紙ふうせんのような立体性も感じる。夕暮れ時の実景ともとれるが、「声それぞれにはなれゆく」が良い意味で芒洋としている。そもそも、「声」とは「はなれゆく」ものなのかもしれない。

霧の夜の失着(しっちゃく)へさかのぼる指 同

指が主体となって動く奇妙な情景。3句目の方向性は下→上だ。(作者はまったく意図していないところかもしれませんが…) 

失着へ心を向かわせているのは「指」というところに着眼の面白さがある。自らの肉体をも突き放し、他人事のようにその声を聞く。「霧の夜」にはサスペンス的な雰囲気もあり、なかなかにドラマティックな句だ。

陽の濁り濃し錆鮎にこゑのある 同

産卵を控えた錆鮎の姿。お腹が膨らみ赤らんで、鉄が錆びた色のようになるため、錆鮎と言うのだとか。産卵のあとは精根尽きて息絶えてしまうらしい。川下に向かって泳ぐ鮎を、ふいに捕えたか、眺めているのか。1匹なのか複数匹なのかもわからない。「陽の濁り濃し」もなんだか謎めいているところに、唐突に「こゑのある」とくる。鳴かない鮎に声をあてているのだから、ここでいう声は、声帯を鳴らして音を出す類のものではないはずだ。一つの句の中に屈折がありすぎて、到底答えなど出せないが、錆鮎の叫びなんて読みは、悲壮的だし一辺倒で面白くない。ここは「こゑがある」で思考を停止して、ただの記号として味わってみるのも良いのかもしれない。

火恋し液晶の罅なでをれば 同

液晶の罅はスマートフォンの画面の罅だろうか。妹の携帯電話の液晶画面にも、かつていなびかりのような罅が入っていたことを思い出す。「なでをれば」恋しいので、この人はつねにスマホの画面を触っているのだろう。いまは自分の身体の一部のようになってしまったスマートフォン。自分をいたわるように、何かにすがるように、携帯電話の画面を撫でつづける人々の姿が目に浮かんだ。

すさまじや革に触れゐて革の聲 同

ここでは旧字体の「聲」が使われている。「声」と「殳」は、石で出来た楽器を打ち鳴らす様子を描いたもので、「耳」は、その音が耳に届いているということを示しているらしい。聞く側の存在が、ここで仄めかされているのだろうか。


作者の鋭敏な感性に触れ、私も、いろんな物事から発せられた「声」を、キャッチできる心持ちでありたいな、と思った。


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