【解題】「後記」第305号
対中いずみ
「青」305号では「特別企画・山信」が組まれている。波多野爽波の文章と「山信」百句と裕明の小文が掲載されている。爽波の文章の一部を引く。
三百号の祝賀会の晩はしたたかに酔って、二次会の中途あたりからのことは僅かに記憶の断片があるのみであった。翌日、前夜辛うじて持ち帰った紙袋の中から忽然と現われたのがこの黄表紙の「山信」である。いつどこでこの句集がこの紙袋に納まったのか、私には全く記憶がない。
自分自身の二十歳という年令、そしてその年までの句集を振り返ってみて、些か愕然とさせられた。自分ではこと俳句についてはかなりの早熟で、もう二十歳ぐらいまでにはそこそこの句を作っていたとばかり思いこんでいたのだが、「舗道の花」を繰ってみても、二十歳という年限で区切ればまことに貧困である。裕明君のこの「山信」に較べれば“勝負あった”の一言に尽きるようである。果たしてこの青年はこれからどういう句作りの道を歩いてゆくのだろうか。
どうやら裕明は師に直接渡せなくて、その鞄にそっと忍ばせておいたようだ。限定十部を墨書コピーで作成した手作りの第一句集であったが、その全てを謹呈することもなかったようだ。実にはにかみがちな初々しい出発であるが、編集後記に島田牙城が「特別企画は、爽波先生のたってのご希望によるもの」と記し、「青」誌上で特集が組まれ、祝福に満ちた出発でもあった。
305号の裕明句6句。
何よりも鐘楼たかし池普請
冬草や満月谷にあふれけり
咳の子に籾山たかくなりにけり
餅搗や燃え付きし枝もちあるく
掛を乞ふ雨にうかびて欅あり
丈たかき草に一軒煤拂
(太字は句集『花間一壺』に収められている)
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