2024-06-02

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】弘田三枝子「ハード・デイズ・ナイト」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
弘田三枝子「ハード・デイズ・ナイト」


憲武●ビートルズのカバー特集第二弾ということで、弘田三枝子「ハード・デイズ・ナイト」です。

 

憲武●一聴しびれましたね。曲が弘田三枝子のものになってる。歌唱力が抜群です。

天気●雰囲気、出てますねえ。正真正銘のジャズ歌手、という感じです。

憲武●弘田三枝子はそれこそかなり小さい時から、ティーブ釜萢 、かまやつひろしのお父さんですが、の主催するジャズの学校へ自分の意思で通って、英語の発音の基礎から徹底的にスパルタ教育されたという話を聞いてます。それで8歳の頃には米軍のキャンプでジャズを歌っていたとか。

天気●さもありなん。

憲武●このカバーの録音は1966年なので、弘田三枝子が19歳の時の録音ですね。前年にはニューポート・ジャズ・フェスティバルに招待されて歌っていますから、その実績の自信のようなものが伺えるかと思います。老成してます。天才ですね。

天気●19歳! ふつうなら、まだ鼻たらしている頃ですね。

憲武●はい。よだれも垂れてるかもしれません。弘田三枝子の最盛期って10代なんですよ。20歳くらいには、GSブームに乗り切れない感じでやや影をひそめて、1969年の22歳の時に「人形の家」でカムバックと言われてました。22歳でカムバックって、ないですよね。歌謡曲でカムバックしたんで、ジャズファンからは反発を買ったようです。

天気●「人形の家」、ヒットしましたね。音楽的出自の如何にかかわらず、テンポのゆっくりした歌をしっとり歌ってこそ歌謡曲の一人前、大御所、という風潮が長かったように思います。

憲武●エラ・フィッツジェラルドに、養女にしたいとまで言われた才能の持ち主ですけど、70年代以降はヒット曲がなくて、メディアの露出も減りました。何が彼女に起こってしまったのか、と思います。


(最終回まで、あと659夜)

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