2024-06-02

中矢温 句集レビュー:黒岩徳将『渦』

句集レビュー:黒岩徳将『渦』

中矢温


2024年5月、黒岩徳将氏の第一句集『渦』が港の人から刊行された。あとがきによれば「二〇〇六~二〇二三年の三三〇句を句集に収めた」とのこと。句集を一読したあと、秘めた闘志とでも言えばよいのだろうか、確かなパワーを受け取った。一瞬と日々から目を逸らさない強さを感じた。

1. 静かな熱のある句

LOVEと背に描きたるデモの裸かな

書く前の手紙つめたし夕桜

夜の雲を祭太鼓が押し返す

風吹いて人来てゴーヤチャンプルー

噴水が何も濡らさず落ちにけり

マシュマロを全球炙る朧かな

たくさんの手を山霧に翳しゐる

一句目、アイラブユーのラブではなく、ラブ&ピースのラブだと思う。一筋伝う汗が見えた。二句目、書いたら手紙はふっくら厚くなる。抒情ある「手紙」という素材には、詩情の強い「夕桜」を合わせるがちょうどいい。三句目、これから深まろうとする夜と時間への抵抗。四句目、屋外でずらっと料理と人が並べたテーブルが見えた。「ゴーヤチャンプルー」の湯気。五句目、「噴水」の水は宙を切るのみ。六句目、この「朧かな」は所謂〈手をつけて海のつめたき桜かな〉(岸本尚毅)の「桜かな」の句型だろう。「全球」の「球」という単位が巧い。七句目、非日常の「山霧」を確かめる仕草がどこか儀式めく。どの句も静かなようで、その奥に体温や気温や熱を帯びている。

この「静かな熱」は他者との交流にも言える。

たんぽぽは僕が発見すみれは君

とろろ汁俺が言ふのもあれやけど

追伸に雪だよと書き投函す

野の花の発見を君と半分こにして分かち合うこと、君に言わないではいられないアドバイスがあること、君に見せたい雪があること。どれもさりげなくじんわり温かい。

2忌日の句

『渦』には一般的にむつかしいとされている忌日の句が果敢に所収されている。

手に指に熱し子規忌の飯茶碗

一茶忌の馬穴を蹴れば星生まる

子規の忌の饂飩が繋ぐ皿と喉

夢二忌のシャワー弱めて稲穂めく

賢治忌の子は鳥の名を言ひ当つる

波郷忌の仰臥思はぬ骨の鳴る

波郷忌の切られし髪の掃かれけり

なかでも私が目を留めたのは〈子規の忌の饂飩が繋ぐ皿と喉〉。

適切な比較対象ではないかもしれないが、〈広島や卵食ふ時口ひらく〉(西東三鬼)のような、美味しそうではない食べ物の一句である。食べ物が舌を悦ばすものではなく、エネルギーであり、図像的である。健啖家で知られている子規を通じて、根源的な食の意味が問われている。

そしてもう一句、〈波郷忌の仰臥思はぬ骨の鳴る〉。

長く横になっていたのか、体勢を変えた表紙に身体の内側から「思はぬ骨の鳴る」という応答があった。闘病を続けた波郷の忌を冠することで、鳴った骨によるじんわりとした鈍痛が一句に残る。

以上の所感は、黒岩さん個人への礼状に留めるつもりだった。しかしこの拙い鑑賞文がインターネットの海に乗れば、この日本のどこかで『渦』が新たに発生することだってあるかもしれない。そうして私は『週刊俳句』の西原天気さんに掲載を依頼した。

とはいえ、私にしか書けない『渦』の鑑賞文などない。『渦』の良さの数パーセントも書けていないと思う。しかし私にしか書けないこともあって、これを書くことは句集についての語りを放棄してしまうのだけれど、黒岩さんへの感謝の気持ちである。

黒岩徳将という俳人との思いがけない邂逅は、地方の高校生だった私が東京で俳句を手放さずにいられた奇跡の始まりだった。何故なら進学や就職といったライフステージの変化などを機に、他の様々な理由も含めて、もう新作を読めないかもしれない惜しむべき若手俳人たちを、私は既に幾人も挙げることができるのだから。

2018年春、松山から誰一人知り合いのいない東京に来た私を、黒岩さんは様々な句会に連れていって、沢山の俳人と繋いでくださった。私のことを知る俳人の多くは、私と初めて会った場に、きっと黒岩さんもいたはずである。更に凄いことは、このように多分にお世話になったのは、何も私だけではないのだ。氏が「体操のお兄さん」ならぬ「俳句のお兄さん」たる所以のひとつである。この並々ならぬ活動には、氏の人徳のほかに、『渦』のあとがきで触れられている夏井いつき氏のイズムも感じる。

最後に改めまして『渦』の上梓、誠におめでとうございます。皆さん『渦』を是非読んでください。


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