2024-06-09

岡村知昭【句集を読む】「を」の練習の成果について 岡田一夫句集『こほろぎ』の一句

【句集を読む】
「を」の練習の成果について
岡田一夫句集『こほろぎ』の一句

岡村知昭


包帯を巻く練習を天の川  岡田一夫

天の川煌めく夜、この人物は、誰かに包帯を巻く。慣れない手つきで、何度も巻いて何度もほどく。自分のためというより、誰かのため、組織のために包帯を巻く役を引き受けはしたのだけれど、実際にやってみたらその難しさがわかって、悩んで、戸惑っている。包帯の巻かれ役にして、指導にあたる人物からは「やり方が違う」「巻き具合がきつすぎる」「それでは緩すぎる」と次々の厳しい言葉が飛ぶ。次々と押し寄せてくる指導の数々に、じゃあ、どうしたらいいのか。そんな思いで頭はいっぱいになって、いい巻き方、正しい巻き方が、ますますわからなくなってきている。悩み、戸惑う姿の向こうで、天の川は煌めく、ただ煌めく。

この一句で注目したいのは、切れの位置にある助詞「を」だ。助詞で切れを作るパターンでは「に」「へ」は見かけるのだが、「を」はなかなか見かけない(私自身の印象では、この一句がはじめてかもしれない)。

「包帯を巻く練習」と「天の川」の取り合わせをつなぐ形として、まず考えるのが「や」だろう。この形だと、包帯を巻く動作と天の川との取り合わせが、近景と遠景とのバランスのよさと相まって、二物衝撃としての立ち上がりが鮮やかになる。

〔例1〕包帯を巻く練習や天の川

つぎに、切字「や」の効果はわかっていても「でも切字は避けておきたい」と考えたときには「に」もしくは「へ」が候補に挙がるだろう。「に」の場合だと、「包帯を巻く練習」が天の川の輝きに照らされる様子は、より鮮やかなものとなる。「へ」の場合では天の川に照らされるのが、「に」と同じとの読みにとどまらず、これから「包帯を巻く練習」への向かう人物の姿でもある、読みも立ち上がる。鮮やかとなるのが、動作なのか、人物なのか、その違いはあっても、一点集中からの二物衝撃は、はっきりと、この一句の軸を形作っている。

〔例2〕包帯を巻く練習に天の川

〔例3〕包帯を巻く練習へ天の川

それでも、この一句で切字の役を与えられた助詞は「を」である。「包帯を巻く練習『を』天の川」。この「を」に含まれる読みは、いくつか考えられる。包帯を巻く練習「を」はじめましょう、との呼びかけ。包帯を巻く練習「を」しています、との提示。しかし、読み返すたびに、「を」での力強い切れが、力強さゆえに、読み手を戸惑わせてしまうのは、避けられないように思われる。「を」のあとに、いろんな読みが含まれている可能性を感じさせるのを、わかりづらさと捉えてしまいかねない要素は、この一句の弱さとして確かにあるのかもしれない。

しかし、この一句での「を」は必然として選び取られた「を」。力強さにあふれて、読み手に迫ってくる「を」である。句会でもし、先に挙げたようなわかりにくさについての評があったとしても、作者はしずかに頷きながら「それが『を』にした狙いなんですよ」と思っていそうなのである。

「包帯を巻く練習」と「天の川」、はっきりとしている近景と遠景の取り合わせであるのだから、そのふたつをさらにくっきりさせなくても伝わってくるはず、むしろ「を」によって、二物衝撃をソフトランディングさせ、一句の奥行きを、より広げてみせたかったのですよ。

もしこんな風に言われたら、読み手としてはどう返していけばいいのだろうか。「それでもこの一句では効果を上げていないのでは」と反論するのか、「切字効果の助詞でこんな使い方ができるんですか」と唸るのか。評価は割れることになるだろうが、それでも、その異論反論を、この一句の作者である岡田一夫氏は、一句ができあがったときから、ずっと心待ちにしていたのかもしれない。次なる一句、新しい一句へ向けての、叩き台となってくれるだろう。そんな気持ちが「を」の選択につながったのは、間違いなくあったはずなのだろうから。
俳句がとても好きな人でした。毎日机に向かい俳句作り。人、物に対する鋭い感性と観察眼、そこから得たものをいかに表現するかを常に模索していたように思います。言葉に対するこだわりには強いものがありました。鋭い感覚と詩情をも併せ持った一夫の俳句が好きでした。
遺句集となった『こほろぎ』のあとがきで、妻の岡田百合子氏はこのように、俳句とともに生きた夫の肖像を描いている。鋭い感性と観察眼、そして表現の模索とこだわり。それがこの一句における「を」に凝縮されているのですね。そう伝えてみたくても、俳人岡田一夫氏の姿は、いまはない。だが、この一句の煌めきに、間違いはない。それだけは、亡き人へ伝えられるはずなのだ。


岡田一夫句集『こほろぎ』2023年9月/現代俳句協会

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