【句集を読む】
その日の朝に生まれたような
阪西敦子『金魚』
西原天気
まずは海の句を二句。
春の海遠きエンジン音をのせ 阪西敦子(以下同)
岸壁は海へと走る夏立ちぬ
駘蕩から躍動へ。春から夏へ。二句をこう並べると、季節の移り変わりを満喫できる。
前者。遠くから聞こえるエンジン音を聴いている。「はるか」から「此処」まで空気の震えが届くあいだ、その下にあるのは春の海。水平がきちんと句の中に収まる。音速なのに、のんびりとしているのは春のせいだろう。
後者。理屈っぽくて現実的な人なら、表現にある種のくびれを見出すかもしれない。岸壁は海に沿っている、海「へと」走るわけではなかろう、と。しかしながら、そこは俳句。気分が優先する。やってくる季節を迎えに行くかのように、岸壁は海へと走るのだ。加えて、動詞(走る)から動詞節(立つ)への動態を「ぬ」の完了・実現が受け止めて、句全体が気持ちよく響く。
と、二句を取り上げたが、句集『金魚』の興趣・情趣は幅広い。
建物も食べ物ものせ大熊手
…の飄逸。
燃えすすむ榾に木目の戻りたる
焼藷の大きな皮をはづしけり
赤とんぼ影に当りて戻りけり
このあたりは、歳時記の例句に載っていてほしい本格。
サイダーの泡の音して運ばれし
イギリスのビールの色の夕かな
…あたりは、街で遊ぶ愉しさ。
腹巻や人よりすこし働かず
振り向きて水着の中の水動く
…あたりのなんとも言えぬ情けなさ。
寝るは淋し覚むるは哀し秋の空
クリムトは楽しからずや春を待つ
「淋し」「哀し」「楽しからず」といった率直な表現もしっかりと句に収まる。
ことほどさように『金魚』には俳句のいろいろな愉しみが用意されている。
それももうひとつ。句歴の長い作者だが、いわゆる手練れ感や鈍重な格式などはきわめて希薄。金魚という生き物は、何日経っても可憐で、その赤はいつでも、その日の朝に生まれたような色をしている。句集『金魚』はまさに金魚のような句集。
阪西敦子句集『金魚』2024年3月/ふらんす堂
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