2024-06-30

田中泥炭【句集を読む】岡田一実句集『醒睡』を読む 『醒睡』ノート

 【句集を読む】

『醒睡』ノート
岡田一実句集『醒睡』を読む
 
田中泥炭


0.楸咲く現いづこも日に傷み 

楸は秋の季語として歳時記に採集されている。諸説ある曖昧な言葉だが、基本的には葉に関係する事柄から秋季と定まったようだ。一方で楸は夏に開花する植物でもある。しかしその現実は歳時記に載っていない。歳時記というものは共同体的認知の集積であり、物事の美しい側面を保存してくれる。だが一方で、代表的な側面が定着すればするほど、他の側面を見え難くするのだ。共同体的認知として言葉の表皮に築かれた既知、その明るさの裏側で認知の影へと追いやられる物事の傷み。現実社会にも相通じる物事の関係性を象徴的に表した一句と言えよう。

 掲句は岡田一実の第5句集『醒睡』その巻頭句である。物事のあるが儘を仔細に叙述することで、生生しい現実の諸相を言語芸術へと昇華させる。また、写生の王道をゆく筆致の裏側に控える作者独特の思想的深まり、その実践度の高さをも窺わせる句集と言えよう。様々な角度から語られるべき句集だと思うが、本稿においては一句単位の価値判断ではなく、岡田が『醒睡』に込めたであろう思想の轍を、言語化可能な範囲で探っていきたい。


 1.模倣による再認識

岡田は写生俳句の名手である。少なくとも筆者はその様に思っている。だが「写生」とは一体何であろう。この問いに精神的な側面が絡むと、その答えは複雑多岐な物となり、枝葉を数えるが如きとなる。だがより単純な行為性から捉えれば、幾つかある最低限度の共通項として”言葉による対象の模倣”という要素を挙げる事ができる。そして筆者は、”模倣の意義”に関して十分な説明をなすだけの言葉に既に出会っている。それは小田部胤久の著書『西洋美学史』に引用された、ドイツの哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマーの言葉だ。ガダマーは「模倣の認識上の意味は再認識である」とした上で、次のように主張している。

再認識においては、われわれの知っているものが、それを引き起こすもろもろの状況の持つあらゆる偶然性や可変性を脱して、いわば照明されたかのように現れ出て、その本質において捉えられる。‥‥‥「既知のもの」は再認識されることによって初めてその真の存在(sein wahres Sein)に到達し、存在するがままに自己を示す(小田部胤久『西洋美学史』より引用)

著者である小田部はこの言葉に続いて次のように述べる。

われわれにとって世界における多くの事柄は「既知のもの」であり、われわれはそれを知っている(と思いなしている)。だが、こうした事柄を描写する芸術作品と出会うとき、われわれはその事柄とあたかも初めて出会い、それを初めて見知ったかのように感じることがあろう(同上より引用)

岡田が写生した対象物は、一見明らかな既知であっても不思議な鮮やかさを宿している。それは岡田がガダマーの再認識に近い方法で対象を捉え、我々の凝り固まった認知に心地よい一撃を与えるからと言えるだろう。

 靴下のうへ膝頭アッパッパ
 脇見せて天を差しをり甘茶仏 

アッパッパという言葉に包摂され、認識されなかった肉体の奇妙さ、甘茶仏という信仰の対象物に包摂された人間味ある卑属さ。岡田は季語という共同体的認知、つまり”既知”に包摂された物事を言葉によって照射し、鮮やかな未知として掬い出しているのだ。それは「読初や繪にほほゑめる子を挿繪」「秋風や蛸の繪のゑむたこ焼き屋」「書きし字を折りて手紙や秋深き」「歯に圧しオクラの種の舌に出づ」「考へてゐて考へと蚊の痒み」「読む文字のまはりの文字や秋灯」等にも見て取れるように、季語に限定されることなく日常的な出来事に対して広く敷衍されている。


 2.価値判断の停止

既知に対する照射という意味において、「楸咲く現いづこも日に傷み」も再認識の句と捉えてよい。寧ろ、この句は波郷の「霜柱俳句は切字響きけり」の様に、作者の理念を象徴した特別な一句だと言えよう。だが、岡田俳句の大部分を占めるのは、理念を先行させた俳句ではなく(結果的に理念に結び付くとはいえ)「読初や繪にほほゑめる子を挿繪」の様に、通常は句材から零れ落ちそうな物事を異様なほど実直に見据えた写生句である。

  眼鏡取り春セーターに頭を通す

掲句は日常を簡素な言葉で切り取ったものである。その”一見の”些末さは、例えば相子智恵の「群青世界セーターを頭の抜くるまで」との比較、更に深入りすれば、そこから連想される水原秋櫻子の「滝落ちて群青世界とどろけり」により構築される言語的理想美の世界を前に明白になると言えよう。だが岡田は”仔細な叙述“によって些末さを乗り越えている。掲句であれば〈眼鏡取り〉という一見有効成分の低い措辞に、微かな時間の撓みが織り込まれているのだ。この仔細さが生み出す措辞の過剰性は「買ひし土筆を手づからに煮たりけり」「借りて読む雪岱図録たまに咳」「読める頭にふと白菜の全き画」「落ち来たるむらさきの実の弾け飛び」「思ひ出して舌打ちひとつ春の風」等にも共通するものであり、岡田の修辞的特徴の一つだと言える。
 
 闇高き天や秋星つどひ這ふ

集中に多数現れる”複合動詞”も、対象を仔細に叙述するという岡田の修辞学、その一面と言えよう。動詞を仔細に表現する、動詞を細分化する事により、読者の認知を開いてゆくのだ。岡田の複合動詞は掲句以外にも「指に紙魚潰し引きしや筋に跡」「萍の根やみづげぢが揺らし食ひ」「橋桁に流れ分かれて靫草」「その花粉選り食ふ虻や銀梅草」「曼殊沙華揚羽は吻を伸べ挿しぬ」など枚挙に暇がない。加えて、動詞に関しては「柵越えて他の木を巻いて糸瓜垂る」のような重用、「凍天や逆ほどばしる鐘のこえ」「雲二筋その間黄濁る月の暈」「紺青の海を深敷く山や冬」等の動詞に属性を付与するような方法も駆使されている。

このように、岡田は些末さに接しながらも、物事の生な在り方を仔細に叙述することよって、それらを言語芸術の高みへと引き上げていく。その過程で用いられる言語表現の新味も岡田俳句の魅力ではあるが、そういった修辞的側面にも増して魅力的なのが「眼鏡取り春セーターに頭を通す」「読める頭にふと白菜の全き画」のように、通常は句材から零れおちそうな出来事を確実に捉えている部分だ。何故この様な事が可能なのだろうか。

 首赤き鳥や何鳥枯木山

掲句には些事以前の混沌とした状態、認識が構成される前段階が捉えられている。この様な認識を宙吊りにした句は「煤逃のひと何ゆゑか歩み止み」「嗅ぎこれは枯れしシソ科のを何かとふ」「椿見て薔薇の如きと思ひ言ふ」「花びらを呉れ何の花蓮の花」「花の名をググり確かに甘野老」など集中に多数存在しているが、この傾向自体が先程の疑問の答えと言えるだろう。つまり岡田は書く前に”対象の価値”を問うていないのだ。認識の立脚点が非常にプレーンなのである。筆者はこれを”価値判断の停止”と呼びたい。岡田の観察眼を支える屋台骨は、この価値判断の停止なのではないだろうか。


3.定石という既知

さて、再三の言及となり恐縮だが”些末さ”とは初学の罠と言われる。筆者自身も句会等で「ただ事」「あるある」など、紋切型に両断される句を数多く見てきた。だが、岡田はこの様な定石をこそ閲しているように思われる。巻頭句でも言及した様に、定石もまた季語と同じく言葉の上に既知を構築し、言語表現を抑圧している可能性があるのだ。実際に、岡田は定石の代表格といえる”季重なり”にも検討を加えている。

 花虻の二つ上れる藤の空
 熊ん蜂乗り溝蕎麦の花下がる
 黄なる蝶すり抜け枝垂櫻かな

実作者なら誰しも「一句に季語はひとつ」、複数の季語を用いる場合は「季語に主従を」等と指導された経験があるはずだ。だが熟達者であるはずの岡田の『醒睡』には季重なり、それも大胆なものが見られる。上記の句群は”季重なり”かつ”季語間の主従”に計らわない句である、教義ある場所では不遜と見做されるものかもしれない。だがこの瑞々しい命の輝きを見よ。季語と季語が季語という軛を越え、相互に関係しながら生々しい現実の美を開示している。 

なお、誤解がないように付言するが、筆者は岡田が共同体的な価値観を否定する作家である等と主張したい訳ではない。句集の最終版の内容(後述)からして寧ろ逆であり、岡田は俳句の敬虔なる徒とすら言える。だがそれ故に、岡田は”あたりまえ”とされる事柄の本質を見極めようとする。動詞の多用にしても言語効率的からすればセオリーとは言えない。詳細な叙述は「些末を避ける」という定石に対応していた。考えてみれば、前述した価値観の停止も「多作多捨」という理念を本質論的に深めた物と言えるかもしれない。“経済効率性””タイパ“等という言葉が跋扈する社会において、詩型の理念や定石を検討するという営為は、その正着の無さから言って正に無用の無用であろう。だが、そこを乗り越え「何故○○なのか」という本質を言語化できた者にとって、その定理はハウツー的・便宜的な理解に基づく実践よりも、遥かに本質的な物として日常に敷衍されるのだ。筆者は岡田の句群にそのような凄味を感じている。


4.異質なる句群

これまで『醒睡』のある種”俳句的”な側面について語ってきた。だがこの句集には、語る上で避けて通れない異質な句群が存在する。それは連作として銘打たれた「非想天」「十方罪」「早春遊望讃」「深轍」「とこしなへ」「青海波」「常詩品」「喜劇」(旅吟を除く)及びP84-85の三文字俳句である。

凪の穢と哪吒の遊戯と冬日向    「非想天」より抜粋(以下同じ)
他が岸の博徒を蒸して気密の慮 「十方罪」
濁点の余寒のドグマ旗のうへ  「早春遊望讃」
日々祝日たましひを緋の深轍  「深轍」
話者滅し非読のこゑの詩かな   「とこしなへ」
又烏瓜の末路の熟知の朱    「青海波」
果は川うすき皮其を梳る    「常詩品」
コロス溶け飽き日が鳥世界   「喜劇」
無を陽             (P84) 

便宜上これら句群を『醒睡』のB面と呼ぼう。B面の句群にある異質さは、例えばP42-45において展開される七七句、そして同じく七七句でありながら「喜劇」と銘された連作を比較すれば解りやすい。筆者は前者の句群をB面に数えなかったが、それは連作銘有無の問題でなく、韻律としての共通項はあれど内容が全く異なるからである。前者は内容として具象的であり、A面の俳句(前項までに紹介した句群)と同じベクトルにあると言えよう。だが「喜劇」は作句の契機となった対象物(具体的事物または概念)の存在は感じさせるものの、表現の面では具体性が明らかに後退しており、抽象度の高い言葉優先の作品群となっているのだ。ここでは伝達性(読者)は余り重要視されていない。B面の句群には、言語嚢を自由に解放し、積極的に言葉に溺れようとする筆致がある。

だが、このような言葉優先の作品に対して、その賛否は別れる事が普通であろう。かくいう筆者も「日々祝日たましひを緋の深轍」「又烏瓜の末路の熟知の朱」など感銘を受けた句がある一方で、言葉優位の過剰さを受け止めきれない部分もあった。だが、言葉優位の書き方とは本来その様な物である。そして、こうも思う。言葉の沼に自ら溺することでしか書けないもの、開かれない領域が確かに存在すると。そしてB面の句群における言語的試行の到達点こそが、『醒睡』中における奇書的部分であり最早C面とでも言うべき「世瀬 幻景韻詩論」の句群なのではないのか、と。

みちのをしの

みりむに

なは  「世より


(週刊俳句スタッフ註:WEB掲載時、原句の視覚効果を正確に再現できませんでした)


「世瀬」は視覚効果が施された句群であり、横文字での転載は作者の本意には添わないと思われる。従って引用は掲句のみとするが、この一句だけでも「世瀬」の作品が意味伝達を目的としていない事が十分に理解されるであろう。それはB面の句群よりも徹底された物であり、換言すれば”読者”に向けられた言葉ではない。そして更に言えば”俳句”に向けられた言葉でもない。俳句よりも更に根源的な”何か”へと宛てられた作品群なのだ。その何かに言及することは、推論に推論を重ねる所業に他ならないが、一つの思考実験として、国文学者である折口信夫の言葉を引用しつつその正体を探っていきたい。 

日本文学が、出発点からして既に、今ある儘の本質と目的を持って居たと考へるのは、単純な空想である。其ばかりか、極微かな文学意識が含まれて居たと見る事さへ、真実を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一様式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文学の規範に入つて来たに過ぎないのである。

似た事は、文章の形式の上にもある。散文が、権威ある表現の力を持つて来る時代は、遥かに遅れて居る。散文は、口の上の語としては、使ひ馴らされて居ても、対話以外に、文章として存在の理由がなかつた。記憶の方便と伝ふ、大事な要件に不足があった為である。記録に憑ることの出来ぬ古代の文章が、散文の形をとるのは、時間的持続を考へない、当座用の日常会話の場合だけである。繰り返しの必要のない文章に限られて居た。ところが古代生活に見えた文章の、繰り返しに憑つて、成文と同じ効果を持つたものが多いのは、事実である。律文を保存し、発達させた力は、此処にある。けれども、其は単に要求だけであつた。律文発生の原動力と言ふ事は出来ぬ。もつと自然な動機が、律分の発生を促したのである。私は、其を「かみごと」(神語)にあると信じて居る。/折口信夫『国文学の発生(第一稿)』より

 ここで折口は、言葉が文学(表現)への歩みをはじめたその原点を、巫師の神がかりにおいて表出される律文「かみごと」に求めている。勿論、日本文学の最古として遡れるものが、既に文芸として高度に構築された記紀歌謡である以上、折口の説は永遠なる推論である。だが、韻文が世界中の言語において存在する事に鑑みれば、表現の原初が人類に広く存在する祭式にあるという結論は、非常に説得力のある推論に思われるのだ。 

翻って「世瀬」の言葉であるが、テクスト上この連作の韻律性は明確ではない。だが、その構成には韻律的な萌芽があるし、岡田自身の肉声(『醒睡』は作者による朗読音声を聴くことができる)を参照すれば、そこには確かな韻律性を確認できる。この様な韻律の上に意味が構築されない、ある種の“呪言”のような言葉の在り方に、折口が言及する「かみうた」への回路を幻想するのは突き抜け過ぎだろうか。だが、筆者はこの言葉の在り方に、かつて聴いた宮古島の神歌を連想する。普段我々が伝達の便に用いる言葉とは全く異なる、明らかに人間以上の存在に向かって捧げられる言葉の質感。そういった言葉の在り方を「世瀬」と想い並べるとき、その様な推論にも一筋の芯が通るような気がするのだ。勿論、宮古の神歌が古くて土着的なものとは言え、「かみうた」と比べれば高度に構築された音楽的表現である。従って「かみうた→神歌→世瀬」等と一足飛びに主張することはできない。だが「世瀬」の副題たる「幻景韻詩論」という言葉の意味を考え、こと律文という要素に限定すれば、「世瀬」と神歌における近似値の先に、原初の律文たる「かみうた」の在り方、その可能性の一つへと触れる回路が発生するように思われるのだ。混沌から誕生した喃語的律文、表現の構築へ至ろうとする未分化な声。「世瀬」は”読者”でもなく”神”でもなく”俳句”でもなく、表現の原初をこそ宛先とする言葉として、律文の”源始“が”幻視”された句群なのではないだろうか。


5.日の当たる櫻の花や影を裡

岡田は句集末の数ページを季語の代表格とでも言うべき桜(及び関連季語)の句群で占めている。このエピローグ的展開が桜の季語によって為されているという外形的な要因だけで捉えれば、岡田が俳句の歴史が培ってきた共同体的価値観へ無条件に立ち戻るように見えるかもしれない。だが、この句群には「ぼんやりと山に日の入る桜餅」「花むしり嗅ぎそこそこで川に捨つ」「花の刃は諸手の法を南より」「擬人の死寄進の花の骨まつり」「俤の花は胡乱の由を巻く」「兄のなか滅多櫻の気を結ひき」など、『醒睡』において展開されたきた作風が通覧的に納められている。そして掲句は、桜の句群の最終句(巻末句)として、その意味を象徴的に引き受ける作品であると同時に、恐らくは巻頭の一句「楸咲く現いづこも日に傷み」と対になる俳句である。岡田は“楸咲く”において、既知に覆われた物事(未知)の傷みにより添う事を作句上の姿勢として宣言した(と筆者は解した)。それは俳句形式を閲し、負荷をかけてゆく旅の始まりでもあった。だが一方で、その終着点である「日の当たる櫻の花や影を裡」においては、物の陰陽たる未知と既知が同等の存在として、傷めあうことなく花弁に納まっているのだ。

つまり、掲句及び桜の連作がなす調和的な世界観は、一実作者が俳句の歴史性へと還流する姿を、エピローグ的に示した句群には違いない。だが同時に、それは試行錯誤の終りを意味するものではなく、寧ろこれまでの試行錯誤を俳句の歴史へと捧げ、さらに豊かな表現を“共に”目指さんとする心の現れなのだ。俳句形式にお礼肥を施すが如く、自身の句業を俳句へと還していく。そんな一俳人の姿がテクストを越えて浮かび上がってはこないだろうか。

岡田は写生という俳句の王道を進みながらも、季語や理念の内側に対して思想による検討を加えてきた。そして連作俳句において写生的表現を離れ、「世瀬」に至っては俳句そのものを離れたのである。しかし最後の最後、岡田は桜の句群によって句集を閉じた。この往還的かつ美しい終焉に、筆者は最大限の賞賛を送りたい。『醒睡』は一冊の句集でありながら、岡田の思索が刻まれた思想書でもある。筆者は岡田の句群からその外形を推論的に探ったに過ぎないが、本稿が誰かの参考となれば幸いである。



岡田一実句集『醒睡』 2024年5月/青磁社


0 comments: