【句集を読む】
たっぷりとひとり
瀬戸正洋『似非老人と珈琲 薄志弱行』とゆるく付き合う・その1
西原天気
自分が似非老人かどうかはよくわからないが、珈琲は好きだし、薄志弱行であることにはまったく間違いがない。帯文にある「なるべくなら黙っていたい。十七くらいの音数がちょうどいいのかもしれない。それでも饒舌だと思ってしまう」(あとがきより)はまったくもって同感。カバーの文言で、このくらいじゅうぶんに納得してしまっあので、この句集とは、ちょっと長く、ゆるく付き合おうと思う。いつも書いている句集レビューとはすこし違ったものになるかもしれない。ならないかもしれない。そのへんもあまり決めずに、ページをめくっていきます。
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ところで、近年、夏が来るたびに、かき氷を外で何度か食べる習わしです。抹茶+つぶあん+練乳(私のいなかでは「宇治ミルク金時」と呼んでいました)限定で、いくつか食べてみるのですが、「これだ!」というものがない。それで多数店舗を放浪するわけですが(といってもひと夏に数店舗)ある日、コメダ珈琲店という愛知出自のチェーン店で、該当するかき氷の「ミニ」を注文。ながながと無駄話をしていますが、出てきたのが「ぜんぜんミニじゃない!」というのが、この話の骨子です(すみません)。
アイスコーヒーはたっぷりとひとりかな 瀬戸正洋
アイスコーヒーも然り。何が「然り」かというと、外で飲むアイスコーヒーはたいてい量が多い。老人の胃は、一杯でたぷたぷになります。だから、最近はアイスティーを頼みます。外でわざわざ喫茶店に入る必要はないのですが、本を読みたいので、入るのです。夏はベンチでひと休みというわけにもいかないし。
で、ウチでは同居人や同居猫がいますが、外ではきほんひとりです。じつに私の外での暮らしの一瞬は、この句のとおり、《アイスコーヒーはたっぷりと》であり、《ひとり》なのです。
一方、この句、
《アイスコーヒーはたっぷりと/ひとりかな》
ではなく、
《アイスコーヒーは/たっぷりとひとりかな》
と、意味上の区切りを別の箇所に持ってくることもできないことはない。
すると、なかなかに魅力的な暮らしぶりです。誰かといて心地よいのもいいけれど、ひとりでいるのも心地よい。《たっぷりとひとり》な状態もだいじにしたい。これからもだいじにしていこうと思う。
と、ここまで書いて、「饒舌」がきらいなはずなのに、ずいぶんと饒舌であることに気づき、意気消沈。言行不一致であります。まさしく薄志弱行であります。
(つづく)
瀬戸正洋『似非老人と珈琲 薄志弱行』2024年3月/新潮社
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