2025-02-02

冬が終わるので、冬の句を。とはいえ、そんな詰め合わせはあまりない。 西原天気

冬が終わるので、冬の句を。とはいえ、そんな詰め合わせはあまりない。

西原天気


あすは立春。まだまだ寒い日が続きそうですが、暦の上ではきょうで冬が終わります。ちょっと時間が空いたし、冬の句をつまみ読みして、冬の気分の味わいおさめとしたい。

(あれ? つまみ食いとは言うが、つまみ読みは、いま初めて聞いたような気がする。が、俳句は「つまみ読み」が似合うような気がする。指でつまめるかんじ)

で? そうそう。冬の句で、冬の気分、という話でした。

ところが、どれをめくればいいか。これが存外たやすくない。句集は、たいてい全部の季節が入っている。結社誌や同人誌はきほん、当季で投稿・入稿するので、最近届いたものの多くは、秋の句が並んでいる。作句・投句・入稿時と発行・発表時のズレです。俳句は季節のもの。というのがコンセンサス。なのに、このズレは見過ごされたまま長年続いている模様。

歳時記の冬の巻をめくればいいんじゃないの? という強力なアドバイスもあろうかと存じますが、例句の良い歳時記は少ない。

などと、めんどくさいことを言っていたら、目の前に雪我狂流句集『葉牡丹と寒牡丹』があった。

新年を含めに冬の句ばかりを集めて93句。つまみ読みには、数もちょうどいい。

敷金のまるまる戻る神無月  雪我狂流(以下同)

神の恩寵というわけではありませんが、トクは絶対していないのにトクした気分。

行灯に電球透けて一の酉

二の酉の串にさされり鳥の皮

握りては竹の太さや三の酉

律儀に三句が並んでいて、それそれがそれぞれの気分。とりわけ三句目は、モチーフと季語のあんばいが絶妙です。

老人の汚れちまつた寒さかな

悲しみが汚れちまった中原中也よりも、みずからが汚れちまった老人のほうがよほど悲しい。そして、寒い。陰惨なはずが、なんだか笑える。俳句はいろいろ救ってくれます。

朝が来て地球の上に霜柱

「地球の上に朝が来る」川田義雄とミルク・ブラザース(1939)は85年前。それ以来、否、それ以前も、日に一度、朝が来るという摂理。

猫のゐて文学的になる炬燵

点景としての猫。演出効果絶大な猫。

これは湯気あれはお墓に立つ煙

例えば卓上の茶碗からのぼる湯気、窓の外の墓地に上がる線香の煙。

靴下と股引にある隙間かな

情けなさ、横溢。これも「絶対領域」と呼ぶことにする。

正月の東京タワーの脚を見る

東京スカイツリーはなんだか愛想がないと思っていました。理由は脚がないからもしれない。

大吉がバスに轢かれてぺつしやんこ

かなり虚構的。ですが、こんなシーンで始まるドラマ/映画、大歓迎です。

騒がしく水を使ひて春隣

なんだかうきうきしてきました。もうすぐです。暖かくなるのは。


雪我狂流句集『葉牡丹と寒牡丹』(2019年12月/私家版)


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