【週俳1月の俳句を読む】
さらに濃い生の有り様
清水かおり
西生ゆかり「室内楽」は、室内楽の語義(少人数編成の重奏)のとおり、2句ずつ仕立ての冬のひと日のドラマ性を帯びた句群という印象を受けた。
寒林に肩甲骨を解き合う 西生ゆかり(以下同)
寒林を抜けて演技の小部屋まで
寒林は厳しい冬の季語。さびしく深い魂の意味が込められた語句でもある。
むかし寒林は肉体の打ち捨てられる場所であった。その場所から「肩甲骨を解き」「寒林を抜けて」「演技の小部屋まで」と現実社会から離脱する心身のひとときを思わせるものがある。作中主体の特別な空間である小部屋に何があるのだろう。
枯葉踏む三角形の音たてて
小指もて冬のまぶたにすっと銀
細心の注意を払っても踏めば枯葉は音を立てる。その尖った意識が「三角形」に収斂されている。そして、「すっと銀」が合図のように内面の切り替わりがあり「踊り子」「舞台」へと続く。季と時間をライブ配信のように進んでゆく句たち。
踊り子の臍に光るや冬の星
一月の舞台に汗と投げテープ
花は山茶花まなざしは眼をあふれ
山茶花は散る君だけが君を抱く
映像が見える、と解説されることの多い俳句を考えるとこれらの句は、ちょっと特異な空間を詠った気配がある。「踊り子の臍」「汗と投げテープ」の現実的な情景を、「まなざしは眼をあふれ」「君だけが君を抱く」などの詩的な言葉によって、踊り子を見る視線をナイーブな世界観で包み込むことができている。これは作者の手腕だと思った。山茶花の二句はこの句群で読まなければ、まったく別の心象が展開されていただろう。たとえば他者のいない自己愛を詠うような。あらためて読者の反応を視座にいれて詠まれた句なのだと感心させられた。
喉奥に未遂の咳や終電車
凍空や口を逃れし煙の香
日常が乗った終電車の「未遂の咳」や「口を逃れし煙」から、小部屋にあった生の匂いよりもさらに濃い生の有り様というものの明示を受け取った気がする。
■西生ゆかり 室内楽 10句 ≫読む 第926号 2025年1月19日
■知念ひなた 風の街を住む 20句 ≫読む 第926号 2025年1月19日
■暮田真名 芋づる式 10句 ≫読む 第927号 2025年1月26日
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