2026-02-08

(新)成分表・2 ほっしゃん 上田信治

(新)成分表・2
ほっしゃん

上田信治



犬が、飛行機に乗りたくなくてあばれるという話は聞いたことがない。予防注射の会場に行くことは、あんなに怖がるのに。

だから、人間に飛行機恐怖症があって、むりに乗ろうとすると叫びだしてしまうというようなことは、ごく人間的なことだ。

飛行機恐怖症で知られる有名人には、ドリス・デイとか、デビッド・ボウイとか、アレサ・フランクリンのような人がいる。あと、なぜか、スターリンとか、金日成とか、金正日とか。

独裁者たちの心理を想像するに、飛行機恐怖症とは「自分以外の何かを信じて、命運の全てを預けること」に対するフォビアなのかもしれない。

水中撮影の第一人者の人に、アクアラングのようなかんたんな機械に、全てを預けるのは怖くないんですかと訊いたら「信じるんです」と言っていたから、きっとそうだ。



水泳の高飛び込みの飛び込み台は、いちばん高いところが10メートル。

そこに芸能人が連れて行かれて、さあ飛び込め、とやられる番組はいまだにあって、先日『水曜日のダウンタウン』という番組で、生放送の約一時間まるまるかけて、きしたかのの高野という人(いつもテレビで黄色い背広で怒っている中年男性)が、どうしても飛べない姿を実況していた。

きっと彼は、高所恐怖症のケがあるのだろうから、その番組は虐待をエンタメ化しているという非難を(見てしまった私たちも含め)まぬがれ得ない。

その人は、彼のあと飛び込む(という設定で配されている)芸人仲間たちに責められ、進行役の女性アナウンサーにも「がんばってください」とあおられつつ、番組の放送時間のすべてにわたり「飛べねえんだよ!」と言い続けるしかなかった。

過去、多くの似たような番組があったのだけれど、ほとんどの人が、五分か十分、あるいはそれ以上の時間、逡巡する。ためらって面白くなる時間の幅をはるかに超えてやっと飛ぶ人が多いのだから、いざ自分が飛ぶとなると、あれはそうとう怖いものらしい。

ちなみに、犬は、そういう高さを決して飛ばないそうで、動物は、それだけあらかじめ決められた行動プログラムが強い。

だから、ジャンプ台から、高野という人が飛べないこと、そして、他の多くの芸人の人が、なんとか自分に言い聞かせて飛ぶこと、そのどちらも、ごくごく人間的なことだ。

そして、それが人間的だから、その姿を見たい、人間らしさに触れたい、という欲望が生まれる。

もちろん、その欲望は、そのような番組以前には存在しなかった、テレビの創作物でしかないのだけれど。



別の番組で、ほっしゃんという芸人の人が、同じような飛び込み台から、少しの躊躇もなく飛び込む姿を見せて、ちょっとした伝説になっていた。

「飛べますか」とたずねられたほっしゃんは「高さだけ見ていいですか」と言い、飛び込み台のふちまで行って、下をのぞきながらそのまま半歩進んで、まっすぐ下に落ちていった(いろんな動画サイトで確認できる)。

で。

この話の結論であり、肝心なところなのだけれど、その時のほっしゃんは、すごく「犬のように」見えたのだ。

信じて飛び込むのは、人間にしかできないことなのに。

ためらい続ける高野という人より、飛んだほっしゃんのほうが「犬」のように見えた。あくまで、自分にはそう見えた、というだけの話だけれど。

ほっしゃんという人は、性格がとてもネガティブで、悪いように悪いように考えてしまう人らしく「弁当だけ食べに来た」と陰口を叩かれることが心配で、テレビ局に用意された弁当が食べられないのだそうだ。

そして、番組でウケるのであれば「死んでもいいですよ」というような、追いつめられた心境で生きているらしい。

その人が、ちょっと薄笑いを浮かべながら(「高さだけ見ていいですか」は、会心のフリだったはずだ)10メートルの高さを落ちていく姿が、自分には「犬」のようだと感じられた。

それはその時、その人が、その人に定められたプログラムに忠実だったからだと思う。

そのプログラムを、仮にたましいと言ってもいい。

逆から言えば、人が言葉で心をいっぱいにして、ためらったり、計算したり、恐怖心と戦ったりしている姿は、たましいからほど遠い状態であり、その様子を人は「人間」的だと思う。

高野という人が、飛び込み台をおりて、まっすぐ家に帰ってしまったら、さぞ「犬」みたいだったろう。


犬交むまひるま世界あつてよし 上田信治

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