時間のかかる俳句
井口可奈
工藤 吹
大塚 凱
生駒大祐
(『ねじまわし』第9号より転載)
生 今日の趣旨は企画者が用意した過去の俳句作家によって書かれた俳句一句を、長い時間をかけて座談会形式で読み解く企画です。今日の出題者は生駒です。よろしくお願いします。
凱 はい、お願いします。
可 ここの五音、「鯉のぼり」とかかなあ。
凱 ああ、確かに。季語で抑えていくパターンですかね。なんか、蛇笏とか龍太とかかな。山廬にね、鯉いますし。でも、「鯉」から入ってくるイメージもあんまりないな。
生 うん。そう。季語的にやるんだったら「白鯉」とか「寒鯉」とかはあり得るけど、「鯉」って始まるのって、そんなないような気はしますね。
凱 逆に言うと、かなり写実的な句なんですかね。「寒鯉」みたいな、決まった言葉では書かない。早速、二文字目次第な感じでしょう。
生 まだ、「鯉のぼり」の線が残ってますね。
可 キタコレ。でも「鯉のナントカ」みたいな? んー?
凱 「鯉の冬」とか、季節を倒置させるみたいな。「秋の雲」じゃなくて「雲の秋」みたいな感じにして、ちょっと洒落た感じに抑えるという書き手もいなくもない感じもしますけど。
吹 「の」って付いた瞬間に、ぐっと近づく感じがします。魚が切り身になるみたいな感じで。ちゃんと部位を認識させてくる感じがある。
凱 鯉が魚へんに里なのは、よくできた漢字ですね。今まで全く考えたことなかったけど。
可 なんか鯉って、結構割と近しい感じを覚えるから、面白いですね。
凱 人工的ですもんね、鯉って。鮒から金魚ができたように。
可 うんうん。確かに池とかでしか見ないもんな。
凱 里ですもんね。里山も要するに、自然ではありながら人間が手を加えないと残り得ないものというか、維持できないものなわけで。鯉も確かにそういう存在だよなっていうのは、腑に落ちますね。
可 「鯉の愛」とか、そういう変なのだったら面白いけど、わかんない。「鯉の愛」、何? なんか「の」をどうやってとるかだな、まだわかんないけど。
生 そうですよね。だからね、助詞の「の」なのか、自立語の一部の「の」なのかによってかなり変わりうる気がしてますね。
凱 「鯉の愛」か、なんか鯉たちのテラスハウス見てるみたいな視点?
吹 もし「愛」ってきたら中七以降をそわそわしながら読まなきゃいけなくて、急にどぎまぎしてきたかも(笑)
鯉の顔
凱 ああ、そっち!?
可 なになになに? 「鯉の顔」って、どっからどこまでですか? 何? なんか首上?
凱 エラ上? エラの先? エラから先じゃないですか?
可 エラ上か。あ、でも正面から見ても口がパコって見えて。
凱 そうですね、正面から見てる感じなんでしょうね。ふと、水面の下から出てくる感じというか。
可 あー、そっから出てきますもんね、口からぬっと出てくる。
凱 結構これはもう、写生句に行きそうな手つきをしてる気がしますけどね、このまま。で、季語で落とすような。
吹 なんか、お〜いお茶新俳句大賞でもありましたよね。魚の口の句。第三十回の一般の部Bの大賞の、〈まんぼうの口のくらがり雪降りぬ 今田保雄〉っていう。顔ではないですが。
凱 あ、そうなんですか。
吹 鯉でもないんですけど。
生 なんかあんまり俳句で、そんなに見かけないこの3文字というか。
可 なんか鯉って使うなら割と季語にしちゃうなと思ってました。
凱 そうですよね。「寒鯉の顔」とかって言ってるわけではないですからね。割とこう、もともとある季題を処理するというよりは、情景を書き込んでいこうとしている感じの句なのかなと思いますけど。確かに魚に、顔ってあんまり言わないですよね。頭だもんな。それもやっぱり。鯉というのが人に親しくて、顔も割と存在感があってっていうので、顔っていう言葉が出てきた感じはしますけどね。
可 擬人までいかないですけど、でもなんか「鯉の顔」で納得しちゃったもん、わたし。
可 し?
凱 し?
吹 し?
生 し?
吹 なんか「し」って言われると、逆に鯉の写生句じゃなくて「鯉の顔して」とかの、人の句に持っていきそうだなっていう感じがします。
凱 あー、比喩の方に行くっていう。その可能性ありますね。
生 あと、散文だったらわかりやすく続く感じになりますけど、俳句だから、切れがどこで発生するかみたいな、この読み方だと予想が結構難しいですよね。次の事柄に行っている可能性もゼロじゃない。「鯉の顔」で。
凱 そうです。上五で切れている可能性もある。個人的には「鯉の顔」で切れている方が好きだけどな。だとすると「鯉の顔」は下五に置きたくなる気もしますけどね。
生 あー、確かにね。
凱 あー、じゃあもう吹さんの言う通りじゃないですか(笑)
生 予想が当たりましたね。
吹 当たったとて、ですね、これ(笑)
凱 いやー、ちょっと……ちょっと写生句で見たかったなー! 比喩に行っちゃうのかー。
吹 「鯉の顔」がすごい面白かったから、どんどんハードルが上がっていってる気がしますね。
可 確かに。なんか、普通に、「している」みたいなので、文字数使っちゃうのかなー。「して」の後にこういう、変化っていうか、動作とか、わかんないけど、入ってくるのかな。
凱 次、名詞に行くのか、「している」みたいな感じで、韻律にひとつ緩みを作りに行くのか。
可 私は緩くしちゃうんで、「している」が思いつくけど。でも、なんかもっと詰めた方が内容的には……。
凱 井口さんの俳句を読んだ上で今の話聞くと、「ああ、なるほど」って思います。井口さんの俳句のあの韻律って、そうか、確かにそこから出てきてそうだなって感じします(笑)
可 そうなんですよ。私、韻律をそういう風に(笑)
凱 中七でちょっと、なんか抜きますよね。
可 抜く抜く!(笑)
可 マジか!?
吹 (笑)ここで切れたらどうしよう……。すごい、どうなるんだ……。
凱 前振りがあるとめちゃめちゃ面白いな、これ(笑) これで、このまま終わるのが一番面白いかもしれない(笑)
吹 そんな(笑)
可 「鯉の顔してたら」みたいな? あ、でもそっか、その後普通に「たづねる」に続くとか。わかんないけど。でも「してた」で、過去……面白いって思っちゃった。ここで切れたら超面白いんだけどな。
凱 あるいは空白があって、中間切れとなってまた始まるみたいな。
可 俳句であんまりスペース使う人って多くない気がするんですけど、います?
生 スペースはあんまり……作風によってはいるけど。
凱 伊丹三樹彦とか。あと前衛俳句。
生 改行はあるけど、空白はあんまり、ないかも。
凱 空白……スペースとは思ってない感じがしますよね、俳句における一字空けって、そもそも。
可 なんかやっぱり短歌だと切れって割とスペースで表したりっていうか、その独特のスペースによる効果ってかなりあるけど、俳句ってあんまりスペース使わないよなと思ったのでした。
吹 上五が八音で、確変が入るとかないですか。
凱 いやいや、ありえますよ、全然。
生 作者も時代も分かんないから、どういう手で来るか分かんないですよね。
凱 次の一字で、大体どの時代の書き手か分かるような気がしますね。
生 なるほど。まあそうねっていうか、ここでいきなり別のことを言い出したら、かなり現代寄りとかなんか、あるかもしれない。
可 確かに。中七ゆるーく使う可能性もまだありますからね。「してたのに」みたいな感じで。
凱 まだあります(笑)
吹 「のに」やばい(笑)
吹 「たまに」……とか?
凱 前の書き手じゃない感じがなんかしますよね。少なくともなんか……一九七〇年代以降。
可 「たまごなんとか」みたいな感じなのか? でもどっちにしろ、そうですね。あんまり古い人ではなさそうっていうか。
凱 動詞じゃないって感じですよね。「たまる」とかは動詞であるけど、意味通じない感じするし。
吹 「たまご」とかだったら、中七に季語が入ってくるぞ、という感じになるんですかね……いや、「たまご」だけだと季語にならないですもんね。難しい。
生 あとは構造的に、「して」を上五に詰めるのか、中七で受けるのか、ここの展開がまだわかんないですね。
可 うんうん、それでどっちかにくるのかなって思ってました。
凱 まあでも、上五で「鯉の顔して」はけっこう重たい感じがしますけどね。漢文訓読体みたいになっちゃうというか。それこそ芭蕉の初期みたいな感じの韻律になりますよね、〈芭蕉野分して〉みたいな。奇妙な韻律になりそうです。
凱 お、「たましい」か。
可 「たましい」? え、めっちゃわかんなくなった。
凱 意外と抽象的な作風なんですかね。
可 わかんない。この後に合う言葉があんまり今思いつかなくて。「たましい」っていい句いっぱいあるな。
凱 「たましい」っていい句いっぱいあるけど、全部「たましい」の句なんですよね。
可 「たましい」が強いですよね。
生 はい。じゃあ「たましい」なのかってところで。
可 そっか、まだわかんない。
可 「たましい」だ!!!
凱 「たましい」だ!!!
吹 「たましい」だ!!!
生 「たましい」だ!!!
吹 わかるところがあると、安心する。
凱 まあ、こうなったらやっぱり「鯉の顔」でイメージは切れてるのかな。そして「たましいの」とかって別の物事とぶつかっていくのか。
可 「の」ありそう。
凱 次は助詞なのかなって感じがしますけど。
可 そう、助詞来そうですね。え、じゃあ最後に季語を置くのかな。
凱 まあ、無季の可能性もありますけど。
可 確かに。
凱 まあでも、置くとしたら下五に季語でしょうね。
可 えぇ? ちょっと季語を予想しよう。すごい広い……でも季語を予想するの難しい……待って、できないかも(笑) …「たましいの空」? ……違うなあ。なんかすごい気をつけないと陳腐になりそう。
生 そうですよね。けっこう強い、どっちかっていうとけっこうパワーワードが並んでいる感じはある。どうこの後抜いてくるのか、あるいはさらに押すのかっていうところはある。
可 あ、確かに抜いてくるってパターンがありますね。強い語だから強い語を下に並べてくるのかと思ったけど、このまますんと抜けるのも面白いかも……強い語来てほしいなぁ、私としては。
吹 意外と「鯉の顔」って言われて「たましい」って言われたときに、確かに魚の口って丸くて大きいから、ぽかんとした感じわかるなーみたいな。この時点でも割と理が見えなくはない立て方な気がしていて、何が来てもわかるなって思っちゃいそうかも。
凱 いい読みだなあ。なるほどって思いました。
生 そうですね。意外と近い。
凱 鯉って子音とか発音できなさそうだもんな。なんかサ行とか発音できなさそうじゃないですか?
吹 (笑)
凱 「たましい」って鯉が発音できるギリギリの単語ですわ。
可 「す」って言ってる! 待って!
吹 「たましいす」? 「たましい」って動詞じゃないですよね。
凱 ここから句またがりしていく可能性があるのかな。
可 何? ちょっと、なんだ、え、すべすべ、すべすべしてるみたいな感じ? え? 「す」にかかる言葉が、全然。
吹 急に、上五が七音になるとかの可能性もまだ残ってるの、ありません?
可 そういう感じで、なるほどね。「たましいすがる」とか。
凱 今の「す」で予想が違ったのがわかる。
生 へへへ。
吹 「たましいす」で切りたくないな。
可 切りたくない。
凱 難しくなりますね、ここで切れちゃうと。
可 めっちゃ句またがりなのかな。でも、それじゃ文字数的に締められない気がする。
生 意外な「す」が来たところで、次に行きましょう。
鯉の顔してたましいすわ
可 「すわる」? でも「すわる」だったら漢字にするかな?
凱 でも、あり得ますよね。……下五だって、季語で、ひらがなの「わ」で、みたいなのを考えると、あんまりこう、ストンと下五で落ちる感じしないよな。
可 でも、スッて流しちゃう感じで終わるのかな。
凱 けっこう複雑なことやってるな、この句。
生 さっき時代の話してましたけど、凱くん、今の段階でいつぐらいの人っぽい気がしてます?
凱 えっと、なんだろうな。最近の若手じゃない感じがするんですよね。けっこう、お年を召した方の、二〇〇〇年代の句みたいな感じなのかなと思いました。完全に当てずっぽうですよ、これ。
生 いや、まあ、当てずっぽうしかないから、この場合は(笑)
可 え、それは、なんでお年を召した方だと? 「して」の操作とか?
凱 いや、「鯉の顔」とか明らかに上手いんですよね。
可 それはめっちゃわかる。
凱 明らかにこう、なんだろうな……「俳句やってきてんな、こいつ!」っていう感じの入りじゃないですか。その、勘どころを押さえてる感じがあって。で、そして「たましいすわ」の、この中七の感じは、なんかもう俳句を三周ぐらい回ってる感じの人なのかなと思っちゃって。とっくに俳句に飽きてる人の書きぶりなんじゃないかと思っちゃったんですけど。
生 (笑)
可 なるほどね、そういうことか。私なんか割と新しい人なのかと思ったんですけど……なんだろう、この韻律のまたがる感じとか。今の読みの感じでいくと、またがりそうな感じだから。……でも、そうかも。「鯉の顔」なんかは確かにうますぎてるんだよな。それはめっちゃわかる。
凱 なんでしょうね。
吹 じゃんけんに勝ったら蛍に生まれる的な思想の。
凱 池田澄子さん的なね。
吹 思想の、人生なりに達観した方の可能性が出てきた。
凱 まあ澄子さんは『たましいの話』を出されていますからね(笑) ……何かプリミティブなものに戻ろうとしているというか、俳句を書き込みに行くんじゃなくて、もうちょっとプリミティブな詩魂というか……詩の魂みたいなものに何周かして向かっていこうとしているのかなと、ここまで読んで思った。そう勝手に、思い詰めた感じです。
可 でも、季語を入れるやつじゃなさそうな気がするんですけど、ここから。座って、で、季語とか分かんない。なんか入れ方が難しそう。
生 例えば、井口可奈さんが、これまでこの文字をもらって、このあと自分の句にするにはどんな展開されますかね。
可 「鯉の顔してたましい座り込んでる」みたいな(笑)
生 あー、はいはい。なるほどね。
可 うん。またがりまくりみたいな。なんかやっぱりそこに季語も入れられない。「鯉の顔」がやっぱ強いから、季語入れないでスッて逃がしちゃうかもしれないですね。うん。無理に入れるとなんかぶつかりそうだし。
鯉の顔してたましいすわつ
吹 でっかい「つ」だ。文語とかのときに使う「つ」だ。
可 旧かなの「つ」っぽい。うん、旧かなの感じ出てきますよね。やっぱすわっちゃうのかな……。
吹 すわっちゃったらどうしよう……どうしようもない……。
可 「魂スワッ!」とかにして、最後、季語をグンって入れる。季語に「五月」みたいなことがありうるんですね。
吹 助詞の「て」で韻律を何とかして進む。
凱 仮に「たましいす」で切れたとして、「わつ」で始まる季語ってないと思うんですよね。
吹 なさそう。
凱 存在しない気がするから、もうその線はない感じしますね。だから韻律の上でも、穏当に終わらせられる可能性は、もうこの時点でなくなってるんじゃないかと。
生 なるほどね。じゃあ総意としては、「して」までが上五で、「たましいすわつ」の後に何かがつくと。
凱 が、一番なんか、アガリ確率が高い感じしますけど(笑)
生 じゃあちょっとそれが正しいのかどうか。
鯉の顔してたましいすわつて
凱 吹さんの言った通りだ。
吹 複勝みたいなことしか言ってない。
可 それなら本当に季語つけれるかもしれない。
吹 季語しかない!
可 そこに集結させるのかな。え?
凱 上五、七音でも読めますよね、やっぱり。「て」で押韻したことで、下五が五音だとしても、なんかこう、リズム感よく読める感じになりましたよね。
可 そうね、変なところで切れないと。
(生駒さんのお子さんYさん登場)
Y おとうさんがいないとさみしいんだー。
凱 「おとうさんがいないとさみしいんだ」?
生 ごめんね、ごめんね。ちょっと、あの……。(子供を部屋から出す)
Y おとうさん、おとうさんがいないとさみしいの。
可 面白い(笑)
凱 なんかいい……なんかいい瞬間に立ち会った気がするな、今。
吹 心がほっこりしています。
可 (笑) ……なんかめっちゃ、この句作った人と仲良くなりたい。だって「鯉の顔してたましいすわつて」って、めっちゃ面白いもんな。
凱 上手いですね。
生 「て」が二つ入るってやっぱり少ないですよね。どっちかちょっと別の言葉で逃がしちゃうっていうか。
可 なんかそう、私もさっき考えたときに逃がすパターンでも、そこで「〜して〜して」にしようと思うのかっていうか。でもこうやって踏んでくるんで面白い。
可 「いる」みたいな感じ?
吹 あ、「いる◯◯◯」で三文字とか。
凱 終わる感はありますね。楽しい。座っている。
可 でもそれは、私が好きなだけなんだけど。ひらがなの「い」ですもんね。
生 そうですね。
凱 そうですね、でも旧かなの「ゐ」じゃない。
可 あー、そうか。「ゐ」は古くなっちゃうのか。古くなっちゃうって言い方……ね?
凱 季語だったら、「いのこづち/ゐのこづち」とか?
吹 「いつの◯◯」みたいな?
生 あー、さらに展開していくパターン。
可 あ、それだとそうだ。……なんかずっと飽きないな、これ。面白い。
可 「いる」だ。
吹 「いる」?
可 いいの? これで。え? じゃあ、その、私の「座っている」じゃないってこと?
吹 イルカとか。
可 待って、イルカはちょっと面白すぎるだろ。ダジャレだろ、それは。
吹 旧かなの「ゐ」じゃないとしたら……。
可 うん。じゃあ、やっぱり、旧かなの「ゐ」じゃないとしたら名詞になるの? 例えば……イルカ。
凱 イルカだったら、まあ、仮名遣い合ってるけど。季語だし。でも、鯉とイルカじゃ、ちょっと、ちょっとさすがに。急に下手くそになってます。
可 「鯉いるからイルカ出しちゃおう〜〜」
凱 鯉からイルカに行くのはさすがに下手すぎませんか(笑)
吹 そんな奴とは仲良くなれないかも。
可 仲良くなりたくなくなった! 急に仲良くなりたくなくなった!
吹 イルカはものの例えですけど(笑)
可 居留守? わかんない、なんか。でも、あんまり。え、ひらがなで書くようなことなのかな。
凱 これで終わりの可能性もありますもんね。まあ、仮名遣いはあれとして。
可 確かに。もう先がない。ここで終わり。
生 僕は特に否定しないです。
可 え、それはかっこいいな、ちょっと。魂が据わっている。
凱 うん。だから、この仮名遣い違う感じもなんか、ちょっと、自由律俳句に通じている。百年前の……百年前ちょい前の感じ。ありうる。
可 (笑)
凱 (笑)
吹 (笑)
生 (笑)
吹 まずい!!!!!!
可 これだけ見ちゃったら、私、嫌だ。友達になりたかったよ〜。
吹 いや、でも、これは、イルカじゃない。
凱 名詞じゃない、ドルフィンじゃなければ。ドルフィンでさえなければ。
吹 まだ友達になれる余地はある。
可 まだいける。
凱 井口さんは友達になれるか、なれないかで、割と判断してるんですか?(笑) 作品に対する向き合い方として。
可 全部ではないけど、私けっこう友達になれるかで見てるかもしれない(笑) これをやって気づきました!
凱 友達になれると、加点なんですか? 作品もいい、って。
可 私にとってはいいかな。
凱 自分が読んでて、心地いいなって?
可 自分と作品の作風が近いからなれる、とかではなくて、魂が近そうか。もっとソウルメイトみたいな感じで、求めたいので。友達になりたいです。でもイルカだったらちょっと……ダジャレだもんなぁ。
吹 これで終わる可能性はあるんですか?
可 ある? なっているか? あんまりなさそう。
凱 まあでも、韻律的にはもう終わりな感じするけどなぁ。
生 うん、そう、上五をどこまで取るかによって、終わるかどうか決まりそうですよね。「鯉の顔して」まで上五に入ると「鯉の顔して、たましいすわつて」って感じになるから。逆に「て」を中七に入れると、「鯉の顔、してたましいすわ、つて」って感じになるから、これだったら終わるのもあり得るかっていう感じ。
凱 「すわつているかしら」とかってする可能性がありますね。なんか、それこそ澄子さんっぽくなっちゃって。
生 あとは正木ゆう子さんとか。
凱 まあ、仮名遣い間違ってますよ(笑)
可 そんな、そんな初歩的な。
吹 「イルカ神しん」「イルカ神かみ」
可 イルカ神……(笑) イルカ神だ。イルカが神のように持ち上げられてる。え。そういうことじゃないの?
(Yさん再登場)
Y だれのはなし? だれのおはなし? みたい、みたい。
可 今のままだとイルカが神になっちゃうから。そうじゃなくしたいんですけど。これで終わったらおもしろい。
凱 全然意味がわからなくなった!
可 でも「たましい」から「神」が出てきても別にいいのか。と、なんとなく私の中では、そうかしら? って思っちゃいました。
凱 基本的に情報が明かされていくというか、字数が増えていけば読むほど読みが定まってくるはずなんですけど、なんか、どんどん拡散していってる気がする。
可 全然ね。
凱 なんでこんなことが起こるんだ、と。
可 いかない、全然。「じゃあこういう意味で」ってならないんですね。
凱 ならないんですよね。怖い。怖いよな。
吹 でもなんか、「たましい」と「神」が近いから、せっかくの「鯉の顔」が微妙に独立しちゃうのもったいないよね、みたいな気もある気がして。
凱 そうなんですよね。
吹 まだ頑張ってほしい。お前はまだいける、と思う。
生 みなさん、これで終わりと捉えるか、これで終わるとちょっと煮え切らないものがあると捉えるか、どちらの感じですか。
可 もっと欲しいな。
吹 もっと欲しい。煮え切りはしてない。
凱 もっと欲しいですけど、もうこれ以上行かれても……みたいなところはありません? 塩を入れすぎた料理に、べつに砂糖を入れてもどうにもならない、みたいな。
生 砂糖を入れても別に合わせられない。
凱 それで中和はされないよね、みたいな(笑)
可 それもある(笑)
生 そうだね。OK、じゃあ最後かどうかをちょっと確かめましょう。はい、行きます。
鯉の顔してたましいすわつているか神前
凱 おお! これで終わりなのかな。
可 あ、でもこれで私ちょっと納得したかも。やっと定まったかも。神だけだとちょっと……神の前なんだ。お祈りする? とか。
凱 ドルフィンじゃないことが確定しましたね、これ。
可 ドルフィンじゃなくなりました。
吹 「い」がやっぱり変だったんだ。
凱 「い」が悪いよー、「い」が。
生 何度も確かめたんですが、僕の誤植ではありません。はい、じゃあこれで終わりかどうかというところで。
鯉の顔してたましいすわつているか神前阿
可 あ、そこも一文字ずつなの。
凱 まあまあ、やっぱそう、そうか、やっぱそうですよねっていう感じですね。あの人か。
生 あの人だったようです。
鯉の顔してたましいすわつているか神前 阿部
鯉の顔してたましいすわつているか神前 阿部完
鯉の顔してたましいすわつているか神前 阿部完市
生 はい、阿部完市と。
可 阿部完市ですね。きゃー。素晴らしい……素晴らしいって言っちゃった。
生 なんていうか、「神前」の「前」が来ることで、「すわつているか」にちゃんと景色が与えられるというか、神の前で座っている……「いるか」と疑問形ですけど、画が出てくるっていうので、けっこう納得感はそこそこはあるのかなっていう気はします。
可 こういうことしますよね。なんていうか、最後にバーってブーストかけるっていうか、最後でバッて景がまとまるみたいなのをする気がする。文字いっぱい使って。イメージで言ってます。
生 それは確かに阿部完市にすごく多いですね。
吹 「神前」だと「顔」もすごい納得です。うまさだけじゃなくて納得感がありますね。対面してる感じとか、彫りの深さみたいな感じが出るかもしれない。なんか、技術以上に「顔」の良さが最後に分かってきたなあ、という感じでした。
可 なんかめっちゃ短歌をやるようになった頃から、私、阿部完市の韻律が分かるようになってきて。なんか余ったりするじゃないですか。私それが全然分かんなかったんですよ、昔。でもなんか、ああ、もっと韻律に対して寛容でいいんだって思えるようになって、ああ、そういうことなんだって。全然、私もこれ読んで、スッと落ちるところが好きなんで。うん。韻律に対して寛容になったなあ、と思います。
生 七八七だな。
可 「いるか神前」って、パーッっていう感じっていうか。って読みました。
生 補足すると、阿部完市ってちょっと独特の仮名遣いなんですよね、実は。阿部完市の仮名使いってある時期から基本現代仮名遣いになるんですけど、なぜか促音の「つ」は大きく書くっていう独特の仮名遣いなんですよね。この句だけじゃなくて、阿部完市の文体としてそういうふうになってて、ずっと。
凱 個人的な反省でいうと、もう少し早く「い」の段階で阿部完市かなというふうに疑っておけたな……。読者には、思った人も多分いるでしょうね。言われりゃそうだよなぁって感じだなぁ……。なんか悔しいなぁ、めっちゃ真面目にやったのに。いや、阿部完市が真面目じゃないわけじゃないですけど、なんかこう、途中まですごい、こう、全然違うトーンで読んでたと思って。
生 うんうん。
凱 なんかこう、阿部完市って名前がつくと、阿部完市の作品だと思う、別のOSを駆動させて読みに行ってる感じがあって。
生 はいはいはい。
凱 なんか途中まで文字化けしてたなーって感じ。文字化けしてたというか、なんていうのかな……いや、あんまり良くないのかもしれないですけど、阿部完市という名前がつくと、なんか読めるものとして、読むモードに入る気がしてて。
生 でも、読みのモードの話って、実は、これやるとより分かった感じなんですけど、めちゃくちゃあるなって思ってて、伝統俳句と思って「鯉の顔」って見たときと、阿部完市と思って見たときの「鯉の顔」っていうのが全然、違う風に見えてくるって、それは普通のことって言うと変だけど、他のあらゆる句にに対して言えることだよなと思って。逆もまた然り。読み方によっては前衛だと思って読むと、その後に続くのもなんか違う、富澤赤黄男の句だと思って読むとなんか次違うよなーって思って、とかすると思うので。まあ句会は別ですけど、どうしても作者名が一般的に読みに含まれるので、読みのモードの話はあるよなーっていう感じがしました。
凱 この句が、いい句なのか問題っていうのも、聞いてみたいと思いましたが。
生 正直どうです? その辺。吹さんとかどうですか。
吹 今となっては普通にいい句だなって思います。全体を見ると、特に「神前」があるから、「すわつているか」の呼びかけとか応答の要請みたいなのが自分に向く感じがするというか。「神前」に「すわる」ことの空気感の重さとか、静謐さって結構自問自答ありきな気がする。考え事をしていた方が重く見える気がしました。「神前」があると、「鯉の顔」とか「たましい」とか、なんかある種の盆栽的なもの、の、格調高さとか精神性みたいなのがわかる気もする。ちゃんとかっこいいですよね。今思ったんですけど。でも、やっぱり途中まで読んでいる時点では全然そんな風には思えなかったり、「鯉の顔ちょっと浮いてるな」とか、「たましい」って割と抽象的というか、ふわっとしてるなと思って見てたから、名前が出てるのもそうなんですけど、語だけで読もうとしてたなって思いました。
可 私も好きなんですけど、どちらかと言えば好きな句で、バーッと読んでたときに、本当にどこで落ち着くか分からなかったんですけど、今バッと全体見たときにやっぱり「神前」がいいなって思って、それでバシッと一個、景がパキッと決まる感じがあって、それはすごいいいです。もう本当「神」だけだったときに「マジかよ。神来ちゃったよ、最悪」みたいな気持ちで(笑) そこに「前」がついて「神前」になるだけで、こんなに決まるのかと思って、すごい面白いです。
凱 友達にはなれるなって思いました?
可 なれるなれる! こういうこと言う人になりたい。
生 阿部完市が喜んでると思う(笑)
凱 「神前」っていうから、「神」があってその周りに民がいるような構図になるのが、人間から見たときの人と鯉との関係性というか、その景色というか、見え方と重なる感じがするのかな。あと「たましい」もね、「鯉の顔」みたいに現れたり現れなかったりするみたいなところもあるんだろうと思うので。なんだかんだやっぱり、叙景があるんだと思うんですよね、この句の後ろには。
生 うんうん。
凱 二つ面白いなと思ったのが、まず阿部完市に関することで言うと、阿部完市の俳句は韻律が気持ちいいみたいな、そこの依存性みたいなところでパッと読み進めていく、次々気持ちよくなって読み進めていくっていう感じで読んでたんですけど、意外と阿部完市ってめっちゃ時間かけて読んだ方が面白いのかもって思って。中途半端に一句一分ぐらいかけて読むのが、一番面白くないのかもしれない。パッ、サッて音だけで読むか、一句に三十分ぐらいかけて読むかのどっちかの方が……その中間が面白くないみたいなところがあるんじゃないかなと思ったんですけど。
生 あー、それはでも分かるな。要はあの、阿部完市でしょって思って、なんていうのかな。さらっと。
凱 アンビエントミュージックのように聴く。それか、めっちゃ分析的に読んでいくかの、どっちかの方が面白くて、その真ん中の部分の効用が急に小さくなるみたいな。すごく不思議だったのは、基本的に情報量が多くなれば、要するに句の言葉数が増えるほど、景色とか詠まれていることは確定していくはずじゃないですか。なんですけど、この句を読んでて途中まで何か「あ、この方向ね」って確定していたのがなんかこう、一字入ることでなんかブワーって急に選択肢が広がるみたいな、急に拡散するみたいなことがあって、情報量が増えることによってわけがわからなくなるみたいなことが起こったのが面白かった。だから情報量が少ないときは、何らかの読みの補助線が、作品の外部から無意識に利用されているんじゃないかなっていう感じがしましたね。
生 なんだろうな、型によって相当、人って枝を刈り落とすように可能性を削ぎ落としながら上から下に読んでるんだなっていうのはちょっと分かったというか。こういうタイプの句を一文字ずつ追っていくと、これまでに「これ以外にないわ」って思ってたところから一文字増える拡散することによって、読みが変化するのはおっしゃる通りだなと。
可 めっちゃ面白かったです。本当に全然読みが決まらなくて。「何? どうなるの?」みたいな感じがあったのが面白かったな。
吹 季語とかが分かってたら、その時点で逆算して、いいあつらえみたいなのってある気がしていて。そういうのがないだけでも……けっこう選択肢が増えたほうが面白いと思います。チャート式で既に良いものに近づいていくのってあんまり楽しくない気がしていて。
凱 吹さんが元々触れていた俳句から離れたのは、やっぱりそのせいですよね、多分ね。
吹 それなんですよ。上手い先行句があったら、やっぱりそっちのあつらえの方がよく見えるからみんなそうした方がいい、みたいなところがあるなと結構思っていて。微差じゃなくて類型で、類型だったら正解に近いものがもうある。そうなってくると、作者の句っていうよりは、語彙の斡旋の良い悪いの判定をずっとしなきゃいけないっていうところになってくる気がして、それ、、人の形を借りた集合体というか、その人の手柄じゃない気がすると思うと、「手柄欲しいぞ」みたいな気持ちがすごい悩ましい。わからないまま一字ずつ読むと、そういうあつらえの話から一瞬離れる時間とかもあるじゃないですか。
生 しかも作者消してるし、ね。全体としては最適かどうかってあんまり気にせずに読めるから、うん、そうですね。(了)
ねじまわし第九号
二〇二四年十二月一日発行
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