【句集を読む】
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む
エッセー
季節はずれですが
池田澄子
八月十五日あのとき御昼食べたつけ 桑原三郎
句集『夜夜』(現代俳句協会刊)を読むことで、私の2014年は始まった。
「よよ」と読むのではない。「よるよる」と読む。「よよ」と「よるよる」は同じ意味だけれど、重さ濃さがちょっと違う。
行く人は必ずまがりあきのくれ
春の風邪うはくちびるは舐めやすい
そうだわ、何処かで必ず曲がるんだわ。私は憑き物が落ちたように、いや、憑き物が憑いたように呆然とした。
三が日は過ぎて一応の日常に戻ったのに、『夜夜』を開いては呆然としている。時々、上唇を舐めて、次に下唇を舐めてみる。上唇のほうが舐めやすい。あんまり舐めて、唇が幾分かさかさになったような気がする。
昔、確か『俳句空間』に、桑原三郎の句集評を書いたことがあって、そのときの出だしを覚えている。「桑原三郎は変な人である」と書いたのだった。(ふらんす堂刊『休むに似たり』所収「巧みさを隠す」)
だって本当に、彼は普通の人じゃないのですよ。
普通の人は、「行く人は必ずまがる」なんて思わない。例え直線の道を真っ直ぐ歩いただけにしても、目的の家に入るには曲がらなければ入いれない、確かに。平仮名の「あきのくれ」が、どの道をも迷路につなげている風情。
あまりにも当たり前なので、普通の人間は、そんなこと気に留まらないし、それを言いはしない。ましてや一句の主題にしようなんて、とても思い付かない。
普通の人は、「うはくちびるは舐めやすい」なんて書かない。書かないだけではなく、そんなこと思わない。例え上唇の方が舐めやすいことに気が付いたにしても、そのことを言葉で反芻して、そのことを作品にしようとは思い付かない。黙って舐めていて、ひょっとしたら、それが癖になるだけだ。
この句集を読み終わるのは大変。頁を捲る度に呆然として、頬杖など付いてしまうから進まないのである。なにしろ唇を舐めてみては、なるほどー、とか、ホントだわー、なんて思っているのだから進まない。7ページから始まる俳句の、ここはまだ11ページ。19ページに、私がひどく痺れた俳句がある。けれど決心して、今夜はこのまま素通りする。
そして掲句。この句を前にして思考が止まった。まだ「Ⅰ」の項にある句だが、このところ日に何度か思い出しては、考え込んでいる。
母に聞いたら分かるかしら、などと思い、あぁ母はもう覚えていないだろうか、と、この数ヶ月前から急に衰えた母を思い出して心細くなったりしながら。
八月十五日、あの日、あの正午の様子は、昨日のことのように鮮やかに覚えていて、誰が居たのか、誰に何を言ったのかも、映像として見え、聞こえる。
正午、どうせ食事らしい食事ではないにしても、何かの用意は済んでいた筈の時刻、正午。大きいだけで美味しくないサツマイモか、食べると何故か私は頭が痛くなった饂飩か、トウモロコシか、そんなものが既に用意されていて、家族が食卓に集まる時刻。私はそのために遊びから帰ってきたのだった。
家の前に、近所の大人たちが集まってラジオを囲み聴いていた。大声を出すわけでもなく、皆がうろうろと、ただその場を離れられないという様子だった。言葉を失っていて、ひたすら暑かった真昼。
その景色を何度思い出しながら生きてきたことか。小学校低学年だった私がそうなのだから、大人達はどれほどその日を強烈に記憶し、どれほど切なく思い出してきたことか。と私は、言ったり書いたりしてきた。そして記憶も想像も、其処でぴたりと終わっている。
それなのに、小学校高学年だったのではないかと思われる桑原三郎の思考は、其処でストップしていなかったらしい。いや、そうではないのかもしれない。何年か前にふと気が付いてしまったのかもしれない。でも、どうして、そんなこと思い付くんだ?
あの玉音を聞いたあと「御昼食べたっけ」? 誰か覚えているだろうか。蒸した不味いサツマイモ、食べると頭が痛くなる饂飩は、どうなったんだろう。
本当に「あのとき御昼食べたっけ」? いくら考えても、玉音を聞いたあと何をしたのか、どういう午後を過ごしたのだったか、かすかにも思い出さないのである。
あのあと、私たち何をして一日を過ごしたのだろうか。映像はぴたりと止まったままだ。止まったままだということにさえ気付かずに、気付かないことを不思議とも思わずに生きてきた。
三郎さん、いつ、そんな疑問を持ったのですか? 何かきっかけがあって思い出したのですか? そして思い出しましたか?
思い出せないでしょうね、私たち。この一句によって私たちは一生、あぁあの日、あの昼、食事したっけ? 何か食べたっけ? と呆然とし続けなければならなくなってしまった。この一句を見てしまったから。
あの八月に生きていて、今も生きている人がこの一句を見たら、俳句に関心が無い人であっても百人が百人、あぁ あの日あの時、御昼どうしたっけ? と思うに違いない。
多分全員が、覚えていないことに気が付いて、以後、時折その覚えがないことを思い出して、すっきりしない老後を暮らすことになるのである。
桑原三郎という俳人が居なかったら、この一句がなかったら、誰も気にすることさえせずに一生を過ごすところだった。あの日に、午後はあったのだろうか。そんなことも思わずに、生きて死んでいくところだった。
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2014-01-12
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む エッセー 季節はずれですが 池田澄子
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桑原三郎『春亂』の無季句 北川美美
桑原三郎『春亂』の無季句
北川美美
初出:『犀』No.190 (平成25年11月1日発行)
桑原三郎は無季句の好手として名高い。その第一句集である『春亂(しゅんらん)』を読み解くことにより、三郎の無季句の原点を探っていきたい。
倒れしは一生涯のガラス板
昭和四九年、四一歳のときの作。ガラス板が倒れることを命の儚さとしてみる仕立てと解するが、そのガラス板の脆さに、作者の悟りと覚悟が伺える。倒れることの不安定さ、そしてガラス板という破壊性のある硬質素材を措辞することにより、美しく、儚くもあるこの世を思う。「ガラス板の一生涯」に読者は、限りある一生の時間、そしてそれが突然に終焉となりうることを考える。「倒れし」の「し」強調により、スローモーションのように倒れていく景を想像する。第一句集にしてこの風格。三郎の代表句として名高い。
いつせいに柱の燃ゆる都かな 三橋敏雄
鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中 〃
三郎の掲出の代表句に私は三橋敏雄の無季句を重ねあわせた。「鉄」も「ガラス」同様に都市景観の象徴であり、人間が作り出した無機質なものである。しかし、いつかは、あるいは、いずれは破壊、あるいは浸食される脆さがある。それが個々の人間、ひいては人類の儚さにもつながっていく気がする。
三郎には「第二回五十句競作」にて「佳作第一席」の賞歴がある(この時の一位入選に今坂柳二、佳作第一席に大屋達治、澤好摩、攝津幸彦、高橋龍)。その受賞作「むかし桃たちの唄へるうた」が解体、増作されこの『春亂』に同タイトルとして収録されている。
応募作「むかし桃たちの唄へるうた」自体に無季句が極めて多い。『春亂』収録句では一三七句中の二十九句が無季と読んだ。
三郎の無季の力は、前衛期の赤尾兜子・永田耕衣の影響が考えられるが、先師にある悲壮感、混乱、難解という印象がなく、より俳句形式として昇華していると思える。それは本人の生き方としての姿勢が大きいのだろうが、高柳重信、三橋敏雄との交わりにより、「俳句」をより「形式」として意識したことに依るのだろう。三郎の「五十句競作」への応募は無季句を多く配した三橋敏雄『眞神』発刊からわずか一年後のことである。ここに『春亂』の句を並べてみる。
山燃えて水ををろがむ夕べかな
山も晝や臼の襞より豆こぼれ
寝て待てば鐡道馬車が通るなり
頭暗しと廊下を磨く姉妹
まざまざと雙親見ゆる午の刻
提灯の脇腹赤く苦しけれ
絵蝋燭水の終りもみづの音
産み月の妹が曳きゆく藁の屑
土蜘蛛を飼ふ竹籠も武蔵かな
生き死には手燭のゆらぐ箪笥部屋
草小舎のわれをいくたり出てゆくか
荒縄よ指の力に敗れたる
松古りてときどき兄を名告りけり
横濱に来てさみしさよ人の名は
葦原や命(みこと)も棒も歩きつつ
渡り鳥箒は玉を掃きをらむ
その作は常に生きている境界線が曖昧領域であり、身近な幽霊、ごく親しい魂が主体となっていることである。
をちこちに荒縄結ぶ影の山
押入に百夜通へり俯むいて
ひとり来てまたひとり来て墓荒し
など「霊」が近くにいつもいるように読める。「霊」は確かに目に見えない、実在がないので、逆にいえば、どのようにでも描ける危険性も孕む。リアルでなくなるのだ。しかし三郎の句は「死生観」という観念を越え真の「霊」と対話している、実景として読めるのだが、それが作り話にならないリアルさがある、
うつうつと黒牛を乗り殺したり
双頭の亀を乗りつぎあきつしま
「霊」たちを迎え、向き合い、そして彼の世で生きる彼ら描くことにより、より身近な存在として共存しているということが伝わってくる。
『眞神』に於いて三橋敏雄は山に潜む神の力を各所に潜めた。また連句の手法を取り入れ、無季句を意識的に多く配置するためのシカケがある。ところが三郎の場合は、何のシカケもないように身近な霊を浮遊させ無季句を作ってしまう巧みさがある。
無季句を創作することは相当難しい。それは実作してみればわかるように、なかなか体を成さない。四季を超えるものを実作者は模索してきた。戦火想望俳句、そして東日本大震災時の震災句など、実作者たちはここぞとばかりに無季俳句を創作した。しかし、どこか他人事なのである。
見えがくれして水炊きの飯男
実際に水炊きをしていた男が見え隠れしていたのかもしれないが、無季句であるが故に霊が水炊きをしているように読める。それが誰なのかはわからない。三郎自身の喪失感からくる表現であると思われるが、やはりあの世とこの世の曖昧な境界領域を感じる。
『春亂』以降の『俳句物語』(一九八五年)の年譜を拝見すると三郎の人生そのものが壮絶であったことが明らかにされていく。作品の根底にある喪失感が身近に起きていたことがわかる。『春亂』にみる無季句には三郎が十代の時に遭遇した兄の自死による衝撃が永く三郎の心を支配し、それが創作の動機となっているように伺える。
極楽も陸続きなる麥埃
やはり三郎にとってその境界線はない。その距離はとても近くわれわれもいずれは行く黄泉の国が怖いところではないという大らかさがある。すでに老練である。
ついで「父」を詠んだ句が多く収録されている。その中にも無季句がある。
つれづれに父を加ふる火の見かな
青竹に父の人玉依りつつあり
はこべらや膝つけて立つ蛇の父
男子にとっての父親の存在は越えられないものとして本人にのしかかる。父親以上にはなれないという葛藤である。その「父」の存在をあえて登場させているのはまさしく「自我」の確立であり「父」との距離感を描くことにより、本人の「自我」を読み取ることができる。
「父母未生以前」は禅宗の言葉である。「父や母すら生まれる以前のこと」という意味である。三郎の「父」の登場は、「父」を浮び上がらせることにより相対的な存在にすぎない自己という立場を離れ、絶対・普遍的な真理の自我につながる。ここでも「父」は身近な霊として三郎の近くにいる。その存在は実在のない「在」である。三郎の父への態度は極めて慎ましく、そして紳士的である。三橋敏雄の描く「父」よりも高柳重信の「父」との距離に近いように読める。
東日本大震災の起きた東北の被災地では、現在、幽霊や天狗の話を集めた『遠野物語』によく似た不思議な話が次々に生まれている。「震災怪談」として生者の中に、震災犠牲者の想いが生きているというのだ。すでに三十九年前の三郎の句に見え隠れする幽霊はとても身近であり言霊となっていきいきと俳句形式に融合している。
俳句に没頭する初期俳句実作者たちは「句集」という目標に精進する。しかし後世に残したい、「第一句集」なるものが、極僅かであることは言うまでもない。タイトル『春亂』の意味するところは、「あらくれし若き日々」と察するが、この第一句集の無季句に焦点を当てることにより桑原三郎の創作の方向性がすでに確立されていたことに気付く。
◆『春亂』解題
桑原三郎第一句集。作句開始以降の一三七句を収録。一九七四(昭和五十三)年八月十五発行・端渓社版。布装上製本、函入。九六頁。一頁二句組。「むかし桃たちの唄へるうた」「補陀落のそら」「板東記」「唱和集」。序・高柳重信八頁、序・赤尾兜子四頁。著者後記二頁。本製版三百部限定版。頒価二八〇〇円。
2008-09-14
10句作品テキスト 桑原三郎 ポスターに雨
ポスターに雨 桑原三郎
音速を超えることなし秋の蟬
平成永し芋蔓にいもの花咲き
黒猫を追ふ黒猫や露しとど
きちきちや鉄棒の錆手に残り
足音は前を歩かず盆の月
雁瘡や肩をかばひてアンパイア
秋黴雨まるめしメモを読み直す
栗拾ひ腕の黒子の毛や戦ぎ
貝割菜畳を叩く音すなり
地芝居のポスターに雨横なぐり
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